(第5回)経済産業省事件再考――トイレ問題から差別問題へ・控訴審判決をめぐって(立石結夏)

特集/LGBTQ・性的マイノリティと法――トランスジェンダーの諸問題| 2022.03.25
LGBTQあるいは性的マイノリティの人権問題が日本社会の中で注目を集めるようになってから久しいですが、未だその人権保障状況が充分に改善しているとはいえません。本特集では、まず「トランスジェンダー」といわれる人々の人権問題について、特に法的な観点からの分析や議論を紹介します。

はじめに

本件は、経産省の職員である性同一性障害者の女性(以下、「原告」という。)に対し、同省が定めた職場の処遇等が問題となった事件である。

2021(令和3)年5月27日、東京高等裁判所は本件の控訴審判決(以下、「高裁判決」という)を言い渡した。この判決は、原告の女性用トイレの制限を違法とした一審判決を覆し、「二審は女性用トイレの使用を認めず」等と報道された。

この報道の見出しは不正確である。まず経産省は、訴訟提起前も現在においても原告に女性用トイレの使用を認めている。ただし、一部の女性用トイレの使用を認めていないため、これが差別的取り扱いではないかが争点となった。

次に、そもそも本件は女性用トイレの問題に矮小化できるような問題ではない。問題となっているのはトイレの問題だけではないし、本件全体を俯瞰してみると、多数者が無意識に加担してしまう性同一性障害者・トランスジェンダーへの差別が問題となっている。そのことを知っていただきたく、本稿では事案の概要を詳しく述べることにする。

なお、筆者は原告訴訟代理人の一人であるが、本稿は筆者個人の見解を述べるものである。

事案の概要

(1) 原告の状況

原告は、生物学的な性別及び戸籍上の性別は男性であるが、性自認(性の自己意識)は女性である性同一性障害者(いわゆるMtF)である。原告は幼少期からの性別違和に悩み、性同一性障害の診断を受け、ホルモン療法等を受けながらプライベートな場所では女性として生活していたが、2009(平成21)年に原告は上司に自身の性同一性障害を打ち明け、女性職員として勤務したい旨の希望を出した。

経産省の人事を担当する秘書課との話し合いを経て、2010(平成22)年7月、原告の所属部署が説明会を開催し、原告が性同一性障害者であることや今後は女性職員として勤務することが他の職員に告げられた。これは、当時は男性だと思われている原告がある日突然女性の身なりで出勤した場合に職場が混乱するであろうという配慮から、原告も納得して開催された説明会であった。同時期に経産省は原告に、女性用休養室、女性用トイレの使用、乳がん検診の受診等を許可することを告げた。ただし女性用トイレについては当面の間、原告が勤務する部署がある階から2階以上離れた階のトイレを使用するよう条件を付した(以下、「女性用トイレの一部制限」という)

説明会の翌週から、原告は女性職員として働き始めた。

ところで、戸籍上の性別変更手続を行うには性別適合手術を行わなければならないが(性同一性障害者特例法3条第1項4号・5号)、原告は医学的理由から同手術を受けられず、性別変更手続ができないまま現在に至っている。

(2) 2011(平成23)年以降の職場の処遇

当初の秘書課人事担当者が異動した後、その後任や原告の上司らが原告に対し、「性別適合手術を受けなければ異動はできない」、「性別適合手術を受けないまま異動した場合には異動先でカミングアウト(原告が性同一性障害者であり、戸籍上の性別は男性であることを周囲の職員に説明すること)をしなければ、女性用トイレの使用を認めない」等と言うようになった(以下、下線部を「本件異動条件」という)。その中で、上司らは「性同一性障害であっても、女性用トイレを使用するのは(他の女性職員に対する)セクハラになりうる」「労働安全衛生法規則に違反する」「私(男性の幹部職員)が女装をして女性用トイレを使用すれば逮捕される」「私が女性トイレ行ったらつかまりますよね。ちかんと同じ条例で捕まると思う」等と発言した。

原告は、自身の女性用トイレの使用が本当に法令に違反するのか確認するため、人事院、厚生労働省、及び警察庁に出向き、上司らが問題にした法令に係る事項を一つ一つ照会したが、いずれも原告の女性用トイレの使用が法令や条例に違反するものではないとの回答を受けた。原告はこの照会結果に加え、男性で就職した後に性同一性障害の診断を受け、女性として勤務し続けている民間企業6社の事例を秘書課に伝達したが、秘書課は上記見解を訂正することもなく、本件異動条件を維持した。

