(座談会)パスポート裁判が問いかけるもの—渡航の自由をめぐる人権と国益(出口かおり・岩井信・田島泰彦)
特集/ジャーナリストとパスポート---問い直される「海外渡航の自由」と旅券法本座談会では、常岡浩介さん・安田純平さんの二つのパスポート裁判の地裁・高裁判決のポイントと、どのように判断が分かれたのかを確認し、これらの裁判が問いかけるものを明らかにします。
出口かおり(弁護士)
岩井信(弁護士)
司会:田島泰彦(元上智大学教授)
1 はじめに
田島 私たちは外国に渡航するとき、旅行でも、NGOなどの活動をするにしても、あるいはジャーナリストが取材報道するのにも、前提としてパスポートが必要です。パスポートを持っていないと出国もできないし、他国への入国にも差し障りがあります。グローバル時代の市民にとって、いまやパスポートは必須のツールの一つです。
今日の座談会で中心になっている常岡浩介さんと安田純平さんはジャーナリスト、特に紛争地で積極的に活動をされてきた方々です。彼らは、パスポートを奪われたら取材も何もできない。それは、パスポートが生活する上で不可欠な前提でもある、ということでもあります。そのパスポートの扱いがどうなっていて、何が問題か、特にそれを奪われてしまったときにわれわれの社会、市民社会というのは一体何を考えなくてはいけないのか。そのようなことをテーマに、二つの裁判の流れを見ていきたいと思います。まずは、それぞれの事件を受任されたときのことを教えてください。
出口 常岡さんが2019年2月2日に羽田空港で、「何か旅券返納命令が出ています」と言われて出国できなかったとき、同じ事務所の清水勉弁護士にすぐ電話がありました。

出口かおり(弁護士) 常岡浩介さんの訴訟を担当
旅券返納命令の取消訴訟を当事務所で担当するのは初めてで、裁判例を調べてみると、古くは司法試験で勉強した、いわゆる「帆足計(ほあしけい)事件最高裁判決」1)、それ以外には北朝鮮の方に渡っている日本赤軍関係の人の旅券の事件がありました。旅券法13条1項2)7号3)、かつての5号ですが、その該当性が争われているような事件が裁判例としてありました。平成の終わり頃には、カメラマンの杉本祐一さんの件がありますが、あれは杉本さん自身の安全を守るという体で出された旅券返納命令4)でした。
他にジャーナリストに対する旅券返納命令や発給拒否の裁判例は見当たりませんでした。それが今回出た経緯からしても、また常岡さんから聞いた話からしても、これはおかしいなというのは直感としてはありました。それをどうやって裁判所にわかってもらうか。旅券返納命令というのは行政処分、不利益処分の最たるものですから、行政機関である外務大臣、外務省側できちんと説明すべきです。それができなければ取り消されるべきと考えました。
岩井 私は、実は安田さんが解放される前の段階で話が来て、安田さんの妻の記者会見に同席をしていたのです。ご本人が本当に解放されるかわからない段階で、その解放を国際社会に訴えました。その後、安田さんが解放されて日本に帰ることとなり、帰国時も成田でご本人を迎えて、妻の記者会見に同席しました。

岩井信(弁護士) 安田純平さんの訴訟を担当
翌年の2019年1月、安田さんは拘束中に旅券を奪われていますので、旅券を申請したのですが、発給が遅いねという話をしていたところ、7月10日付で、外務大臣が「一般旅券発給拒否通知書」を出しました。非常にびっくりしたことを覚えています。なぜ拉致された被害者の安田さんが、このような仕打ちを受けなければいけないのかと。
解放の経緯をみますと、安田さんの妻が記者会見で訴える。そしてシリアの国内で解放され、トルコの公安機関がシリアに越境してシリアの中で保護して(事前に連絡を取っていたのではないかと思います)、トルコの機関と一緒にトルコに移動し、帰国の途につきます。トルコからの帰りの飛行機代は無料になり、空港ではトルコの大臣と偶然に会ったのですが、歓待を受ける。 そのような流れがあって、日本に帰国した。でもこの通知書を見ると、何か安田さんが悪いことをした人として旅券が発給されないことになっています。これはおかしい、と思いました。そして、提訴に至ったのです。

田島泰彦(元上智大学教授)専門は憲法、情報メディア法。
田島 当時の社会状況からすると、安倍政権の最後の方になりますか。こういう流れは実は民主党政権のときにもあったようですが、非常に明確になったのは第二次安倍政権になってからです。ダイレクトに言えば、表現や報道について、典型的には「特定秘密保護法」に象徴されているように、ジャーナリズム、あるいは表現に対して規制を強めるという流れです。
紛争地には、組織メディア、新聞やテレビのいろんなスタッフが行って取材活動を行っていますが、パスポートが取り上げられるということはなかったわけです。ところが、紛争地の最前線で活動されているフリーの2人の記者がターゲットにされた。そういう意味でも規制の象徴みたいな形で今回の問題が起きたのではないかという気がしています。
脚注
| 1. | ↑ | 最判昭和33・9・10民集12巻13号1969頁。前参議院議員帆足計らが、ソ連(当時)のモスクワにおける国際経済会議に出席する目的で旅券発給を申請したところ、外務大臣が拒否した事件。原告帆足氏は処分の適法性をめぐって訴訟を提起するが、最高裁は、海外渡航の自由が公共の福祉により合理的に制約され得ることを示し、旅券法13条1項5号(当時)の合憲性と処分の適法性を肯定した。 |
| 2. | ↑ | 旅券法13条1項「外務大臣又は領事官は、一般旅券の発給又は渡航先の追加を受けようとする者が次の各号のいずれかに該当する場合には、一般旅券の発給又は渡航先の追加をしないことができる。」 |
| 3. | ↑ | 旅券法13条1項7号「前各号に掲げる者を除くほか、外務大臣において、著しく、かつ、直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」 |
| 4. | ↑ | 東京地判平成29・4・16。フリーカメラマンである杉本祐一氏がシリアでの取材を計画していたところ、それを把握した外務省が、旅券法19条1項4号にいう「名義人の生命、身体又は財産の保護」を理由として旅券の返納を命令した事件。杉本氏は報道の自由や渡航の自由が侵害されたと主張し、処分の取消訴訟を提起したが、裁判所は、取材・報道の自由よりも本人の保護を優先するべきであると示し、当該処分の合憲性を認めた。 |



