『民法ノート 物権法1[第4版]』(著:鎌田薫)

一冊散策| 2022.05.23
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

はしがき(初版)

私が研究生活を始めたばかりの頃に、恩師篠塚昭次教授が「ほんの思いつきのようにみえる短い文章も、実は相当深く考えた末の結論なのだから、簡単に批判できると思ってはならない」と仰っていたことを、今でも奇妙によく覚えている。法律の解釈は、条文の文理・制度の沿革・論理的一貫性・体系的整合性・具体的妥当性などに関する高度で入念な検討を尽くして行われなければならないが、そうした検討の末に導かれる命題は、誰でもすぐに理解し容易に記憶できるほど簡潔明瞭に表現されているものが優れていると思う。民法の解釈論に関する講義や教科書の記述は、壮大な民法(学)の全体像を描き出すことを主たる目標としているから、必然的に、解釈論的作業の結論を重視し、その結論を導く過程の詳細に立ち入ることができない。しかし、法律学をよりよく理解し、これを自在に操れるようになろうとするならば、判例や学説によって採用された解釈論上の結論を所与のものとして受けとめるのではなく、なぜそのような解釈論が展開されるに至ったかを正確に理解し、その意義と限界を探求することを第一の課題としなければならない。そのためには、講義や体系書を通じて全体的な体系を把握することのほかに、重要な論点について、立法資料・判例・本格的研究論文などと取り組んで解釈論的な作業の全過程を追体験してみることが有用であろうと思われる。

しかし、こうした作業は著しく困難で多大な時間も要し、すべての論点についてこれを行うことは不可能である。そこで、これを効率的に行わせるために、さまざまな工夫をこらした演習書や解説書の類が数多く出版され、ますます軽薄短小化が進みつつある。こうした傾向に対しては、いささか安直にすぎるとか、まっとうな研究者の行う仕事ではないという批判があり、共感するところもないわけではないが、大学の教員たる者は自らの学問を学生に開陳する責任を負っているはずであり、わが国の法学教育は法曹養成のみを目的としていないという特殊性を考慮すると、自らの学説をわかりやすいかたちに整えて学生に提示する作業は不可欠のもののように思われる。私自身の経験からも、末弘厳太郎博士の名著『民法雑記帳』を初めとして、我妻栄『民法案内』、幾代通=鈴木禄弥=広中俊雄『民法の基礎知識(1)』、篠塚昭次『論争民法学1』、水本浩『民法セミナー』、加藤一郎『民法ノート』、幾代通『民法研究ノート』などの学生向けの書物を通じて、学問の魅力を感じ学習意欲をかき立てられてきたし、今でも、これらの書物から強烈な刺激と多大な教示を受けている。

本書に収められた論文も、大部分が、学生向けの演習書や学習雑誌に発表されたものである(後掲「初出一覧」参照)。もともと一冊の書物にまとめることを予定して書かれたものではなく、執筆の時期や企画の趣旨もまちまちであるから、本書にまとめるにあたってすべての論文について手直しをし、一部のものについては相当大幅に書き直したとはいえ、論文の体裁や表現、参照文献の引用の有無・方法等に統一がとれておらず、多少の重複も免れていない(参照文献の引用や初出後の重要論文の紹介が不十分であることも、ここでお詫びしておきたい)。しかし、全体を通じて、①単に解釈論上の結論を分類整理するにとどめるのではなく、なぜそのような問題が生じ、いかなる考慮が議論の対立を招いているかを明らかにすることを最重要課題とし、②初学者の勉学にも資するため、判例・通説については必ずこれを正確に紹介するだけでなく、説明のための理論枠組みも判例・通説のそれを基本とし、自説への作意的な誘導は回避する(とくに自説と判例・通説の距離が遠い物権変動論においては、この点に強く配慮した)一方で、判例・通説に盲従することなく、その問題性を明らかにして新たな解釈論に向けての視点を提供するように努め、③その際、実質的価値判断の対立と法的構成の相違との混同に由来する議論の混乱を整理し、両者の正しい対応関係のあり方を明らかにするよう配慮したつもりである。この点において辛うじて一応の統一性を保っており、前頁に掲げた名著には及ぶべくもないが、それでもなお学問的にも一定の存在意義を有するものとなっていると信じている。

法律学者の本分は、ライフワークともいうべき本格的研究書と独自性のある体系書を著すところにあるといわれている。大先輩の先生方のご好意もあって、比較的若い時期から研究書・体系書を出版する機会を与えられながら、その約束を果たせないまま刊行予定日を徒過したものだけでも五指に余る状況の中で本書を刊行することはいささか背信的でもあり、若干の躊躇もあった。しかし、かねてより学生との「緊張関係」の維持を最優先課題とすべきであると考えてきたところに、本年三月に行われた長女の骨髄移植手術に際し、池田眞朗・浦川道太郎・内田勝一・近江幸治各教授をはじめとする数多くの先生方のご配慮のもとに、早慶両校の法学部生を中心に二〇〇名にも及ぶ学生諸君から供血の申出その他の支援を受けた。そこで、彼らの好意に応え、かつ、私の学生に対する一方的思い入れに幾分かの満足を与えるために、学生諸君を直接の名宛人とした書物を、私の単独執筆による最初の刊行物としたいと考えるに至った次第である。

