メタバース時代の知的財産法?ーー生鮮食料品と求道者(上野達弘)

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月刊「法律時報」より、毎月掲載。
(毎月下旬更新予定)
◆この記事は「法律時報」95巻4号(2023年4月号)に掲載されているものです。◆
1 流行としての「メタバース」
周知のように、「メタバース」が世間を賑わしている。定義については諸説あるが、メタバースとは、多数人が同時にアクセス可能な三次元のオンライン仮想空間を意味すると考えてよかろう。読者の中にも、VRヘッドセットまで持っている強者は稀だとしても、何らかのメタバース経験を有する方も少なくなかろう。
そんなメタバースをめぐって、実に様々な法律問題が生じている。仮想空間内におけるアイテム取引に関する問題や、NFT(非代替性トークン)を活用した仮想オブジェクトの「所有」に関する問題、あるいは、いわゆるアバター(仮想空間における自己の分身となるキャラクター)に対する誹謗中傷等の権利侵害問題など、それは枚挙に暇がない。
知的財産法も例外ではない。現実空間の街を仮想空間に再現する際の著作権や商標権の問題、現実世界のデザインを仮想世界のアイテムに用いる場合の著作権や意匠権の問題、アバターの肖像権・パブリシティ権に関する問題など、これも枚挙に暇がない。そのため、2022年11月には、内閣府の知的財産戦略本部に「メタバース上のコンテンツ等をめぐる新たな法的課題への対応に関する官民連携会議」が設置され、3つの分科会において多面的な検討が行われている。また、民間の動きも盛んであり、例えば、一般社団法人日本デジタル空間経済連盟がデジタル空間経済の発展に向けた課題やニーズの意見集約等を行っており、特に知的財産法上の課題は2022年11月の報告書においても1つの柱になっている1)。こうした議論を受けて、早くも立法論が展開され、2023年通常国会においても、現実世界における商品形態の保護を仮想空間にも及ぼすための不正競争防止法の改正法案が審議される予定である。学界においても、2023年度の著作権法学会(2023年5月27日)において「メタバースにおける著作権」をテーマとするシンポジウムが行われることになっている。
筆者自身、メタバースと知的財産法について講演や座談会に携わったり2)、小稿を認めたりしている3)。本稿の執筆依頼も、その流れで筆者に到達したものと推察される。
2 “生鮮食料品”的な研究?
ところが、かくいう筆者も、実は最近までメタバースについて何も知らなかった。2021年10月、とある懇親会の場でロースクールの元教え子でもある弁護士が「最近はメタバースの仕事をしています」と挨拶していたのを聞いて、あとで「メタバースって何?」と尋ねたのは他ならぬ筆者なのである。
とはいえ、「昔のセカンドライフみたいなものです」という彼の一言だけで、おおむね状況を理解できたのは、2000年代に大ブームとなったセカンドライフを試した経験のおかげなのであるが、他方で、あの頃、「セカンドライフにおける○○法上の課題」などと題する議論が世間を賑わしている様子を、かなり冷ややかに眺めていた筆者には、その後、すぐにセカンドライフが廃れるに伴って、これに関する研究成果が瞬時に意味を喪失したように感じられた経験もあっただけに、現代のメタバースとやらも同種のものに見えたかも知れなかったのである。
そういえば、セカンドライフが流行した2000年代、たしか大阪で情報法関係の会食のようなものがあり、当時すでに著名だったある弁護士の先生が、「俺たちの論文は生鮮食料品みたいなものだからな」とおっしゃっていたことが、今でも強く印象に残っている。あっという間に賞味期限は過ぎてしまうかも知れないが、鮮度の高い研究をリアルタイムに提供することの意義ないし自負を示されたものと理解した。たしかに、少なくとも実務上そのような研究は必要とされていると言えよう。
しかし、当時の筆者は30代で、それなりに研究者としての理想を持っていたのであろうか、やはり研究者としては、50年たっても読まれる古典のようなものを残すべきという(おそらくは分不相応な)意気込みを持っていたため、すぐに意味がなくなってしまう生鮮食料品的な研究などというのは、むしろ理想の対極にあるダークサイドへの入口のように感じてしまったのも事実である。
