(第9回)武器の間では法律は沈黙する

法格言の散歩道(吉原達也)| 2022.06.07
「わしの見るところでは、諺に本当でないものはないようだな。サンチョ。というのもいずれもあらゆる学問の母ともいうべき、経験から出た格言だからである」(セルバンテス『ドン・キホーテ』前篇第21章、会田由訳)。
機知とアイロニーに富んだ騎士と従者の対話は、諺、格言、警句の類に満ちあふれています。短い言葉のなかに人びとが育んできた深遠な真理が宿っているのではないでしょうか。法律の世界でも、ローマ法以来、多くの諺や格言が生まれ、それぞれの時代、社会で語り継がれてきました。いまに生きる法格言を、じっくり紐解いてみませんか。

(毎月上旬更新予定)

Inter arma silent leges.

(Cicero, pro Milone, 4, 11)

インテル・アルマ・シレント・レーゲース

(キケロ『ミロ弁護論』4,11)

標題の法格言は、Web日本評論に連載された柴田光蔵先生の「悪しき隣人-ようこそ法格言の世界へ」第13回においてすでに取り上げられたテーマであり、屋上屋を重ねるようになることをご容赦いただきたい。この数か月、ロシアによるウクライナ侵攻という未曾有の事態について、毎日のニュース報道に接するにつけ、心晴れない気持ちが続いている。一日も早く平和が回復されることを祈るばかりである。今回は武力と法律を含む法格言を取り上げてみたい。

「武器の間では法律は沈黙する」にはいくつかの読み方がある。字義通りに解せば、法というものがあくまでも平時をとりしきる技術であり、実力行使の前にはか弱い存在であることを示したものということになろう。筆者自身は、だからこそ、そうならないように努めねばならないという願いを語った格言という印象をいだいているのだが、実際、この法格言がどのように使われてきたのだろうか。

キケロ『ミロ弁護論』

「武器の間では法律は沈黙する」は、キケロの『ミロ弁護論』の一節に由来するという。原文では少し語順が違い、”Silent enim leges inter arma.”となっている。『ミロ弁護論』は、キケロの数ある法廷弁論のなかでも傑作に数えられ、「語り」と「論証」の手本として名高いとされる。柴田先生の一連のキケロ法廷弁論研究のなかで『ミロ弁護論』も扱われている。

『ミロ弁護論』は、紀元前52年、ティトゥス・アンニウス・ミロが、クロディウス殺しのかどで訴えられた事件で、キケロがミロのために弁護の論陣をはった記録である。さかのぼること10年、前62年から61年にかけてのカティリナ陰謀事件に際し、当時ローマ政界トップの要職である執政官(コンスル)職にあったキケロは、謀反人処刑によって事態の収拾をはかった。しかしこのことが逆に反対派の不興をかうことになり、執政官退任後は政治的な失脚を余儀なくされる。なかでもキケロと敵対関係にあったカエサルの一派クロディウスは、カティリナ事件後のキケロ追い落としに大活躍したこともあって、キケロにとっては不倶戴天の敵ともいえる存在であった。そのような人物が殺されたというのである。

当時、このクロディウスも、ミロも、自らの奴隷や剣闘士からなる私的な武装集団を組織していて、何ごとも力に物をいわせる強面の人々であった。このときは、次期政務官選挙に向けて、平民派のクロディウスは執政官職を、閥族派のミロは政界No.2の法務官(プラエトル)職を目指していたこともあり、人々の注目を集めていた。そのようななかで事件は起こる。前52年1月にアッピア街道で両者の武装集団が遭遇した際に、大乱闘のなかで、クロディウスが殺される。当時、執政官職にあった閥族派のポンペイウスが事態収拾にあたって、平民派のカエサルと結託し、閥族派の有力者ミロを裁くという方策に出た。周囲を武装集団が取り囲み、弁論時間も厳しく制限された特別な法廷で、キケロはミロのためにひとり弁護演説を行う。その論拠の1つが標題の格言とかかわる。

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吉原達也(よしはら・たつや)
1951年生まれ。広島大学名誉教授。専門は法制史・ローマ法。