『子どものこころと脳:発達のつまずきを支援する』(編:青木省三・福田正人)

一冊散策| 2022.03.29
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

 

 

はじめに──脳と環境とこころは影響し合っている

青木省三

子どもの精神障害や発達障害は,脳と環境とこころの3つが影響し合ったものと理解していくことが大切である。子ども(もちろん大人であっても)は,脳だけで理解できるものでも,環境だけで理解できるものでも,こころだけで理解できるものでもない。脳と環境とこころの相互作用のなかで,障害や問題は現れてくる。

特別支援学校に赴いて,中等部の男子の相談に乗ったときのことである。自閉スペクトラム症および軽度知的障害と診断されていたA君は,緊張した面持ちで母親と一緒にやってきて,筆者の質問に短く答え,退室した。時間は短かったが,少なくともその場で大きな問題は感じなかった。

A君の退室後,母親が,「このところ,私に対して急に手が出るんです。父親がいると出ないのですが,私だけのとき」と話した。これが母親の心配していたことであった。「どんなとき,どんな場面で?」と尋ねてみたが,はっきりしないという。母親は「これが習慣になって,他の人にも手が出るようになったらと心配です」と話した。傍らで担任教師が,「学校ではそのようなことはなく,落ち着いています。しっかりとした子どもです」と話した。いろいろと話し合ったが,母親に手が出る原因はわからず,とりあえず「手を出すこと,暴力は絶対にいけないことを,繰り返し伝えていきましょう」ということで,母親とは別れた。この時点で私には,A君が母親に衝動的に手を出す理由がわからなかった。ただ何かによって脳が活性化し衝動性が亢進しているのではないかと考えていた。行動変化の原因として脳の要因を考えていたのである。

母親の退室後,担任が「1つ気になることがあるんです。この子は忘れ物が多いんです。というか,お母さんが持ち物に気づかないようで,財布とかの大切なものをいつも忘れてくるんです」と話した。母親の前では,母親を傷つけてはいけないと思い,言えなかったという。「お母さんに不注意がある?」と尋ねると,「家の整理や片づけもうまくできないようです」ということだった。担任によると,夜の9時を過ぎてA君が眠たくなった頃に,突然,「明日の準備をしなさい」などと言うこともあることがわかった。家事などに時間がかかり,9時過ぎになってA君に声をかけるようであった。その話を聞いて,A君は母親の唐突な言動に反応してパニックとなり,手を出しているのではないかと,筆者は考えるようになった。母親への暴力は単に脳の問題ではなく,母親の不用意で不適切な言動に対してのパニックに近い反応,うまく表現できない不安や怒りの表出ではないかと考えた。環境の要因に気づいたのである。

きっと母親も発達障害の傾向をもち,家事や子育てに時間がかかり,十分にできていなかったのであろう。時間的にも心理的にもゆとりがなかったのではないか。もちろん母親に悪意はないのだが,不用意で不適切な言動が子どもを混乱させていると考えると,必要なのは,母親の日常生活への助言や支援ではないか。

このように考え,以後,担任は母親とより緊密に連絡をとり,A君の家庭生活が落ち着いたものになるように助言していった。それだけでなく,学校やデイサービスなどの明確な枠組みのなかで過ごす時間が増えることで,手が出ることは減り,やがてなくなっていった。

子どもが自分の体験していることを話さないのに加えて,親や周囲の人が子どもの体験に気づいていないために得られる情報が少ないときには,子どもの「問題行動」(誰にとって,何が問題かに注意が必要であるが)は,発達特性が活性化した「脳の問題」のように見えてくる。だが,情報が増えてきたとき,単なる「脳の問題」ではなく,そこに「環境の問題」が深くかかわっているのがわかることがある。「こころや行動の問題」は,「脳の問題」と「環境の問題」が,個々によってさまざまな割合で影響し合い,起こっているのである。脳と環境とこころのどれか1つだけで理解しようとしない姿勢が,子どもの臨床には求められる。

子どもを診るとき,①診察室などで目の前の子どもを見ること,②家族から日常生活の情報を得ることは必須である。それに加えて,③学校や施設の情報なども重要である。①は,診察室だけではわかりにくく,プレイルームや待合室などで子どもが遊んでいる姿や,子どもと親の待ち方などが参考になる。②は,とても大切なものであるが,親が問題だと感じていないことは当然ながら話されない。極端な場合は,「別に普通です」という答えになる。そんなとき,③の,家庭とは異なる生活場面の情報が重要になるのである。

