『新さかなの経済学—漁業のアポリア』(著:山下東子)

一冊散策| 2024.05.30
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

「まえがき」より抜粋、一部修正

はじめに—漁業も魚食もオワコンか?

漁業はこの 30 年というもの、生産量・生産額も就業者数も右肩下がりだ。漁業者や漁船が高齢化・高船齢化しており、輸入量や消費量もこの 20 年低下し続け「買い負け」とか「魚離れ」に直面している。漁業も魚食も、もはやオワコン (終わったコンテンツ) なのだろうか。

そんななか、農林水産省が「農林水産業の成長産業化」方針を打ち出し、さらに 2020 年末には 70 年ぶりに大幅改正された新漁業法が施行され、資源管理秩序や養殖場の利用ルールが刷新されることとなった。加えて IT、ICT 技術の波がついに漁業にも到達し、3K (きつい、きたない、きけん) と揶揄されてきた漁業労働の働き方改革、生産性向上につながる期待もある。実現できれば、オワコンから脱して再び他産業と並走していける。

漁業を 1 つの産業という視点から研究してきた筆者にとって、「いよいよ、長いトンネルから抜け出すときが来た」という思いと、「いやいや、また掛け声倒れに終わるのではないか」という思いが交錯する。というのは、自然を相手にする産業、もっといえば野生生物を採捕するところから出発する産業であるため、まだわれわれにわかっていない現象が多々あり、その漁獲物を運んで、加工した先には、消費者というこれまた気まぐれな存在が待ち構えており、そしてこの途上に数々の難問 — アポリア — が点在して、合理的な解決策を阻んでいるからである。

筆者は 2009 年に『魚の経済学』を上梓した。おかげさまで多くの方に読んでいただき、データを更新した第 2 版へ続けることができた。その時のスタンスは、序章を引用すると、

日本経済には閉塞感が漂い、世界の水産資源には危機が迫っている。本書では読者の皆さんにそうした現状を開示していく。(中略) タイトルには魚の「経済学」とつけたが、「生物学ではない」というほどの意味である。魚事情に詳しい方には、経済学ではこう考えるという整理のしかたを楽しんでいただけると思う。経済学を少しかじった方には、他産業をとらえる場合とのギャップを楽しんでいただけると思う。(山下 2009、2012、8 頁)

というものである。このスタンスは今回も変わらないが、内容は前書と重複していない。本書の特徴は、前半において漁業法等の法改正を取り上げ、これを批判的に解説していること、後半ではグローバルな社会・経済問題を取り上げ、これを漁業と絡めて議論していることである。筆者が漁業のアポリアだと思うことを読者の皆様に共有していただけたら、そこから脱するきっかけも見つかるのではないかと期待している。

各章は一話完結方式で組み立てているので、以下に説明する本書の全体像をご覧いただいたうえで、関心を持たれた章から目を通していただきたい。図 0-1 には水産業が抱える今日的課題を描き、これに関する本書の該当章を入れ込んだ。この図は網羅的ではないものの、水産業の構造や直面する課題を概観してもらえると思う。また、表 0-1 で本書の構成を説明しておきたい。ここには章立ての順に、概要を掲げている。

