(第69回)刑事裁判における裁判官の信頼度(渕野貴生)

私の心に残る裁判例| 2024.02.07
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

弘前捜索中宅配便捜索事件

被疑者方居室に対する捜索差押許可状により同居室を捜索中に被疑者あてに配達され同人が受領した荷物について同許可状に基づき捜索することの可否

最高裁判所平成19年2月8日第一小法廷決定
判例時報1980号161頁掲載

私は、一応、刑事訴訟法学を専門として標榜する者ではあるが、従来、刑事訴訟法学における王道といえるテーマを扱うのはあまり得意ではない。研究者としてスタートしたときから今日に至るまで、どちらかというと競合他者が少ないニッチな論点の方に自然に興味を惹かれ、それらを研究テーマに据えることが少なくない。それゆえ、刑訴法学におけるメジャーな論点の1つである「物に対する捜査」についても、中心的な研究テーマとしてきた経歴はない。にもかかわらず、この判例が私の心に残っている理由の1つは、この判例について判例評釈をする機会があった(法律時報80巻6号)という点にあるが、理由はそれだけではない。

本事案は、警察官らが、被告人に対する覚醒剤取締法違反事件につき、被告人居室等を捜索場所とし、覚醒剤等を差押えるべき物とした捜索差押令状の発付を受け、午後1時13分ころから被告人方の捜索を開始したところ、捜索実施中の午後2時2分頃、被告人方に被告人宛ての宅配便荷物が配達され、被告人がこれを受領したことに端を発して、刑事訴訟法上の論点を生み出す事件に発展したものである。荷物のなかに覚醒剤が入っているのではないかと疑った警察官は、被告人に対して荷物の開封を求めたが、被告人は開封を拒み続けた。そこで、警察官は、「ガサで来ているから、荷物の中身を確認する必要があり、その権限がある。権限で開ける」と告げて宅配便荷物を開封したところ、覚醒剤を発見したため、被告人を覚醒剤所持で現行犯逮捕し、覚醒剤を差押えた。しかし、捜索令状発付時には捜索場所に存在せず、捜索令状執行中に捜索場所に飛び込んできた物に対して、令状による「権限がある」、すなわち令状の効力が及ぶと言えるのかは、警察官が断言するほど、自明ではない。案の定、被告人側は、本件捜索令状の効力は令状執行中に搬入された物には及ばない旨主張して、捜査の違法を争った。

本決定を評釈することになったのは、当時、定期的に開催されていた刑事訴訟法判例研究会で報告判例として当てられたことが直接のきっかけである。まず、研究会で草稿を報告し、質疑応答で指摘された意見や批判を踏まえて、草稿を練り直したうえで、入稿するという、それ自体は一般的な経緯をたどって、掲載に至った。研究会の場では、本件の捜査を違法と評価し、本決定の結論を批判した私の報告に対して、賛否両論あったが、どちらかというと、「違法とまではいえないのでは?」、「渕野はあいかわらず暴走気味だなあ」という雰囲気が支配的であったように記憶している。

しかし、私が、本決定の事例で最も引っ掛かったのは、なぜ宅配便は捜索令状執行中に届けられたのか、逆に言うと、なぜ宅配便が届けられてから捜索令状の執行に着手しなかったのか、という点であった。もし警察官が本件宅配便が届けられることを予め知っていたら、届けられる前に捜索に着手するような危険なことは絶対にしなかったはずである。なぜなら、少しでもタイミングがずれれば、宅配便が届く前に捜索が終了してしまうかもしれないからである。つまり、警察官にとっても、宅配便が届いたのは、意外な出来事だったのだ。そうだとすると、令状裁判官が、本件宅配便の存在を観念的にであれ認識していた可能性は皆無である。令状裁判官が、本件宅配便を審査することは不可能だったのである。

私にでもわかるこの論理に、最高裁判所の裁判官や調査官が気づかないはずがない。否、気づいていたからこそ、決定は、令状審査の有無には触れずに、令状の場所的効力の点のみに言及して、適法という結論を出したのではないか。もともと裁判官をそれほど信頼していたわけではないが、本決定の評釈を通じて、私の裁判官に対する不信感は、確実に一段階アップした。そして、この不信感は、私の研究アプローチに密かに、しかし確実に影響を与え、その後、自分のなかで勝手に「裁判官に対する不信シリーズ」と名付けているいくつかの論文を書くことになった。私の研究スタイルがますます異形なものになるきっかけを作った判例として、私にとって、心に残る判例である。

ところで、本決定の事例は、その後、ある年の司法試験の題材とされた。その問題について、私は、本務校で法科大学院に所属している関係上、柄にもなく、学内の司法試験解説会で、法科大学院生や受験生に向かって解説した。その際には、自説は司法試験における「正答」ではありえないと思っていたので、大部分は標準的な説明に費やし、最後にちょっとだけ、私は間違っていると思いますけどね、と皮肉っぽく述べて、解説会を閉じた記憶がある。ところが、その後、ある雑誌で、その年の司法試験問題の解説を担当した白取祐司先生から、上級者向けという留保付きではあるが、私の見解が「ありうる」ものとして引用された。私は、常日頃、自説が万人受けすることまでは望んでいないが、そうはいっても、全く見向きもされないのも悲しいものがある。なので、秘かに、この人に理解してもらえたら、そんなにひどい論文ではなかったのだと自分なりに納得できる指標にさせていただいている先生が何人かいる。その中の一人の先生に理解してもらえたことが、本決定が、私にとって心に残る判例になったもう一つの理由である。


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渕野貴生(ふちの・たかお 立命館大学教授)
1970年生まれ。東北大学法学部助手、静岡大学人文学部助教授、同大学院法務研究科助教授、立命館大学大学院法務研究科准教授を経て現職。著書に、『適正な刑事手続の保障とマスメディア』(現代人文社、2007年)、『2016年改正刑事訴訟法・通信傍受法 条文解析』(共編著、日本評論社、2017年)、『判例学習・刑事訴訟法〔第3版〕』(共編著、法律文化社、2021年)など。