子どものこころは,脳と環境の双方から影響を受ける。持って生まれた特性や気質に環境からの影響が加わり,子どものこころのなかの体験や行動が生じてくる。また逆に,子どものこころの不安や恐怖が行動の変化となって現れてくると,それが周囲の人たち(子どもの環境)を混乱させたり,脳の興奮を引き起こしたりする。脳と環境とこころは,互いに影響し合っているのである。

上述したA君は,最初は脳の問題のように見えたが,途中から環境の問題が大きいのではないかと考えた例である。ここでもう1つ,環境がこころと脳に影響を与えていた例を紹介してみよう。

ある中学校での出来事である。学年が上がり,新しい環境に反応するように,B君が大声を出したりして荒れるようになった。それによってしばしば授業が中断されたので,担任はB君に「静かにしなさい」「席について」などと大声で注意したが,なかなかおさまらなかった。大声が飛び交うざわざわした教室のなかで,今度はC君がパニックや自傷行為を起こすようになった。B君や担任の大声が,落ち着いていたC君には刺激となり,パニックや自傷行為を引き起こしたのである。このような教室の環境を知らず,診察室で子どもと親だけの話を聞いていると,「自閉スペクトラム症が悪化したので,とりあえず薬物で興奮を鎮める」といった対応になってしまうことがある。しかし,教室のなかで玉突き現象のようなものが起こっているとわかると,治療や支援のポイントは,教室が落ち着いた状態になるにはどうすればよいかであることが見えてくる。まずは,教師が大声で叱るのをやめる。そして,教室が安全で安心な場になるにはどうすればよいかと考えることが,第一優先となるのである。

逆に,こころが脳に影響を与えていた例を紹介してみよう。

教室のなかでパニックを頻発し,大声が出て止まらなくなったD君。心配した教師が付き添い,なんとか鎮めようと「落ち着いて」「大丈夫だよ」などと話したが興奮はおさまらなかった。D君は困ったことをうまく言葉で伝えることができず,教師が熱心に話しかけると,ますます興奮を強めるようであった。付き添いや声かけが役に立たず,逆にD君の脳の興奮を強めるという悪循環となっているようなのである。しかし,話を聞いていると,対応する人によってD君のパニックや大声の程度が異なることもわかった。熱心な教師のほうが興奮が続きやすく,さっぱりとした(突き放したような)教師のほうが短くおさまるという。

こころへの熱心な働きかけが,ときに脳の興奮を引き起こす(誤解がないように付言すると,熱心さがよくないのではない。熱心さが症状に向けられると,症状が増悪する場合がある)。教師が心配して話しかけることが,パニックや大声を強化している場合もある。

そこで筆者は,大声が止まらないときには,声かけを減らし,静かな部屋で脳を鎮めること(クールダウン)を提案した。こころへの働きかけを減らすことが,興奮を鎮めるのに役立つことがあるからである。だが,これは意外と難しい。教師やスタッフにとって,子どもを放っておくことは,子どもに冷たく接しているように,そしてみずからの責任を放棄したように感じられるからである。この場合,大切なのは,放っておくのではなく,子どもの脳の興奮を鎮めるにはどのような接し方が適切かと考えることである。

なおときに,クールダウンということで一人でいることが,子どもには懲罰のように感じられたり,見放されたように感じられることもあるので,注意が必要である。人のかかわりは無条件に良い・悪いというものではなく,その程度とタイミング,そしてそれが何に働きかけているかという判断が大切となる。

このように,脳と環境とこころは,相互に影響し合っている。子どもの精神障害や発達障害を診るときに,絶えずこの3つを念頭に置いて,治療や支援を行う必要がある。これが本書を編集した趣旨である。

目次

はじめに──脳と環境とこころは影響し合っている 青木省三

【第Ⅰ部】脳と環境とこころ

第1章 こころの発達と脳──高次脳機能障害,発達障害,環境的発達不全をつなぐもの 滝川一廣
はじめに/問題のポイント/高次脳機能障害とは/注意の制御と「フレーム問題」/なぜ「注意障害」が起きるのか/なぜ「情緒の脱抑制」が起きるのか/おわりに

第2章 環境がこころと脳の発達に及ぼす影響 山下 洋
はじめに/心身の健康の社会的決定因とライフコース/脳の可塑性と早期環境──社会的認知の初期発達のカスケード/レジリエンスとしてのシンクロニー──他者と響き合う脳とこころ/おわりに──こころ‐脳‐環境の重ね描き

【第Ⅱ部】こころの発達のつまずきと脳

第3章 アタッチメントの発達/つまずきと脳 友田明美
はじめに──アタッチメント(愛着)とは/アタッチメントの3つの形──「安定型」「回避型」「抵抗型」/アタッチメント形成のプロセス/健やかなアタッチメントの発達と脳との関係/アタッチメント障害──反応性愛着障害・脱抑制型対人交流障害/おわりに

