(第7回)台湾に対する植民地支配(清水美里)

おさらい日本の近現代史―「日本」と東アジアの関係を読み解くために| 2022.02.21
日本の近代・現代とはどのようなものだったのでしょうか。
私たちが今、日々ニュースで接する日本の社会状況や外交政策を、そのような歴史的視点で捉えると、いろいろなものが見えてきます。
この連載では、「日本」と東アジア諸国との関係を中心に、各時代の象徴的な事件などを取り上げ、さまざまな資料の分析はもちろん、過去の事実を多面的に捉えようとする歴史研究の蓄積をふまえて解説していただきます。
現在の日本を作り上げた日本の近現代史を、もう一度おさらいしてみませんか。

(毎月下旬更新予定)

1 1930-1931の歴史的出来事

MRT西門駅付近に大きく貼られた映画『KANO』ポスター(筆者撮影)

2010年代に台湾で大ヒットした歴史映画に『セデック・バレ』と『KANO』がある。前者は霧社事件、後者は嘉義農林学校野球部の甲子園出場を描いた作品である。霧社事件については後述するが、1930年台湾原住民(台湾では先住民族という呼称は忌避される)セデック族による武装抵抗であり、警察・軍隊との激戦が行われた悲壮な出来事である。一方の嘉義農林学校野球部は日本人、漢族、原住民の混成チームを結成し、1931年甲子園に台湾代表として出場し準決勝まで進出した、台湾の民族融和を象徴するようなエピソードである。『セデック・バレ』の監督・魏徳聖は『KANO』のプロデューサーであり、『セデック・バレ』の助演俳優・馬志翔は『KANO』の監督である。すなわち、魏徳聖らは同時代の対照的な台湾の歴史的出来事を題材に映画を製作したわけである。

昨今の日本人の台湾史の理解は『セデック・バレ』に代表されるネガティブなイメージと『KANO』に代表されるポジティブなイメージのどちらかである印象を受ける。しかし、実際は『セデック・バレ』と『KANO』がそれぞれ描こうとした日本との敵対関係と融和の両方があり、さらにまた別の疎遠な関係性が存在する。これは地域差や個人差の問題ではなく、段階を経てそれぞれの台湾人の内面における葛藤ともなっていった。

台湾史はこの数十年で解明されたことが多くある。今回は1895年から1945年までの日本による台湾の植民地統治を4つの時期に分けて概観していく。

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清水美里(しみず・みさと)
立教大学助教、専門は台湾近現代史。
主著に、李昌玟、湊照宏編『現代中国研究拠点研究シリーズNO.9:近代台湾経済とインフラストラクチュア』(共著、東京大学社会科学研究所、2012年)、『帝国日本の開発と植民地台湾:台湾の嘉南大圳と日月潭発電所』(有志舎、2015年)、日本植民地研究会編『日本植民地研究の論点』(共著、岩波書店、2018年)など。写真は台湾台中市清水駅にて撮影。麦藁帽子は当地の名産品。