(第41回)手続の「壁」(上田真理)

私の心に残る裁判例| 2021.10.01
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

児童扶養手当の広報義務・京都地裁判決

1 児童扶養手当不支給処分の取消しを求める訴えが処分の不存在を理由に却下され
た事例
2 公法上の債権に基づき児童扶養手当の支給を求める請求が棄却された事例
3 児童扶養手当制度に関する周知徹底義務に違反したことを理由とする国家賠償請求が一部容認された事例

京都地裁平成3年2月5日判決
【判例時報1387号43頁掲載】

社会保障を受けようとする市民は行政に相談、申請又は届出など、さまざまな行為を行い、行政手続が開始し、また不利益処分が行われる。

受給権を実現する手続過程での市民と行政のやりとりを法的に構成することに、私は研究者生活を始めるころから関心をいだいた。

今回、市民の能動的な行為を可能にする条件を問う、心に残る裁判例を紹介することにしたい。

児童扶養手当をご存じだろうか。ひとり親又は障害がある親の家計のニーズに着目した、税財源の所得保障であり、これを受けるには市民の認定請求による行政の認定が必要になる。しかも、児童扶養手当法では認定請求の翌月に支給が開始する(認定請求主義)(7条1項)。受給資格者も認定請求以前の期間は不支給になる。京都地裁は、行政が窓口で適切に広報義務を果たせば、より早期に支給された場合に、行政の広報義務の重大な懈怠による国家賠償請求を一部認容した。

標準の市民は、多様な社会保障制度から特定し、「『児童扶養手当』を『認定請求』したい」と表明しないだろう。でも、ひとりで育児をしている等の生活事実を行政窓口で申告し、認定請求に向けた意図的な行為をとることがある。問題は、そうした市民の行為に対し、行政が児童扶養手当の受給意思を確認し、適切な情報提供義務を負わないのか、である。

手続過程において市民が、認定請求への意図的なコンタクトをとるなら、行政への関与を適切に位置づけることが必要になる。福祉国家の理念(憲法25条)が、市民の照会や認定請求の能動的なアクションを可能にする手続に光をあてる。

児童扶養手当請求権は手続を介して具体化するので、市民の協力がなければ立法者の意図も実現できない。受給資格者の手続への積極的関与により受給権が実現することは、公益である。だから、権利の実現にむけた行政の情報提供も公益にかなう。官報への掲載やパンフレット作成の一般的な広報を問題にしているのではない。本件は、控訴審(大阪高裁平成5年10月5日判決)に取消されたが、行政の不正確な情報提供により、市民が自らの利益に合うように権利を行使せず、不利益を被った場合に、損害賠償請求を一部認容した。一方、認定請求について十分な情報提供がなされなかったために、適切に市民が関与できなかった状況下でなされた認定も、効力が否定されているわけではない。認定請求主義の「壁」は破られていない。

翻って、税制を通じた所得移転、例えば低所得層に税制による還付が実現すると、より良い解決なのか。近年、社会保障と税制の共通点に関心が向けられている。税制を通じた給付(還付)と社会保障は、国家が市民に金銭給付を行う点で外見の共通性がある。だが、法的思考は異なる。

租税法では、経済の自由を最大限に尊重し、市民は国家から遠く離れて生活するという発想に依るなら、市民の申告に行政の介入を否定することになる。もとより市民が提供する情報(例えば申告納税)の結果は、市民個人の責任に帰す。それに対し、社会保障法では、個別の状況で具体的な人間が申告又は認定請求・申請を可能にする条件を、福祉国家が整備する。市民が能動的に行動するのに十分な情報が提供されたのかを問うのである。この裁判例をいまとりあげる意義がここにある。


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上田真理(うえだ・まり 東洋大学教授)
福島大学行政政策学類准教授、東洋大学准教授を経て、現職。著者に、『雇用・生活の劣化と労働法・社会保障法 : コロナ禍を生き方・働き方の転機に』(共著、日本評論社、2021年)、『雇用社会の危機と労働・社会保障の展望』 (共著、日本評論社、2017年)、『常態化する失業と労働・社会保障』(共著、日本評論社、2014年)など。