このような状況下で原告は抑うつ状態となり、約1年2ヶ月間の病気休職を余儀なくされた。

なお、原告は本件異動条件のために異動の希望を出すことができず、10年以上人事異動をしていない。

(3) 人事院に対する行政措置要求と訴訟提起

2013(平成25)年12月、原告は本件異動条件や女性用トイレの一部制限を撤回すること等を求め、人事院に対して行政措置要求1)を行ったが、2014(平成26)年5月、人事院は2名の女性職員から抵抗感があるとの意見があったこと等を根拠として原告の要求をすべて認めない旨を判定した。

2015(平成27)年11月、原告は行政措置要求判定取消請求訴訟と、職場の処遇と上司らの発言についての慰謝料、病気休職による逸失利益、治療費等の賠償を求める国家賠償請求訴訟を同時に提訴した。

裁判所の判断

東京地方裁判所(東京地判令和元・12・12労判1223号52頁)は、① 女性用トイレの一部制限、②「なかなか手術を受けないんだったら、男に戻ってはどうか」という上司の発言のみ違法性を認め、原告と被告の双方が控訴した。

これに対し高裁判決は、原告の控訴を全部棄却して①女性用トイレの一部制限の違法性を認めず、②のみ違法性を認めた。

高裁判決は、性別は「個人の人格的存在と密接不可分」とし、性同一性障害者特例法の立法趣旨及びそもそも性別が個人の人格的生存と密接不可分なものであることに鑑みて、「自らの性自認に基づいた性別で社会生活を送ること」は法律上保護された利益であると判示しながら、「経産省としては、他の職員が有する性的羞恥心や性的不安などの性的利益も併せて考慮し、一審原告を含む全職員にとっての適切な職場環境を構築する責任を負っていることも否定し難い」として、女性用トイレの一部制限の違法性を認めなかったのである。

高裁判決の問題

(1) 自認する性別で社会生活を送る権利

自認する性別で社会生活を送る権利、これは、トランスジェンダーに限らず誰しもに認められている普遍の権利といえるが、これは憲法13条後段から導かれる人格権が根拠といえよう(性同一性が憲法13条後段によって保障される人格的利益であることを述べるものとして、長谷部恭男編著『注釈日本国憲法(2)』〔有斐閣、2017年〕138頁[土井真一])。

高裁判決も、「自らの性自認に基づいた性別で社会生活を送ることは、法律上保護された利益である」ことを認めている。

(2)「一般女性の性的利益」は仮想の対立利益

そうであるならば、本件異動条件や女性用トイレの一部制限は、自認する性別で社会生活を送る権利・法的利益を不当に制限するものではないのだろうか。

高裁判決は「他の職員が有する性的羞恥心や性的不安などの性的利益も併せて考慮し、一審原告を含む全職員にとっての適切な職場環境を構築する責任を負っていることも否定し難い」ことから、原告の性自認で社会生活を送る法的利益を侵害しないと理由づけている。

ところが実際は、原告の女性用トイレの利用に反対する他の女性職員は一人も確認されていない。原告が経産省の女性用トイレを使用してすでに10年以上が経過しているが、一度も苦情が出たことはなく、トラブルになったこともない。これは経産省も認めていることである。原告がトランスジェンダーであることに気づいていないのかもしれないし、他の女性職員が女性用トイレを利用して特段の問題がないのと同様、原告が女性用トイレを使用することも当たり前だと考えているのかもしれない。

つまり、高裁判決が述べた「他の(女性)職員の性的利益」は、具体的な事実に基づかない仮想の対立利益なのである。

なお、国側は、原告が女性職員として勤務を始める前に設けた説明会において、複数の女性職員が原告の女性用トイレの使用に違和感がある等と発言したと主張していたが、証人尋問では説明会でそのような発言をした者は一人もいなかったことが明らかになった。

現実には、原告のトイレ利用を他の女性が嫌がる、等と言っていたのは、経産省の男性管理職だけであったのである。

反対意見も存在しないのに、性同一性障害者と同じトイレを使用するのは他の女性が嫌がるであろうという勝手な憶測は、「常識的判断」として上司らが共有していたが、これは典型的な差別と偏見である。

(3) 差別意識が表面化した判決文

こうした差別と偏見は、高裁判決にまで表われてしまった。

まず、「性的羞恥心」「性的不安」「性的利益」という、高裁判決が採用した言葉である。「性的羞恥心」とは、法律用語としては、刑法上のわいせつ概念の定義・や、迷惑防止条例(痴漢行為等)でしか登場しない言葉である。被害者の性的羞恥心の対象になるような行為を強制わいせつ罪におけるわいせつ行為と定義されており(山口厚『刑法各論〔第2版〕』〔有斐閣、2010年〕106頁)、「性的羞恥心」という言葉は、被告でさえ一度も使用しなかった。