3 個別問題の検討による法制度の鍛錬と深化
あれから20年。そんな筆者が今や平然と「メタバースと知的財産法」などという論文を公にしているのであるから、そこに理想の道から脱線した人の姿を見いだす向きもあるかも知れない。
ただ、現在、メタバースに関連して多種多様な知的財産法上の課題が生じ、盛んに議論が行われる中で、かつて2000年代に鮮度を失ったようにも見えたセカンドライフに関する論文の多くが改めて参照され、再評価されていることからすると、あれは決して単なる生鮮食料品ではなかったのである。つまり、たとえいかなる個別問題の検討であっても、新しい問題に取り組んだ考察が将来に向けて理論的意義を残すことはあり得るのである。
もちろん、メタバース問題は決してまったく新しいものではなく、すでにインターネットにおいて生じていた問題の延長にあるものが多いと言えよう。例えば、仮想アイテムの取引やアバター間の誹謗中傷、プラットフォーマーの責任といった問題は、インターネット上の問題とその性質において大きな相違がないかも知れない。
しかし他方、例えば、仮想空間内でアバターを操作して踊る行為が実演(著作権法2条1項3号)に当たるのか、当たるとして何が「録画」(同項14号)に当たるのか、そもそもそれをどの国の法律に基づいて判断するのかといった問題のように、従来のインターネットでは必ずしも顕在化しなかった新しい問題も少なからずあるように思われる。
そして、そのような問題の中には、現行法の解釈論・立法論に新たな課題を突きつけるものも含まれる。例えば、現行法や有力説に従うならば、仮想世界では、現実世界におけるデザインを保護する著作権や意匠権がほとんど役に立たないと考えられるため、応用美術の著作権保護や意匠法の在り方が問われている状況にある。そのような中、2023年の通常国会でも、不正競争防止法2条1項3号に「電気通信回線を通じて提供する」行為を追加することによって、現実世界における商品形態の保護を仮想空間にも及ぼすための法改正が行われる予定であるが、それで十分かどうかは今後も議論が予想される。
このように、個別問題の検討は、単に実務上の要請に応えるだけではなく、現行法の解釈論・立法論を鍛錬する役割を果たすことがあるが、さらに、その過程で、知的財産制度の趣旨や原則の再考に至ることも少なくない。例えば、近時流行している生成系AI(例:Midjourney、Chat GPT)に関しても、人工知能が生み出した作品に著作権を認めるべきかという問題を検討する過程で、そもそも“自然人による創作だけが著作権保護を受ける”という原則の意義が問い直されている。こうして、個別問題の検討というのは、学術的考察を深化させる契機ともなり得るのである。
4 「新しい時代」?
もっとも、メタバースというものが、既存の法制度に根本的な変化を迫るほど新規なものかというと、おそらくそうではなかろう。
もともと、知的財産法学(特に著作権法学)においては、新しい技術が登場すると、これを受けた「新しい時代」の法制度がしばしば議論される。1980年代の「ニューメディア」4)や1990年代の「マルチメディア」5)のほか、「ユビキタス」「IoT」「AI」「Web3.0」などのキャッチフレーズの下で様々な議論が行われ、そこでは、「新しい技術」や「新しい時代」が、従来の法制度の修正によっては対応不可能なものであるとして、既存の法制度を抜本的に再構築すべきだという主張が展開されることもある。例えば、2000年前後、従来の著作権法はあくまでアナログ技術を前提とした法制度に過ぎないものであり、デジタル時代に対応するためには、従来の著作権法とは別個独立に「デジタル著作権法」を新設すべきだとする主張も見られた6)。また、デジタル・コンテンツの流通促進を目的として、現行著作権法とは別個の立法として、「デジタル・コンテンツ法」7)や「ネット法」8)を新設する政策提言も展開された9)。
たしかに、そうした議論の中には、我々の中でいつの間にか自明の前提として盲信されてしまっているドグマを問い直す契機を与え、近未来における知的財産法像を占う重要な指摘が含まれる可能性も否定できない。しかし、法制度というものがもともと抽象性を有する以上、たとえ「新しい技術」が登場したとしても、それで直ちに既存の法制度では対応できないとは限らないし、たとえ既存の法制度では対応できないとしても、「新しい酒は新しい革袋に盛れ」というのは、あくまで新しいものと既存のものとが不調和を来していることが前提となる以上、直ちに既存の法制度の抜本的な再構築までが必要になるとは限らない。
