憲法学にとっての子ども期の個人:「子どもの権利」の課題と現状を考える(西山千絵)(特集:子どもと学校)

特集から(法学セミナー)| 2021.10.12
毎月、月刊「法学セミナー」より、特集の一部をご紹介します。

(毎月中旬更新予定)

◆この記事は「法学セミナー」802号(2021年11月号)に掲載されているものです。◆

特集:子どもと学校

「子ども」という言葉は、年齢の区分を指すのか。身分や地位をいうのか。それとも、状態を表しているのか。

民法上の成年年齢引き下げや少年法改正、「子ども」の権利に関する議論が活発化している昨今の状況を受け、多義的な「子ども」という概念に対し、法学がどのように応答していくのか、さらに、「子ども」の権利実現の場である「学校」の在り方について、読者の皆さんが考えるための素材をお届けします。

――編集部

1 暫定的な「子どもの最善の利益」

現在、各都道府県の公立学校では、「『子どもの最善の利益』を念頭に置きつつ、教育や福祉等の視点を取り入れながら、法的観点から継続的に学校に助言を行う弁護士」(「『スクールロイヤー』の整備を求める意見書」【PDF】〔日弁連、2018年〕)として、「スクールロイヤー」が導入されている。「チーム学校」の構想の下、保護者、教員、スクールロイヤーの他にも、スクールカウンセラーや、スクールソーシャルワーカーなど外部人材もかかわり、それぞれの考える子どもの最善の利益を追求しつつ、子どもの日常を支えている。「個々人は、自己にとっての『善き生』を自律的に選択し実践していく主体と想定され……、社会は個々の構成員すべてにその生き方を承認し助成する社会でなければならない」1)という、「基本価値へのコミットメントの表明」2)を行う日本国憲法の立場を共有するならば、潜在的にすべての個人が、自らの生について選択・決定をなしうることに価値がある。しかし、表現能力に未だ乏しいのみならず、法的に保護の対象とされて、意思決定を自ら十全になしえない時期にある子どもの位置づけを前提とすると、子どもに関する決定を代替する、あるいはその意思をより良く代弁する、本人以外の何者かの介在する場合を肯定するほかない。

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脚注   [ + ]

1. 高橋和之『立憲主義と日本国憲法〔第5版〕』(有斐閣、2020年)83頁。
2. 高橋・前掲注1 )83頁。佐藤幸治『現代国家と人権』(有斐閣、2008年)80頁参照。