(第42回)判決から法ができるとき(溜箭将之)

私の心に残る裁判例| 2021.11.01
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

遺言信託の解釈についての東京高裁判決

1 自筆証書遺言の内容が、信託財産を遺産である譲渡制限株式とし、受託者を弁護士とし、受益者兼残余財産帰属権利者を未成年者である孫とし、信託終了事由を当該孫の成人とする遺言信託であると判断された事例
2 信託財産を譲渡制限株式とする遺言信託が、相続開始後、被相続人から受託者への株式譲渡についての会社の不承認及び受益者全員の受益権放棄を原因として目的達成不能により終了し、信託財産は残余財産帰属権利者が取得すべきものと判断された事例

東京高裁平成28年10月19日判決
【判例時報2325号41頁掲載】

私の財産のうち株券はFの子供Bにあげる。19万7000株です。
私の不動産は六分の一をX2に
六分の一をP5にあげる
六分の四はFにあげる
CとDは相続人から廃除する。
株券はBが成人するまで弁護士X1が信託管理し株券の権利行使は全部同弁護士が行使する。
弁護士X1を遺言執行者に指定する。約束を守ってください

この7行の遺言の解釈が争われたのが、今回取り上げる判決である。

背景を補足すると、遺言を書いたOは、亡き夫が立ち上げた会社の大株主だった。Oには長男Eと次男Fがいたが、会社の経営方針を巡る対立があり、Oは所有する全株式を次男Fの子Bに譲り、対立する長男E側の排除を図った。すでにEは亡くなっていたので、Eの妻Cと子Dを廃除すると記したのである。

Oは遺言を手書きした数週間後に亡くなった。しかし、その遺志は結果的に実現しなかった。Xは遺言執行者として家裁にCとDの廃除を申立てたが却下され、逆にDに遺留分減殺請求の通知を突き付けられた。Xはまた会社に対し、遺言に基づき受託者たる自分への株式譲渡の承認を求めたが、取締役会で否決された。この間、Fは子Bが遺留分減殺を請求されると知り、Bの親権者として受益権を放棄し、これを踏まえてBD間で株式を折半する遺留分減殺合意が成立した。合意を知らないXが臨時株主総会に出席すると、そこでXを監査役から解任する決議がなされた。Xは決議の不存在確認を求めて東京地裁に訴えを提起したが棄却され、東京高裁も上訴を退けた。

Oへの忠誠心と努力の甲斐なく、Xは受託者として株式を取得できず、監査役の地位も追われた。Xに全株式を託したOは、会社の主導権を敵対勢力に奪われた。裁判所も、この帰結がOの意図に反すると認めたが、株式の譲渡制限、Dの遺留分権、FのBに対する親権などの法的制約がある以上、その実現には無理があった。

事件からは、高齢化の進むわが国で、信託への関心が高まりつつ、起案も解釈も手探りの現状が浮かび上がる。日本の信託は商事的に使われてきたから、2006年信託法も民事信託について十分な定めをもたない。信託と遺留分の関係は、世界的な難問でもある。裁判所の遺言解釈には異論の余地もあるし、私も民事信託について下級審判決に批判的な論文を書いたことがある。しかし、こうした裁判の積み重ねから、問題の本質が明らかになり、新たな法の発展の道がみえてくる。


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溜箭将之(たまるや・まさゆき 東京大学大学院法学政治学研究科教授)
1977年生まれ。立教大学法学部専任講師、准教授、教授を経て2020年より現職。
著書に、『英米民事訴訟法』(東京大学出版会、2016年)、『アメリカにおける事実審裁判所の研究』(東京大学出版会、2006年)、論文に、「信託と遺留分の相克は解けないか――一英米法研究者の思考実験」立教法学101号94-107頁(2020年)、Japanese Law and the Global Diffusion of Trust and Fiduciary Law, Iowa Law Review, vol. 103, pp. 2229-2261 (2018)など。