(第71回)リーディングケースの不変の価値(尾崎愛美)

私の心に残る裁判例| 2024.04.01
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

警察犬カール号事件

警察犬による臭気選別の結果が有罪認定の用に供しうるとされた事例

最高裁判所昭和62年3月3日第一小法廷決定
判例時報1232号153頁

近年、AIの進化に伴い、AIを犯罪捜査に活用することについても期待が高まっている。しかし、このような捜査(仮に、「AI捜査」と称することにする。)を通じて得られた証拠の証拠能力を裁判においてどのように評価すべきであろうか。

現在のAIが抱える問題の1つに「ブラックボックス問題」がある。これは、AIによって導かれた結果について、なぜそのような結果が導かれたのか説明が難しいことをいう。結果が導かれる過程がブラックボックスであることは、AI捜査を通じて得られた証拠の証拠能力を検討する上においても課題となるであろうことが予想される。

AIと同様に、メカニズムが未解明でありながらも、一定の基準をみたすことによって証拠能力が認められた最高裁判例として、最高裁判所昭和62年3月3日第一小法廷決定(判例時報1232号153頁)がある。本件は、被告人が、顔面にストッキング様のもので覆面をし、通行中の女性に刃物を突きつける等の暴行、脅迫を加え、その反抗を抑圧して強いて同女を姦淫しようとしたが、通行車両が接近してきたため山中に逃走し、その目的を遂げなかったものの、その際前記暴行により、同女に対し全治3日間を要する傷害を負わせたという強姦致傷の事案である。

本件では、警察犬カール号による臭気選別の結果、現場の足跡から採取した臭気と、足跡追跡中に発見された靴下から採取した臭気及び現場から徒歩約10分の地点に遺留されていた被告人車両の扉の取っ手から採取した臭気とが各々一致するとされたために、被告人は通常逮捕されることとなった。公判では被告人と犯人との同一性が争点となったが、第一審及び控訴審は、上記の臭気選別結果を同一性認定の証拠に採用して、本件を被告人の犯行と断定した。そこで、被告人側は、「犬の臭気選別についてはその正確性、信頼性についての科学的裏付けはなく……このような検査を証拠として被告人を有罪とすることは、憲法31条の保障する刑事裁判における適正手続に違背するものである」と主張して上告した。これに対し、本決定は、「(本件)臭気選別は、右選別につき専門的な知識と経験を有する指導手が、臭気選別能力が優れ、選別時において体調等も良好でその能力がよく保持されている警察犬を使用して実施したものであるとともに、臭気の採取、保管の過程や臭気選別の方法に不適切な点のないことが認められるから、本件各臭気選別の結果を有罪認定の用に供しうるとした原判断は正当である」と判示して、上告を棄却した。本決定以前、下級審においては、臭気選別結果の証拠能力および証明力をともに肯定したもの、証拠能力を肯定しながら証明力を否定したもの、証拠能力じたいを否定したもの、に分かれていたところ、本決定は、最高裁として初めて臭気選別結果の証拠能力について判断を下したものである。なお、本決定後、本決定において示された判断基準に基づいて、「本件臭気選別については……選別犬の……臭気選別能力に対する確たる信頼を置けないこと、加えて選別に使用した臭気(原臭)の問題、選別方法に不適切な点もあること及び選別結果の不自然性も考慮すると、選別結果に高度の信用性(証拠の証明力)を付与することはできない」と判示した京都地裁平成10年10月22日判決(判例時報1685号126頁)は、限界事例として参考になる。

一見すると、AIは科学的原理を基礎とするものであることから、経験則を基礎とする臭気選別に類するものとすべきではないとも思われる。しかしながら、最高裁において本件臭気選別結果が有罪認定の用に供しうると判断された根拠は、「臭気選別能力の特に優れた犬を選び出して訓練を施すことにより、個々人の臭気の異同を高度の正確性をもって識別することができる状態に達し得、その臭気選別結果には一般的に高度の正確性が認められることが経験的に明らか」な点にあるとされる(仙波厚『最高裁判所判例解説刑事篇昭和62年度』〔法曹会、1990年〕51頁)。大量のデータを与えて学習させ、調整(アライメント)を行う事により学習済みモデルを作り上げた上で、推論を行っていくというAIの判断過程は、上述の警察犬の訓練方法と類似した構造を有する。また、本決定については、「基礎にある原理・方法の正確性、信頼性を積極的に検討することなく、当該事案における検査過程の適切さを問題」としたものであるとの指摘があるが(川出敏裕『判例講座刑事訴訟法〔捜査・証拠篇〕〔第2版〕』〔立花書房、2021年〕346頁)、既に実用化されたAIの代表例として挙げられる顔認証システムに関しても、その管理・運用にあたっては、定期的な研修や検証の実施の義務付けといった、手続的規制の整備が重要であるとされている。

現在、AI捜査は、実証実験の段階から現実に活用される段階にシフトしつつあり、近い将来、裁判において、AI捜査の適法性や同捜査を通じて得られた証拠の証拠能力が争点とされる可能性も高まっている。この点、前述した臭気選別とAIの共通性に鑑みると、本決定が示した判断基準は、AI捜査を通じて得られた証拠の証拠能力に関する議論の礎として据えることができるのではないだろうか。本決定は、過去の事例を丹念に読み解きながら、これまで培われてきた議論を現代の問題意識に繋げていくことの重要性と必要性を改めて実感することができる、まさにリーディングケースといえる。


◇この記事に関するご意見・ご感想をぜひ、web-nippyo-contact■nippyo.co.jp(■を@に変更してください)までお寄せください。


「私の心に残る裁判例」をすべて見る


尾崎愛美(おざき・あいみ 筑波大学法科大学院准教授)
株式会社KDDI総合研究所アナリスト、慶應義塾大学大学院法学研究科助教、杏林大学総合政策学部専任講師を経て現職。著書に、『犯罪捜査における情報技術の利用とその規律』(慶應義塾大学出版会、2023年)、『越境するデータと法:サイバー捜査と個人情報保護を考える』(分担執筆、法律文化社、2023年)、『人事データ保護法入門』(分担執筆、勁草書房、2023年)など。