(第59回)バブル崩壊後、担保裁判例が隆盛をきわめた頃――裁判例は、社会の実相を映す鏡のごとく(田髙寛貴)

私の心に残る裁判例| 2023.04.03
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

不動産を目的とする商事留置権の成否、及び抵当権との競合

1 宅地造成請負契約の請負人による債務者所有の造成土地に対する占有が、商人間の留置権の成立に必要な占有といえるとされた事例
2 不動産を目的とする商事留置権の被担保債権の債務者が破産宣告を受けた場合には、商事留置権の留置的効力は失われる
3 商人問の留置権が転化した特別の先取特権と根抵当権との優劣は、商人間の留置権の成立時期と根抵当権設定登記時期との先後により決すべきである

福岡地方裁判所平成9年6月11日判決
【判例時報1632号127頁掲載】

私が最初に取り組んだ譲渡担保の研究に一区切りをつけた後、担保法の全般にわたり関心をひろげられたのは、当期に現れた裁判例を網羅的に紹介し分析を加える研究会に参加の機会を得て、多くの裁判例に接したことが大きい(判例タイムズ「民法判例レビュー」、現在は年2回刊行の『民事判例』(日本評論社)に継がれている)。冒頭の裁判例は、私がその研究会ではじめて報告をしたものである。自身の所有する土地に抵当権を設定して銀行から融資を受け、その土地につき建物建築や造成の工事を発注したものの、工事業者への代金支払も、銀行への借入金返済もできず倒産、そこで、銀行と工事業者とが、それぞれ抵当権と留置権を主張して、債務者所有の不動産に対する自己の優先性を相争った、という事例である。

この裁判例が強く心に残っているのは、私が大学院生の頃、西新宿で目にした光景にも由来する。バブルの残滓のごとき壮麗なビル、その工事用の仮囲いに大書された「この土地建物は当社が留置権に基づき占有をしています ○○建設」の文字。当時は、それが誰に向けた何のためのものか分からず、日常風景に突如現れた法律用語に怯んだだけだったが、数年後、研究会のデビュー報告に際し、このときの状況そのままの裁判例に出会い、その意味と背後の社会情勢を知るに及び、裁判例が真に社会の実相を映す鏡であることを体感することとなった。

バブル崩壊後は、僅かに残った財産をめぐって様々な利害関係人の対立が先鋭化する状況下で、抵当権者の権利行使を妨害する手口も横行していた。留置権もまた然りで、抵当権者を害する意図であえて留置権を作出する例も散見された。効力が異なる抵当権と留置権の争いは「異種格闘技」の様相で、学説上の議論は乏しかったところ、この判決は、紛争の実態に向き合い、抵当権の妨害を抑止しつつ、工事業者の法的保護を確保する方途を摸索したものといえる。私としては大いに啓発され、その後の自身の留置権研究の端緒ともなった。

担保の公刊裁判例は、1990年代後半には年間百件を超えていたのが、その後急速に減少し、2000年代半ばには年間20件程度、ついに今年度は年間で5件に満たない状況となった。好調な不動産市況と、2003年の担保・執行法改正に起因するものと推察されるが、紛争が実際に減少しているとすれば、それは誠に慶賀すべきことである。研究素材が減るのは些か寂しいけれど、ともかくも、私としては、今後も裁判例を通じて社会のいまを捉え、紛争の解決と防止をめざし、研究を続けていきたいと考えている。

 


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田髙寛貴(ただか・ひろたか 慶應義塾大学法学部教授)
1969年生まれ。専修大学法学部専任講師、名古屋大学大学院法学研究科助教授等を経て現職。著書に、『担保法体系の新たな展開』(勁草書房、1998年)、『クロススタディ物権法――事例から学ぶ』(日本評論社、2008年)、『担保法の現代的課題』(編著、商事法務、2022年)など。