結局のところ、いくら「新しい時代」などといっても、既存の法制度の抜本的な再構築を要するようなことは、実際は極めて稀のように思われる。そうである以上、「新しい技術」や「新しい時代」といわれるものが既存の法制度に対してどのようなインパクトを持つものなのか、冷静かつ慎重な見極めが必要なのは当然であろう。
5 時代を超えて変わらないものの探究
今から15年ほど前、筆者は、ある雑誌で「ユビキタス社会と法」という特集に関連して執筆依頼を受けた際、「ユビキタス時代の著作権法」といったタイトルを付けることに抵抗を覚えた結果、「時代の流れと著作権法」というタイトルで小稿を寄せたのであるが10)、それは上記のような問題意識に基づくものであった。
同稿の締めくくりに、筆者は、「いかに技術が発展しようとも時代を超えて変わらないもの、変わるべきでないものはあるのか、あるとすればそれは何かという真理の探究」という(これも分不相応な)問題提起を添えた。このとき、「探究の道を歩み続けることを期して」先送りされることになったこの課題は、あれから15年たった今でも筆者の中で大きな進展を見ていないかも知れない。むしろ忙殺のさなか、30代の頃に抱いていた理想と向き合う余裕さえないのかも知れない。しかし、それでも筆者は、日々の仕事が生鮮食料品に終わらないものと信じると共に、時代を超えて変わらないものの求道から脱線しないように歩み続けたいのである。
(うえの・たつひろ 早稲田大学教授)
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脚注
1. | ↑ | 一般社団法人日本デジタル空間経済連盟「デジタル空間の経済発展に向けた報告書」(2022年11月16日)6頁以下参照。 |
2. | ↑ | 小塚荘一郎=石井夏生利=上野達弘=中崎尚=茂木信二「〔連続座談会〕新技術と法の未来――第1回仮想空間ビジネス」ジュリスト1568号(2022年)62頁。 |
3. | ↑ | 上野達弘「メタバースをめぐる知的財産法上の課題」Nextcom52号(2022年)4頁。 |
4. | ↑ | 「特集:ニューメディアと著作権」ジュリスト850号(1985年)38頁以下、『ジュリスト増刊:高度情報社会の法律問題――ニューメディアの挑戦』(有斐閣、1984年)、播磨良承『ニューメディアと著作権』(世界思想社、1984年)、梶原清治『産業と法――ニューメディアと著作権法』(法律文化社、1997年)等参照。 |
5. | ↑ | 梶野愼一「マルチメディアと著作権」ジュリスト1042号(1994年)74頁、半田正夫「マルチメディアと著作権――デジタル時代に対応した新制度の樹立を」公明395号(1994年)138頁、中山信弘『マルチメディアと著作権』(岩波書店、1996年)、苗村憲司=小宮山広之編著『マルチメディア社会の著作権』(慶應義塾大学出版会、1997年)等参照。 |
6. | ↑ | 半田正夫「わが国の著作権制度と著作権意識――アナログ時代からデジタル時代への転換期へ向けて」『平成12年度市民のための著作権講座――デジタル化と著作権制度』(著作権情報センター、2001年)18頁(「私は、かねてからアナログ技術を前提にした現在の著作権法に、デジタル技術を前提にした改正を接木、接木でやるのは、限界があり過ぎる。全く仕組みが違うんだから、アナログ時代の著作権法とは別建てのデジタル技術を前提にした著作権法をもう1本つくったほうがいいのではないか。そうしたほうがきれいに整理できる、棲み分けができると言っております」とする)等参照。 |
7. | ↑ | デジタル・コンテンツの保護・流通に関する調査研究委員会「提言」財団法人知的財産研究所編『デジタル・コンテンツ法のパラダイム』(丸善雄松堂、2008年)7頁以下参照。 |
8. | ↑ | デジタル・コンテンツ法有識者フォーラム「政策提言」(2008年3月)参照。 |
9. | ↑ | その他の例として、上野達弘「時代の流れと著作権法」ジュリスト1361号(2008年)63頁以下も参照。 |
10. | ↑ | 上野・前掲注9)62頁以下参照。 |