その上、「性的利益」という日本語の意味も不明であるが、判決文にて、性同一性障害者の女性が他の女性に「性的羞恥心」や「性的不安」を抱かせる存在であると表明されたことは極めて深刻な事態である。

これは、人の属性のみで判断し、その人が怖い、「外国人が怖い」「黒人が怖い」「ムスリムが怖い」から、トイレを分けるのは正しいのだというに等しい。トランスジェンダーと一緒なのは不安だろうから女性を守ってあげよう、という論理は、どんなに説明を尽くしてもしても、トランスジェンダーへの差別に加担するものでしかない。

念のため書き添えておくと、原告は女性ホルモンの長期間の投与により男性の性機能を喪失していることを医学的に証明しており、一審判決はそのとおりの事実を認定したが、高裁判決はあえてその認定部分を引用しなかった。

(4)「複雑困難訴訟」

高裁判決は、次のようにも判示した。

「職場での生活は、人生で大きな割合を占めているところ、職場においても性自認に基づいて行動したいという気持ちは、性同一性障害者特例法第3条第1項に規定する性別の取扱いの変更の審判を受けていないトランスジェンダーである一審原告の真意及び真情に基づくものであると理解できるが、職場で幸福になりたいと思う気持ちは誰しもが有するものである。長年の時間の経過はあるにしても、上記処遇の内容及び程度に鑑みれば、一審原告の上記主張は採用することができない。」

原告も被告も主張しておらず、突如表われた「職場で幸福になりたいと思う気持ち」。この一文は、「職場で幸福になりたい気持ちは誰しもが同じ」であり、皆がそれぞれ譲り合い我慢しあっているのであるから、あなたも譲歩しなさい、というメッセージ以外に解釈することはできない。

このようなメッセージを裁判所が発信すれば、トランスジェンダーは、LGBTQと呼ばれる者は、少数者は、常に周囲の多数者の「幸福」に譲歩しなければならなくなる。多数決や多数者でも侵せない少数者の人権を守ることこそ、裁判所の主要な役割ではなかったか(君塚正臣『司法権・憲法訴訟論(下)』〔法律文化社、2018年〕 52頁、後藤光男=高島穣編著『人権保障と国家機能の再考』〔成文堂、2020年〕228頁)。

控訴審判決のあと、筆者は新聞報道2)によって最高裁判所が2020(令和2)年1月に「令和元年度民事通常専門研究会5(複雑困難訴訟)」と題する裁判官向け研究会3)を開催したことを知った。その議事録を東京高等裁判所に情報公開請求をして入手した。

そこではこの経済産業省事件が具体的に紹介され、裁判官の意見として「LGBTなどのような新しい価値観に基づく主張に対しては、他方で、世の中には昔ながらの価値観からどうしても離れられない人たちもいる。こうした問題について判断を示す場合には、当事者になっているのはLGBTの人ではあるが、旧来の価値観を持っている人たちを全く無視した形にはできないであろう」「不用意な判断を避けることが望ましい」等と記載されていた。

本議事録は、裁判官であれば誰でもアクセスできるデータベースに格納されているという。

高裁判決が、事実と離れて「原告の女性用トイレ利用を不安に思う他の女性職員」という仮想の対立利益を設定したことは、「当事者になっているのはLGBTの人ではあるが、旧来の価値観を持っている人たちを全く無視した形にはできないであろう」という研究会議事録の記載の影響をうかがわせる。

経産省は原告をいわば「厄介者」と扱ってきた。トランスジェンダーの処遇を定める法令も内部規則がないために、秘書課は人事管理上の煩わしさを解消すべく、原告に手術を受けさせ戸籍上も女性に変えさせて解決しようとしていた。

このような経産省の対応を苦にして原告は提訴したのであるが、一個人が職場を、しかも国を訴えることがどれだけ負担なことか想像に難くない。このようにして原告が提訴した裁判が、裁判所で「複雑困難訴訟」と整理され、「不用意な判断はしない方がよい」等として判決がなされたとしたならば、結局彼女は、裁判所でも「厄介者」扱いをされたことになる。原告にとって救いを求める場所は裁判所しかないという事実を、高裁判決は受け止めていたであろうか。

