(第1回)ジュージロとの出会い

渋谷重蔵は冤罪か?―19世紀、アメリカで電気椅子にかけられた日本人(村井敏邦)| 2018.09.27
日本開国から24年、明治の華やかな文明開化の裏側で、電気椅子の露と消えた男がいた。それはどんな事件だったのか。「ジュージロ」の法廷での主張は。当時の日本政府の対応は。ニューヨーク州公文書館に残る裁判資料を読み解きながら、かの地で電気椅子で処刑された日本人「渋谷重蔵」の事件と裁判がいま明らかになる。

(毎月下旬更新予定)

ジュージロ処刑の記録

出会いは、サンフランシスコの本屋の棚にあった。1981年の6月のことだった。
「police」という言葉に惹かれて、棚から大判の本を手に取った。「警察雑誌(The Police Gazette)」というタイトルで、1972年にニューヨークで出版されている。1879年から1897年までの記事が編集されて掲載されている。

パラパラと開いてみると、2頁にわたるショッキングなイラストが目に入った。真ん中にひげ面の和服姿の大男が三人の男に無理やりに椅子に座らされようとしている絵が描かれていて、そのわきに、「JUGIRO’S LAST STRUGGLE」と書かれている。「ジュージロ最後のあがき」え? 日本人? 説明文に「電気椅子で殺害された4人の殺人者 法律上の報復を満足させるために、スローカム、スマイラー、ウッド、そしてジュージロ(日本人)がその生命を投げ出したニューヨークのシンシン刑務所内部および周辺のシーン(141頁参照)」とある。

「日本人が電気椅子で処刑された記録だ!」代金を払うのももどかしく、急いでバークレーの下宿へ帰り、あわくって141頁を開いた。その頁の1891年7月25日号に、次のような記事があった。

 「死に至るショック! 4人の殺人犯、電気で殺される。シンシン刑務所での恐ろしい光景 殺人で有罪が確定した者を電気で殺すことは、この州ではまだ実験段階だ。この死刑 の方法を規定する法律は、改革者と称する人々の提案によって、制定された。この人たちの主張するところによると、この方法導入の目的は、合法的殺人をより人道的にすることにあるという。しかし、その目的が達成されたかどうかは、いまだ疑わしい。オーバンでのケムラーの死刑は、残酷な見世物だった。7月7日のシンシンでのスローカム、スマイラー、ウッドそしてジュージロ(Jugiro)の死刑執行は成功だったと公表された。

しかし、執行は秘密裏に行われたので、処刑室の模様を知っているのは証人だけであり、その証人たちは、自分たちがみたことを漏らさないと誓約している。法律による、この人道的な殺人についてたくさんの報告があるが、それらは細部で相互に食い違っている。実験は成功だったとも失敗だったともいわれる。被害者たちは瞬時に苦痛を感じずに死亡したという主張もあれば、いや拷問だったし、死ぬまで二回ずつの電気ショックが必要だったという主張もある。肉が焼かれることはなかったという主張がある。しかし、この市でのスマイラーの死体検分では、肉の焼けていることがわかった。」

この記事の真偽のほどを確かめることが必要である。まず最初にしたことは、電気椅子の処刑者中にJugiroなる日本人がいるかを、アメリカの死刑執行者名簿から調べることである。

アメリカ合衆国では、1608年から現在までの死刑執行者の名前が、人種、年齢、犯罪、死刑の執行方法、執行日、執行の場所(州)とともに公表されている。上記の記事には、Jugiroは1891年7月7日に電気椅子で処刑されたとあった。該当日付とJugiroという名前があるかを探すと、JugiroではないがJugigoという名前があった。

JUGIGO SUBIHICK (race)Asian-Pacific Is (age)35 (sex)M (crime)murder (method)Electrocution (date of execution)7 July 1891 (state)NY

Subihick Jugigoと称される日本人が、1891年7月7日にニューヨーク州で電気椅子で処刑されたことは事実であった。この日本人の罪名が殺人であること、その日、シンシン刑務所では、この日本人を含む4人の死刑囚が処刑されていることも確認された。

死刑執行者一覧表によると、日本人らしき名前の人物が14人いる。このうち、電気椅子で処刑された者は、Jugigo以外にもう一人、TAIZO SAITOという名前が見られる。1922年4月3日執行である。そのほかは、すべて絞首刑である。

現在のシンシン刑務所の様子。
出典:Brett Weinstein (Nrbelex) at en.wikipedia

ジュージロとは誰か?

読売新聞1890年1月25日号に、「米国にて、日本人の電気死刑」という記事が見つかった。そこには、次のようにあった。

 「神奈川県高座郡茅崎村農渋谷武兵衛次男渋谷重蔵(34歳)は米国某汽船に雇われおりしが、昨年11月中、米国ニューヨーク府下宿屋にて酩酊の上同船乗込水夫村上某と争闘し、防衛のためとて遂に某を殺害せし故、12月5日同国重罪裁判所において審判の上重蔵は死刑の宣告を受けしが、折しも電気死刑の議論盛んなりしかば、試験の為め重蔵の死刑執行を来2月16日に延期する事となれり。」

Subihick Jugigoの正しい名前は、「渋谷重蔵」であり、防衛のために殺人を行ったとされている。調査の結果、この人物の事件の記録は、ニューヨーク州公文書館にあることがわかった。

この連載では、電気椅子の歴史を概観した後、上記の記録を中心として、重蔵がどのようにしてニューヨークに行き、事件を起こしたのか、法廷では、どのようなことが争点となり、重蔵はどのような主張をしたのか、電気椅子で処刑されるまではどのような経緯をたどったのか、重蔵の事件に対する重蔵の出身地の反応、当時の日本政府の対応、重蔵の事件の処理に関する法律問題などを明らかにしていく。

なお、連載中、重蔵の英語表記は、アメリカの公文書に從い、‘JUGIGO’ または’JUGIRO’ とする。

 


村井敏邦(むらい・としくに 弁護士・一橋大学名誉教授)
1941年大阪府生まれ。一橋大学法学部長、龍谷大学法科大学院教授、大阪学院大学法科大学院教授などを歴任。『疑わしきは…--ベルショー教授夫人殺人事件』(日本評論社、1995年、共訳)、『民衆から見た罪と罰--民間学としての刑事法学の試み』(花伝社、2005年)ほか、著書多数。