第4章 言語の発達/つまずきと脳 橋本龍一郎
はじめに/発達性吃音──発話の発達とつまずき/発達性ディスレクシア──「読み・書き」の発達とつまずき/特異的言語発達障害──音声言語と文法の発達とつまずき/自閉スペクトラム症──言語の使用のつまずき/おわりに

第5章 社会性の発達/つまずきと脳 十一元三
はじめに/発達症にみられる発達のつまずき──SD/発達症にみられる発達のつまずき──ADHD/発達症におけるつまずきの神経基盤/おわりに

第6章 感情の発達/つまずきと脳 相原正男
はじめに/情動・感情の発達/情動を認知神経科学的に評価する/おわりに

【第Ⅲ部】発達のつまずきの理解と支援

第7章 子どもの精神医学における脳から行動までの距離 本田秀夫
「脳‐(こころ)‐行動」モデルから成る子どもの精神医学/DSM-5では神経発達症の基準に「困っていること」が含められている/異常はたしかに存在する,でも完全に分離はできない/分類そのものが抱える原罪的難問/行動と脳との間に介在するこころ/DSM-5で診断される神経発達症の原因やメカニズムを研究することの問題点/子どものこころの脳科学的理解を進めるために/おわりに

第8章 自閉スペクトラム症──その本態は何か,当事者の支えとして何が必要か 岡田 俊
自閉スペクトラム症の位置づけ/発達障害としての自閉スペクトラム症/自閉スペクトラム症と脳機能・神経発達/自閉スペクトラム症とこころの発達/当事者の支えとして何が必要なのか

第9章 ADHD──脳とこころと人生 田中康雄
はじめに/ADHD概念の歴史的変遷/ADHDの器質・機能的障害/ライフステージでみられるADHDとともに生きる姿/おわりに

第10章 習癖異常 金生由紀子
はじめに/習癖異常とは/治療・支援に向けた理解/治療・支援の実際/おわりに

第11章 強迫症状・強迫症 根來秀樹
はじめに/強迫症状と「こだわり」/強迫症状と発達過程/強迫症状と生物学/強迫症状と脳科学/強迫症状とチック/症例・A君/おわりに

第12章 うつ病 傳田健三
はじめに/子どもから大人まで続く連続体としてのうつ病/児童・青年期うつ病の神経生物学/児童・青年期うつ病の発症モデル――ストレス‐脆弱性モデル/治療/大人のうつ病と発達障害から見た子どものうつ病/おわりに──今後の課題

第13章 子どもの睡眠の問題──神経の発達にどう意味をもつのか 堀内史枝・河邉憲太郎
はじめに/睡眠のメカニズム/睡眠の発達/子どもにとって必要な睡眠時間は?/睡眠障害について/おわりに

第14章 心身症・摂食障害・身体症状 井上勝夫
はじめに/心身症/摂食障害/身体症状/おわりに

第15章 ゲーム,インターネットの嗜癖と「脳」 吉川 徹
今,わかっていることは意外に少ない/脳の変化をどう評価するか/今,わかっているかもしれないこと/今,できるかもしれないこと──ゲーム・インターネット嗜癖の予防と対応/ゲーム,インターネットと脳──ゲーム脳騒動を再発させないために

【第Ⅳ部】こころの支援と脳の発達

第16章 脳と環境とこころを視野に入れて,治療や支援を考える 青木省三
脳と環境とこころの,どこに働きかけるか/理解の仕方によって,治療や支援は異なる/子ども自身はどう感じ考えているか/行動をていねいに観察することも大切である

第17章 子どもの発達を支える心理療法 村上伸治
はじめに/虐待による脳変化/いじめの侵襲性/ネガティブ認知の悪循環/親子の相互作用/障害児の療育/治す治療,育てる治療/窓ぎわのトットちゃん/「自分いじめ」を止め,成長を育む/おわりに

第18章 早期療育の現場から 若子理恵
はじめに/精神発達障害の「こころ」と「脳」への発達支援/他の障害・疾患からみた発達障害児の「こころ」と「脳」/おわりに

第19章 脳について知ることの意味──児童養護施設職員にとって 内海新祐
はじめに/脳から見ることが腑に落ちる例/問題は,脳の機能不全それ自体というよりも……/脳から見ることで少しこころに近づけることも/自分のこころを使って相手のこころを思うこと/おわりに

第20章 子どもの薬物療法──発達を助ける視点から 飯田順三
はじめに/子どもに向精神薬を処方する意味/子どもに向精神薬を処方する際の注意点/神経発達症における薬物療法/おわり

本書は,『こころの科学』200号(2018年7月号)特別企画「子どものこころと脳」をもとに書籍化したものです。

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