参考文献

目次

  • 序章 漁獲量はなぜ減ったのか:マイワシバブル
  • 第1章 規制改革:サバのIQ
    • はじめに/漁獲の8割がTAC下に/TAC魚種は流動的/サバへのIQ割当/IQ融通の実態/ITQ化で市場メカニズムを活用/過去実績:現実的な割当方法/過去実績の配分がもたらす諸問題/漁業者の不満は行動経済学が説明/棚ぼた問題:レントの行方/オークション:机上の空論/自己査定型資産税の適用/IQは後戻りが難しい
  • 第2章 漁業権:桃浦牡蠣の陣
    • はじめに/三種類の漁業権/採貝藻は共同漁業権/大型定置は定置漁業権/養殖は区画漁業権/地元優先から経営手腕優先へ/優先順位の変更/企業アレルギーの素をたどると……/桃浦牡蠣の陣/戦に勝って勝負に負けた/新規参入の成功例:マグロとサーモン/養殖漁場は空いているのか/漁場は空いていない/戸倉のシンデレラ・ストーリー/漁業権の壁が守るもの/外資規制とトリプルスタンダード
  • 第3章 所得向上に大義はあるか:漁業者という資源
    • はじめに/使命は国民への水産物の供給/漁業者主体という使命の終わり/漁業の民主化という使命の終わり/所得向上という政策目標/経済メカニズムに委ねる解決法/漁業者こそが保存すべき資源/輸出振興と国内供給の板挟み/6次産業化と人手不足/良い補助金・悪い補助金/多面的機能という免罪符/海に境界線を引く/海は誰のものか/カーテンの向こう側
  • 第4章 外国人労働者:敵か味方か
    • はじめに/ルポ・漁業就業支援フェア/求人と求職のミスマッチ/外国人ならマッチング/海技士というハードル/技能実習生制度の問題と改正/特定技能へのキャリアパス/日本人と外国人を同質の労働者とみなすケース/日本人と外国人の技能に差があるケース/外国人船員が増えたら桶屋が儲かる?/労働生産性は停滞するか?
  • 第5章 魚市場の謎:車海老の製品差別化
    • はじめに/小田原市場にて/せり・入札、相対取引/抜け目のない民設市場/築地も物流センターだった/オウンゴールの場外流通/情報公開と完全情報/車海老に見る価格差別化/価格差別化と消費者余剰/車海老に見る製品差別化
  • 第6章 生物多様性:ご当地サーモンがやってきた
    • はじめに/シロサケ(秋鮭)の一生/イクラと白子で待遇に違い/ふ化事業に負のスパイラル/生物多様性への配慮/ネコマタギの復権/世界の主流は養殖生産/チリギンと宮城産銀ザケ/ご当地サーモンがブームに/サケにオランダ病?/成長産業化への課題
  • 第7章 資源ナショナリズム:マグロは誰のものか
    • はじめに/何かと話題の太平洋クロマグロ/マグロは共有資源だが……/大間のマグロは一本釣り漁法/3つの市場の危うい均衡/近大まぐろへの期待と課題/近大の次は愛媛大か?/ツナ缶界のキングはビンナガ/FADsの功罪/小島嶼国の資源ナショナリズム
  • 第8章 SDGs:太平洋島嶼国はカツオ街道
    • はじめに/太平洋島嶼での建国/島の陸地と海洋資源/200カイリ体制とカツオ資源/定額料金制のVDS/カツオで潤う国家財政/MIRAB経済/沿岸漁業は家事の1つ/SDGsに照らしてみれば/出稼ぎの功罪/島と海まで売りますか?
  • 第9章 絶滅危惧種:うなぎの親子市場
    • はじめに/ニホンウナギの天然サイクル/ウナギの親子市場/ウナギ資源の減少要因/縮小する市場/絶滅危惧種ビジネス/陸揚げ後にウナギが国際移動/いつも食べているウナギの出自/良い密輸、悪い密輸/ウナギの採捕規制:シラスと天然ウナギ/「食べて増やそう」はいかがなものか/「増やして食べよう」はいかがだろうか
  • 第10章 肉と魚:消費者の魚離れ
    • はじめに/需要側と供給側の要因/平成期に肉が魚を代替/30〜50代が魚離れ/平成期を通じて価格は安定/米は補完財から代替財へ/所得の増減と水産物消費額の減少/高齢化と肉・魚消費/嗜好の変化と需要曲線/時短志向と魚料理の敬遠/家事時間の短縮/調理済み食品へのシフト/供給曲線のシフト/魚離れは下げ止まるのか
  • 第11章 魚あら:ゴミを宝に
    • はじめに/非食用水産物の市場規模/魚あらと食品ロス/魚粉双六/魚粉ひっ迫で魚あらが代替/ふりだしに戻る/魚あら利用のドライバー/魚あらがお宝に変わるまで/製品の高度化・細分化と市場の縮小/鰹節屋の「練節」/魚あら処理の「経済性」/“やっ貝”なことは先送り
  • 第12章 技術革新:スマート漁業への期待
    • はじめに/ルーブリックを用いたICT化の進行経路/漁船漁業はすでに技術集約型/情報の蓄積と流通で双方が利益を享受/夢が膨らむ流通改革/ロジスティクスの最適化/養殖業とICT/水産ICTの波及効果/ICTでアポリアが消える?/インターネット哲学

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