(5)「トランスジェンダーと同じトイレを使用することの不安」が争われた裁判例

ここで、米国連邦控訴審のGrimm v. Gloucester County School Board事件判決を紹介したい。米ヴァージニア州の公立高校が、学校内のトイレと更衣室はすべて生物学的性に従って使用しなければならないとのポリシーを制定し、FtMの生徒であったGrimm氏に男性用トイレの使用を禁じた。そこでGrimm氏が、このポリシー等が合衆国憲法修正第14条(法の下の平等)及び教育改正法第9編(教育活動における性差別禁止)に違反するものとして提訴したのが本件である。この裁判は、まさに、「トランスジェンダーと一緒のトイレを使用したくない」と不安に思う気持ちが法的保護に値するのかが正面から争われた裁判である4)

Grimm氏はトランスジェンダーの男性(生物学的性は女性、自認する性は男性)であるから、本件(原告の生物学的性は男性、自認する性は女性)とは事案が異なるようにも思える。
しかしながら、本件では、ポリシーの制定を求めた保護者たちが、Grimm氏に男性用トイレの利用を認めると、トランスジェンダー女性に女性用トイレの使用を許すことになり、「トランスジェンダー女性のふりをした男性が女性用トイレを使用し、女子生徒のプライバシーが侵害される」等と主張していた。結局、トランスジェンダー女性の女性用トイレの利用が問題になっていたのである。

連邦控訴審は、トランスジェンダーのトイレ利用の制限が「性別に基づく差別」であると認め、次のように判示した。

「誰もが用を足すためにトイレを使用するのであって、トランスジェンダーのGrimm氏のみがのぞき嗜好があるとする証拠は一切なく、したがって、トランスジェンダーの生徒をトイレから排除することによって、他のシスジェンダーの生徒のプライバシーの保護の度合いが高まることもなく、目的と手段の間に実質的関連性はない」。

さらに判決は、「どんな人種でも使えるトイレ」が人種差別解消策にはならないのと同じく、「ユニセックストイレ」もまた学校がトランスジェンダー生徒用に設置したものであって、差別を解消するものとはならないと述べている。

おわりに

Grimm事件判決には、結論部分にも興味深い記述がある。

「性自認に従ったトイレ利用が他の生徒たちの安全等を脅かすという不安は「仮説」にすぎず、’predator myth’、すなわち、性加害神話であった」。「おそらく意外なことではないが、トランスジェンダーのトイレ利用の反対勢力は生徒たちではなく、大人たちであった」「生徒たちは、とても理解があり、クラスメイトを受け入れている」「連邦裁判所が、過去の偏見を維持するのではなく、輝かしい若者たちが持つ新しい価値に賛同するのは誇らしい瞬間である」。

筆者は、原告の味方に立つ経産省の他の女性職員に、直接または間接に接してきた。本件に関して言えば、トランスジェンダーの女性に怯えているのは他の女性職員ではない。「昔ながらの価値観からどうしても離れられない人たち」であった。

トランスジェンダー女性のトイレ利用をめぐる問題は、当事者の要望、職場の関係者の意見、トイレの利用状況や個々の職場環境等を考慮して具体的に解決すべき問題である。高裁判決は、具体的な問題も発生していないのに、現実化していない「女性職員の不安感」を持ち出してまで、女性用トイレの一部制限を違法でないと判断した。「旧来の価値観を持っている人たち」に配慮した結果ではないか、と疑わざるを得ない。

本件は最高裁に係属しており、正当な判断が示されることを期待している。

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脚注   [ + ]

1. 国家公務員が人事院に対し、自らの勤務条件に関して適当な行政上の措置を求めることができる制度。人事院は、調査を行った上で一定の措置を必要と認める場合には、自らの権限に属する事項については実行し、その他の事項については関係機関にその実行を求める。国家公務員法86条乃至88条。
2. https://kahoku.news/articles/20210709khn000060.html 河北新報・福島総局横山勲記者による記事。
3. 最高裁判所に設置された研修機関である司法研修所は、年間を通して裁判官向けの研修を実施しており、民事通常専門研究会もその一つである。
4. 972 F.3d 586 (4th Cir. 2020)。同判決は連邦最高裁に裁量上告がなされたが、2021年6月28日に上告が棄却され、トイレの制限が合衆国憲法修正第14条(平等権)等に反し違憲であることが確定した。

立石結夏(たていし・ゆか)
弁護士。第一東京弁護士会、新八重洲法律事務所所属。
「セクシュアル・マイノリティQ&A」(共著、2016年、弘文堂)、「セクシュアル・マイノリティと暴力」(法学セミナー2017年10月号)、「『女性らしさ』を争点とするべきか――トランスジェンダーの『パス度』を法律論から考える」(法学セミナー2021年5月号)、『詳解LGBT企業法務』(共著、2021年、青林書院)