本書が成るに当たっては、いうまでもなく、実に多くの先輩・同僚諸兄の暖かいご指導やご助力があった。ここにそれらの先生方のお名前を掲げることは差し控えざるをえないが、本書に収録した論文のうち『分析と展開・民法I』から転載された四点(第三版では一点)は、山田卓生・野村豊弘・円谷峻・新美育文・岡孝の各教授との討議を経たものであり、貴重なご意見を頂戴したことと本書への転載をお許しいただいたことに対しては、とくにお礼を申し上げなければならない。また、本書が企画されてから完成に至るまでには相当長い時日を要したが、この間一貫して日本評論社編集部の加護善雄氏にお世話になった。同氏の忍耐強いご努力がなければ本書は永遠に日の目を見ることはなかったであろう。ここに記して謝意を表することとしたい。

一九九二年七月
鎌田 薫

第三版へのはしがき

本書を刊行してから十五年の歳月が経過した。この間に数多くの新判例が登場し、学説にも新しい動きが出、さらに民法も現代語化されるに至っている。これまでも増刷の度に最低限の補正や追記を行ってきたが、今般、全体を見直し、記述の不明確であった部分や判例に新たな展開がみられた部分について加筆訂正することにした。その結果、担保物権関係の論稿には全面的な書きかえを必要とするものが多く、初版以来の構成を全面的に再編せざるを得ないとの結論に達した。また、近年のカリキュラムにおいては、物権法と担保物権法を別の科目として授業を行うものが増えているようであるから、学生の便宜も考えて、物権関係の論稿に新たに追加するもの四編を加えて『物権法①第三版』とし、担保物権関係の論稿は別にまとめることとした。
この作業に当って、第二版に引き続き、舟橋秀明氏(札幌大学准教授)および柴原宏昭氏(早稲田大学助手)から数多くの貴重な意見や修正提案をいただいた。この場を借りて厚くお礼申し上げたい。

二〇〇七年一〇月
鎌田 薫

第四版へのはしがき

本書は、幸いにして、予想以上に多くの版を重ねることができた。増刷の度に新たな判例・学説の動向等を反映させる補訂を行い、第三版においては、全面的に構成を再編し、掲載論文の差し替えを行った。その後は、本書の目標との関係で必ず追加しなければならない判例等もそれほど多くはないが、民法(債権関係)の大改正(二〇一七年)、相続法の一部改正(二〇一八年)、民法成年年齢の引き下げ等の改正(二〇一八年)、所有者不明土地問題等に係る民法・不動産登記法の改正(二〇二一年)など、大きな改正が相次いだ。そこで、それらの改正内容を反映させるための補正を行い、これを第四版として上梓することとした。当初は、全面的な書き換えを意図したが、諸般の事情により、今回は旧版の頁を動かさないかたちで必要最低限の補正をするにとどめ、本格的な書き換えは他日を期すこととした。
出版事情の厳しい折にこのようなかたちでの改訂を許していただいた日本評論社に心からの謝意を表したい。

二〇二二年二月
鎌田 薫

目次

はしがき
1 意思表示による物権変動
一 二つの立法例
二 「意思主義」をめぐる諸問題
2 「対抗要件主義」の基本問題(1):対抗問題と公信問題の区別
一 「対抗することができない」の意義
二 対抗問題と公信問題の区別
三 対抗問題と公信問題を区別する基準とその問題点
3 「対抗要件主義」の基本問題(2):一七七条の適用範囲
一 登記がなければ対抗できない「第三者」の範囲
二 登記を要する「物権変動」の範囲
三 まとめ
4 「二重譲渡」の法的構成
一 「二重譲渡」とは
二 伝統的学説の概観
三 新たなアプローチ
5 背信的悪意者
一 判例の展開
二 背信的悪意者排除説の意義と問題点
三 残された課題
6 背信的悪意者からの転得者と民法一七七条の第三者
一 事実の概要と判旨
二 先例・学説
三 評論
7 法律行為の取消しと登記
一 判例・通説
二 対抗問題説と無権利説
三 妥当な解決に向けて
四 むすびにかえて:「公信力説」の可能性
8 相続と登記
一 問題の所在と判例
二 共同相続と登記
三 遺産分割と相続放棄
9 取得時効と登記
一 判例理論とその問題点
二 登記尊重説の立場から
三 占有尊重説の立場から
四 新たなアプローチ
五 もう一つのアプローチ
10 不動産の取得時効完成後の譲受人と背信的悪意者
一 事実の概要と判旨
二 先例・学説
三 評論
11 登記請求権
一 問題の所在
二 登記請求権の意義と発生原因
三 中間省略登記請求の可否
四 中間者の登記請求権
五 真正な登記名義の回復
12 不動産の付合
一 付合制度の概要
二 類似の制度との関係
三 借家人による賃借建物の増改築と付合
四 むすび
13 共同所有
一 共有および持分の法的性質
二 共有者による共有物の利用
三 共有物の第三者に対する賃貸をめぐる諸問題
四 共有物の分割
五 むすび
14 共有物の利用と明渡請求
一 事実の概要
二 判旨
三 解説
事項索引

書誌情報など