(第47回)安全保障概念の多様化(平家正博)

弁護士が推す! 実務に役立つ研究論文| 2022.09.20
企業法務、ファイナンス、事業再生、知的財産、危機管理、税務、通商、労働、IT……。さまざまな分野の最前線で活躍する気鋭の弁護士たちが贈る、法律実務家のための研究論文紹介。気鋭の弁護士7名が交代で担当します。

(毎月中旬更新予定)

J. Benton Heath “The National Security Challenge to the Economic Order”

THE YALE LAW JOURNAL 129(4) 924-1275 (2022) より

近時、主要国において、「安全保障」または「経済安全保障」を理由とする規制を導入・強化する動きが相次いでいる。例えば、日本においても、2022年5月に、重要物資を確保する制度や基幹インフラ設備の事前審査制度を導入し、先端技術開発の支援を強化する、経済安全保障推進法が成立した。

また、少し分野を広げると、近時、人権・環境を理由とする規制を導入・強化する動きも相次いでいるが、これらは、いづれも、経済合理性に基づいて設計された供給網(サプライチェーン)や事業内容の見直しを迫るものであり、今後の事業活動に大きな影響を与える動きである。

このような安全保障・人権・環境の問題に共通する特徴として、関連するルール形成が、多層的(国内・国際)、かつ急速に進展する状況にある点が指摘され、この動向をタイムリーに収集・分析できる企業体制を強化することが重要と考えられる(根本拓・平家正博・中島和穂・藤井康次郎「(第11回・完) 人権、環境および経済安全保障をめぐる通商規制の発展と企業戦略/国際通商政策の最前線」NBL 1218号(2022年5月)、54-61頁)。

では、どうすれば、情報の収集・分析が上手くいくか。一般論としては、やはり、急速に発展するルールの背景・問題意識(例えば、当局者は、どのような事態を懸念しているか)や、動向の全体像を理解することが重要ではないかと思われる。

今回は、このような観点から、The Yale Law Journalに掲載されたJ. Benton Heath “The National Security Challenge to the Economic Order” 【PDF】(以下「Heath論文」という)という論文を紹介したい。

Heath論文は、近年、安全保障概念が多様化する中で、安全保障を理由とする規制を、規律対象から除外していた既存の国際貿易ルールが機能しない場面が生じているとの問題を提起する。

すなわち、従来、「安全保障」が問題となるのは、基本的には、敵性国家との国家間対立の場面であったが、近時は、テロ・国境を越えた犯罪・汚職・感染症・環境破壊・気候変動などの脅威も安全保障の問題として語られる場合があるなど、伝統的な安全保障概念と比較して、脅威対象の拡大、脅威を与える主体の拡大、保護すべき機微産業の拡大、時間軸の拡大(恒常的な脅威)などの傾向が認められるとする。

その上で、Heath論文は、安全保障の対象が拡大する結果、安全保障と経済活動が交錯する場面が増大するが、安全保障を理由とする規制を規律から除外していた既存の国際的な貿易ルールは、このような状況にうまく対応できない可能性を指摘した上で、そのアップデートの方向性について議論を展開する。

このHeath論文は、非常に読みやすい英語で書かれており、安全保障概念の変遷や、それが国際貿易ルールに与える影響について関心のある方は、是非、読んでいただきたい。ここでは、このような安全保障概念の拡大が持つインプリケーションについて、筆者なりの感想を紹介したい。

まず、企業の事業活動への影響という点からは、国内産業基盤の維持・強化が、安全保障政策として語られる傾向にある点は重要と思われる。すなわち、産業政策として講じられていた国内産業の支援策が、安全保障政策として講じられる可能性が増大する中、従前は保護主義的な措置として国際法上正当化が困難であったにもかかわらず、安全保障政策であるとラベルを張り替えることで、正当化される可能性がある点は注視が必要と思われる。その結果、これまで発展してきた、国際的な貿易ルールが形骸化してしまう可能性が懸念されるが、他方で、安全保障の観点から、国内産業基盤の維持は重要ではある点も否定できず、今後、自由貿易とのバランスをどのように取るかが、問われている。

また、Heath論文は、環境破壊や気候変動などの環境問題も、安全保障の問題として語られる可能性を指摘する。一般論として、安全保障が問題となる場合、各国政府には強力な規制権限が与えられているが、環境問題については、各国で置かれている状況が異なり、どのような行為をどの程度規制すべきかについて、必ずしも共通の考えが共有されているわけではない。そのため、このような環境問題の安全保障化が進むと、自由貿易とのバランスが一層問題となる可能性がある。

冷戦終焉後、WTOを基調とする自由貿易の理念が拡大し、国際通商法も、このような時代の下で発展してきた。今回取り上げた安全保障概念の拡大も一例だが、同法を専門とする筆者から見て、現在は、このような大きな枠組みの修正が試みられ、新たな国際貿易秩序が確立される過渡期にあるようにも感じられ、その動向を正確かつタイムリーに把握する必要性が高まっているように思われる。

本論考を読むには
THE YALE LAW JOURNAL


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平家正博(へいけ・まさひろ)
西村あさひ法律事務所 弁護士
2008年弁護士登録。2015年ニューヨーク大学ロースクール卒業(LL.M.)。2015-2016年ブラッセルのクリアリー・ゴットリーブ・スティーン アンド ハミルトン法律事務所に出向。2016-2018年経済産業省 通商機構部国際経済紛争対策室(参事官補佐)に出向し、WTO協定関連の紛争対応、EPA交渉(補助金関係)等に従事する。現在は、日本等の企業・政府を相手に、貿易救済措置の申請・応訴、WTO紛争解決手続の対応、米中貿易摩擦への対応等、多くの通商業務を手掛ける。