(第21回)ティベリス河の彼方へ
機知とアイロニーに富んだ騎士と従者の対話は、諺、格言、警句の類に満ちあふれています。短い言葉のなかに人びとが育んできた深遠な真理が宿っているのではないでしょうか。法律の世界でも、ローマ法以来、多くの諺や格言が生まれ、それぞれの時代、社会で語り継がれてきました。いまに生きる法格言を、じっくり紐解いてみませんか。
(毎月上旬更新予定)
Trans Tiberim.
(Gellius, Noctes Atticae, 20, 1, lex duodeicm tabularum, 3, 5)
トラーンス・ティベリム
(ゲッリウス「アッティカ夜話」第20巻第1章、12表法第3表5)
1 トラステーヴェレ
最近、トラステーヴェレ(Trastevere)という地名は、ローマ観光のホットスポットとして以前よりよく取り上げられるようになった印象がある。トラステーヴェレは、ローマ市内を流れるテーヴェレ川の右岸に位置する地域で、ラテン語で「ティベリス河の彼方へ」(trans Tiberim)に由来する。
紀元前5世紀の半ばに制定された12表法について、ゲッリウス『アッティカ夜話』第20巻第1章は、法律家セクストゥス・カエキリウスと哲学者ファウォリヌスの間で交わされた議論の内容を伝えている。12表法は、債務を返済できなかった場合、人的な執行、最終的には債権者は債務者を殺害することも、「ティベリス河の彼方へ」つまり外国に奴隷として売却することも自由であるとされた(第3表5を参照)。
12表法第3表の手続では、債務について判決を受けた者又は債務認諾者が30日の猶予期間内になお弁済しないときは、あらためて拿捕による法律訴訟(ガイウス『法学提要』4, 21を参照)という執行手続に付された。債権者は判決若しくは認諾と不履行の事実を一定の方式文言を示し、政務官がこれを認めると、債務者は、その身柄を債権者に附与された者(アッディクトゥス)として、奴隷類似の状態に陥り、自ら異議を申し立てられなくなる。ただし、ウィンデクスと呼ばれる担保人が、全部の責任を引き受ける場合、担保人は債務者に代わってただちに支払いをなすか、債権者による拿捕を不当とするときは債権者の訴えに応じなければならず、もしこれに敗訴すると二倍額の判決を受けることになっていた。
債権者は、自己に附与された者を拘束して身柄を監禁することができたが、監禁期間60日間中、市場が開かれる連続した3日間、市場で彼の代わりに弁済してくれる者を求め、60日間が空過してはじめて、外国に奴隷として売却したり、殺害することが許された。12表法の「ティベリス河の彼方へ」という規定は、たしかに現代から見れば非人間的なルールのように思われるだが、この規定が適用されるためには、12表法自体に厳格な手続も定められていたことも忘れてはならない点である。前4世紀に制定された法律によって、12表法の殺害売却の制度は廃止され、債務者の労働によって債権者を満足させるまで、拘束できるにすぎなくなった。
しかし「ティベリス河の彼方へ」という語はその後も長く残っていく。アウグストゥスの時代に都市ローマがレギオと呼ばれる14の街区に分けられた際に、その第14街区は、「トランス・ティベリム」の名前で呼ばれたとされる。3世紀後半のアウレリアヌスの城壁(271-275年)は、ティベリス河右岸で唯一この街区のみを取り込んだかたちで築かれており、19世紀まではこの城壁がローマ市の境界線とされていた。本来ティベリス河がローマの国境であった時代の言葉が、世界帝国となった後まで、そして現代においてもトラステーヴェレという地名に保持されてきたのである。
さて「ティベリス河の彼方」とはどのようなところか、トラステーヴェレの地を離れて、テーヴェレ河を遡行してみることにしたい。
1951年生まれ。広島大学名誉教授。専門は法制史・ローマ法。