(第52回)防衛作用の特殊性と司法審査(神橋一彦)

私の心に残る裁判例| 2022.09.01
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

第4次厚木基地訴訟

1 自衛隊が設置し、海上自衛隊及びアメリカ合衆国海軍が使用する飛行場の周辺住民が、当該飛行場における航空機の運航による騒音被害を理由として自衛隊の使用する航空機の運航の差止めを求める訴えについて、行政事件訴訟法37条の4第1項所定の「重大な損害を生ずるおそれ」があると認められた事例

2 自衛隊が設置し、海上自衛隊及びアメリカ合衆国海軍が使用する飛行場における自衛隊の使用する航空機の運航に係る防衛大臣の権限の行使が、行政事件訴訟法37条の4第5項所定の行政庁がその処分をすることがその裁量権の範囲を超え又はその濫用となると認められるときに当たるとはいえないとされた事例

最高裁判所平成28年12月8日第一小法廷判決
【判例時報2337号3頁】

厚木海軍飛行場(厚木基地)をめぐっては、累次にわたり、周辺住民によって自衛隊機(および米軍機)の飛行差止めなどを求める訴えが提起されてきたところであるが、最高裁は、第1次訴訟判決(1993年)において、「自衛隊機の運航に関する防衛庁長官の権限の行使は、その運航に必然的に伴う騒音等について周辺住民の受忍を義務づけるものといわなければならない」として、自衛隊機の運航にかかる民事差止めの訴えにつき不適法却下した(最一小判平成5年2月25日判時1456号32頁)。そしてその後、第4次訴訟においてこれが行政訴訟で争われることになり、第1審、控訴審のそれぞれ苦心に満ちた判断を経て、最終的に、最高裁は、防衛大臣の権限行使が抗告訴訟の対象となることを前提に、原告の訴えを法定の差止訴訟(行訴訟37条の4第1項)として適法な訴えとしたうえで、実体判断においては、裁量権の濫用踰越を否定し、請求を棄却した(2016年)。

第1次訴訟判決が出たのは、本稿筆者が大学院を修了し、金沢大学に就職する少し前であったが、赴任直後、金沢で行われていた研究会で、同僚であった岡田正則教授が同判決について報告された(岡田正則「公共事業の公権力性と差止訴訟:厚木基地訴訟(第一次)最高裁判決の再検討」法律時報70巻6号95頁)。北陸の小さな研究会ではあったが、中堅、若手の研究者でさまざまな突っ込んだ議論が行われた。私は当時、純粋法学につき若干の検討を行っていたので、この判決のいう周辺住民の受忍義務なるものは、何らの作為・不作為を求めるものではなく、そもそも「義務」とはいえないのではないかと発言した(神橋一彦『行政訴訟と権利論』〔2003年、信山社〕305頁以下参照)。しかしながら、それではどのような訴えが可能かについては、確信が持てないまま約20年が経過し、第4次訴訟に至ったわけである。

この判決の評価については、ここでは立ち入らないが(神橋一彦『行政判例と法理論』〔2020年、信山社〕307頁以下参照)、自衛隊機の離着陸に係る運航を行政処分(防衛大臣の権限行使)と捉えたとき、その実質が何であるかのみならず、具体的な実体判断においても、防衛大臣の裁量権の逸脱濫用とは何かということについて、なお釈然としないものが残るのである。

その後、現職自衛官が提起した、自衛隊法76条1項2号に基づく防衛出動命令に服従する義務の不存在確認を求める訴え(無名抗告訴訟)について、最高裁は、かかる訴えについては、防衛出動命令に基づく職務命令への不服従を理由とする懲戒処分に係る差止めの訴えと同様、処分の蓋然性が訴訟要件として要求されると判示した(最一小判令和元年7月22日判時2452号18頁)。この点、比較の対象とされる国旗国歌訴訟判決(最一小判平成24年2月9日判時2152号24頁)において、懲戒処分の蓋然性は、当該懲戒に関する従前の運用を1つの判断根拠とすることが可能であった。しかし、防衛出動命令に基づく職務命令の場合、その蓋然性なるものの判断に当たっては、「存立危機事態」にかかる時々刻々変化しうるナマの現実に対する評価が必要になるのではないか、またそもそも防衛作用は、非常事態や例外状態を前提としたものであり、処分の蓋然性といっても、両者につき同日に論じることができるのだろうかという疑問がなお残るところである(神橋一彦「防衛出動命令に服従する義務の不存在確認訴訟の適法性〈判例セレクトMonthly/行政法〉」法学教室470号134頁)。したがって、それだけに、行政事件訴訟法に精通した熟達の裁判官が関与した(差戻前の)控訴審判決が、本件訴えにつき、あえて処分の蓋然性要件に触れなかったのも、それなりに理由があってのことではないかと思われるのである。

このように、もともと厚木基地訴訟に関し、本稿筆者は当初、「義務」の概念や抗告訴訟の対象性(処分性)という一般的な問題との関係で興味関心を寄せていた。しかし、かかる問題が、(不満は残るものの)裁判実務上一応の決着をみた今、そもそも防衛作用という行政作用の中でもかなり特殊というべき領域(憲法上は「執政権」にかかるものともいえよう。)にかかる事件につき、これを一般の行政作用を前提にした行政救済制度の中で一体どのように扱うことができるのであろうか――と漠然と考えているところである。


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神橋一彦(かんばし・かずひこ 立教大学法学部教授)
1964年生まれ。金沢大学法学部助教授を経て、現職。著書として、本文引用のもののほか、『行政救済法  第2版』(信山社、2016年)、近時の論文として、「地方議会議員に対する懲罰と『法律上の争訟』―出席停止処分に対する司法審査を中心に 」立教法学 102号(2020年)1頁以下、「公共施設をめぐる『管理』と『警察』―集会の自由との関係を中心に」行政法研究36号(2020年) 1頁以下、「公共施設の使用許可と集会の自由―金沢市庁舎前広場事件を中心に―」 法律時報 93巻7号(2021年)98頁以下、「統治機構の機能維持と司法審査—憲法53条違憲国賠訴訟など近時の事件を中心に」立教法学105号(2022年)68頁以下、「地方議会議員に対する懲罰と司法審査―岩沼市議会事件大法廷判決と今後の展望」大貫裕之ほか編集『行政法理論の基層と先端―稲葉馨先生・亘理格先生古稀記念』(信山社、2022年)349頁以下などがある。また、櫻井智章・鵜澤剛・栗島智明・神橋一彦「憲法と行政法の交差点」が、法学セミナー2022年4月号以降、連載中である。