(第4回)自然的理性がすべての人びとのうちに定めたものが万民法と呼ばれる

法格言の散歩道(吉原達也)| 2022.01.13
「わしの見るところでは、諺に本当でないものはないようだな。サンチョ。というのもいずれもあらゆる学問の母ともいうべき、経験から出た格言だからである」(セルバンテス『ドン・キホーテ』前篇第21章、会田由訳)。
機知とアイロニーに富んだ騎士と従者の対話は、諺、格言、警句の類に満ちあふれています。短い言葉のなかに人びとが育んできた深遠な真理が宿っているのではないでしょうか。法律の世界でも、ローマ法以来、多くの諺や格言が生まれ、それぞれの時代、社会で語り継がれてきました。いまに生きる法格言を、じっくり紐解いてみませんか。

(毎月上旬更新予定)

Quod naturalis ratio inter omnes homines constituit vocatur ius gentium.

(Inst.1.2.1)

クォド・ナートゥーラーリス・ラティオー・インテル・オムネース・コースティトゥイット・ウォーカートゥル・ユース・ゲンティウム

(ユスティニアヌス『法学提要』第1巻第2章第1法文)

映画『1492コロンブス』

30年ほど前に見た映画にリドリー・スコット監督の『1492コロンブス』(原題は『1492 楽園の征服』)がある。コロンブスの新大陸発見500年を記念して製作されたといわれ、コロンブスの栄光と挫折を描いた作品であった。上陸したコロンブスは、武器を持って構える先住民に対して笑みを浮かべ、平和的な邂逅を果たす。やがて殺戮が繰り返され、事態は不穏な方向に向かっていく。昔高校で世界史を習ったとき、教皇子午線だとかトリデシリャス条約といった言葉を覚えたのであるが、その当時、なぜ教皇が出てきて境界線を勝手に引くことができるだろうかとか、コルテスやピサロがアステカやインカの文化を滅ぼしたという話を聞くにつけ、なぜ彼らはそのようなことをなすことができたのだろうかなど、さまざまな疑問がわいたものであった。

新大陸の発見がもたらした問題

新大陸の発見は16世紀にそれまで想定されていなかった新しい切迫した問題を生み出した。スペイン国が新大陸に対して持ち得る支配の問題、スペインから渡った植民者・征服者と先住民インディオとの関係の問題をめぐって激論がかわされたときでもあった。

まさにこうした問題に対して正面から取り組んだのが、フランシスコ・デ・ビトリア Francisco de Vitria (1483/86頃-1546)であった。ビトリアは1526年サラマンカ大学の神学教授となり、以後20年にわたってこの職にあり、その地で生涯を閉じた神学者・哲学者にして法学者である。ピサロがインカ最後の皇帝アタワルパを殺害しインカ帝国を滅ぼしたのは1533年のことであった。ビトリアはこの報に接しペルー征服の正当性に疑義を表明したといわれる。これをきっかけとして。ビトリアはのちに『インディオに関する特別講義』『戦争に関する特別講義』を行い、この問題について学問的なレベルで本格的に取り上げた。

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吉原達也(よしはら・たつや)
1951年生まれ。広島大学名誉教授、日本大学特任教授。専門は法制史・ローマ法。