人類関心事項としての日本の「入国管理」法制(小畑郁)

法律時評(法律時報)| 2023.07.27
世間を賑わす出来事、社会問題を毎月1本切り出して、法の視点から論じる時事評論。 それがこの「法律時評」です。
ぜひ法の世界のダイナミズムを感じてください。
月刊「法律時報」より、毎月掲載。

(毎月下旬更新予定)

◆この記事は「法律時報」95巻9号(2023年8月号)に掲載されているものです。◆

1 はじめに――2023年入管法改正と世界の移民・難民問題

6月9日、激しい反対の声が上がるなか、入管法(出入国管理及び難民認定法)等を改正する法律(以下、2023年改正)が、可決・成立した。

入管法は、1951年に関係権限が日本政府に返還されることに伴い制定された、ポツダム政令である。そのテキストをみれば、このときの構造をあくまで基礎としながら、それに継ぎ足しと弥縫を積み重ねてきたことが分かる。外国人の入国・「在留」管理は主権作用である、という意識が、それを支えている(入管庁次長・参議院法務委員会、5月18日)。

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この70年余の変化は、この基本構造・意識を時代錯誤のものとしてはいないのだろうか。そして、その時代錯誤性から、入管行政のみならず、日本社会一般、さらには主流公法学も、どれほど免れているのだろうか。

折しも、6月20日、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、全世界で1億1000万人弱が、移動を強いられていると発表した。これに貧困等で移動するほかない人々を加えれば、一体世界にどれほどの越境移動予備軍がいるのか、気が遠くなる事態である。この巨大な圧力に、はたして一国の「主権」で対抗できるといえるのか、そうした危機意識はこの社会では感じられない。遡ること6月14日には、ギリシャ沖で「難民」800人ほどを乗せた漁船が沈没して、600人以上が犠牲になるという大惨事が発生した。日本の報道は、5人が犠牲になった沈船タイタニック見学潜水艇の事故とは対照的に、沈黙ないし無関心で応えた。

現在の日本の入管行政が本当に取り組まなければならないのは、〈自らの生きる意味を賭けて、越境し住処を求め、あるいは新たな住処にとどまろうとする人々〉(以下、広義の庇護申請者)が日々大量に生じているという世界の構造を踏まえて、日本社会のドアをノックしている人々をどう処遇するのか、という課題なのではないか。法学には、その課題を直視する理論の構築が求められている。それなしに、上に見たような日本社会の意識が変化するなどということは、展望できない。

2 国際法における「法の前に人として認められる権利」・「庇護を求める権利」の文脈

日本の主流公法学は、外国人の入国と「在留」については、憲法による制約はあるとしても、「一国法自己完結主義」でそれほど問題ない、と考えている。それは、外国人の入国の許否は、国家の完全な裁量事項であり、また入国の条件についても自由に設定できるので、「在留」中の待遇についても国際法的制約はない、という「理論」によって支えられている。しかし、国際法からは、この「理論」は全く受け入れられない。

まず、外国人の領域内での生活については、国際人権条約の全面的な発展によって、国内法的判断は、最終審級性を全く失っている。平等原則を真正面から掲げる人権条約の規律におよそ意味があるとすれば、入国の際の条件(の執行)の「自由」にも制約がなければならない。

さらに、外国人の入国についても、国家の自由は制約されている。少なくとも「迫害からの」庇護を求める権利は、国際慣習法上確立している(世界人権宣言14条)。重大な人権侵害が待つ領域への送還を禁止するノン・ルフールマン原則は、国境における入国の場面でも適用がある(1976年の国連の領域内庇護宣言3条1項)。ということは、少なくとも、庇護を求める者の言い分を十分に聴取して判断する手続を、入国に際して設けなければならない、ということになる。

こうしたことは、すべての人の「どこであっても法の前に人(personnalité juridique)として認められる権利」(自由権規約16条)からの当然の帰結である。この権利は、司法的救済へのアクセス(access to justice)を保障したものと考えられ、現在の移住者(migrants)の地位を考える上で、鍵となる概念である。知識を有する当事者の側が注意深く適時に裁判に訴えない限り、行政限りの判断で無期限の身体拘束や送還が可能となる現行制度(2023年改正でも同じ)とは、考え方として対極にある。

このような制約は、送還先における迫害や重大人権侵害が合理的に予想できる場合に限るように見える。たしかに、現代の国際文書では、庇護権を「不正」からの避難の場合に限定する傾向がある。しかし、古典的な庇護は、国籍離脱の権利の概念や政治犯不引渡原則に反映しているように、「不正」とはいえないものからの避難にも及んでいた。「あるべき法 de lege ferenda」としては、本人の責めに負わせるべきではない困難からの避難者一般に、庇護を求める権利やノン・ルフールマン原則の享有を認めるべきであろう。

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