孔子廟公有地無償使用事件上告審判決:最高裁大法廷令和3年2月24日判決(山崎友也)

判例時評(法律時報)| 2021.06.04
一つの判決が、時に大きな社会的関心を呼び、議論の転機をもたらすことがあります。この「判例時評」はそうした注目すべき重要判決を取り上げ、専門家が解説をする「法律時評」の姉妹企画です。
月刊「法律時報」より掲載。

(不定期更新)

◆この記事は「法律時報」93巻7号(2021年6月号)に掲載されているものです。◆

最高裁大法廷令和3年2月24日判決

1 本件の経緯

本件は、那覇市長(〔以下、「市長」という〕被告・控訴人・上告人)が、都市公園内にある孔子等を祭った久米至聖廟(以下、「本件施設」という)の公園使用料181万7063円(以下、「本件使用料」という)を、本件施設を管理する一般社団法人久米崇聖会(以下、「本件参加人」という)に対して全部免除としたこと(以下、「本件免除」という)が、憲法上の政教分離原則に反するとして、那覇市民である原告(被控訴人・被上告人)が地方自治法242条の2第1項3号に基づき、本件使用料の返還不請求が違法であることの確認を求めた事案である(なお、原告は、本件施設の設置許可処分〔以下、「本件設置許可」という〕の取消しを求める訴えも同時に提起していたが、差戻前第1審〔那覇地判平成28・11・29判自454号32頁〕・控訴審〔福岡高那覇支判平成29・6・15判自454号37頁〕のいずれも不適法却下としている)。差戻後第1審(那覇地判平成30・4・13判自454号40頁)・控訴審(福岡高那覇支判平成31・4・18判自454号26頁)〔両判決あわせて以下、「本件下級審判決」という〕はともに、本件免除を違憲無効とした。もっとも、前者は、本件使用料の全額徴収を市長に命じた一方、後者は、那覇市公園条例・同施行規則上、市長には公園使用料を一部免除する裁量権があるとして、本件免除の違法性を確認するに止めた。これに対して本件上告審は、2021年2月、差戻後控訴審判決の原告敗訴部分を破棄し、同第1審判決の結論を維持する判決を下した(最大判令和3・2・24裁判所HP〔以下、「本判決」という〕)。

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2 憲法20条1項後段・89条前段

本判決は、本件下級審判決による本件免除の違憲判断(差戻後控訴審は同第1審の違憲判断をほぼ踏襲)を「是認」しているものの、「正当として是認」してはいない。その理由を窺えるのが、本判決と本件下級審判決の適用法条の相違である。本件下級審判決は、憲法20条1項後段・同条3項・89条前段の各違反を認定しているが、本判決は、本件免除が、憲法20条3項の禁ずる「宗教的活動」に該当する以上、憲法20条1項後段・89条前段の各違反は、「判断するまでもな」い、と説く。この点、本判決と本件下級審判決がともに引用している空知太事件判決(最大判平成22・1・20民集64巻1号1頁)が、憲法20条3項違反については沈黙する一方、憲法20条1項後段・89条前段の各違反を認定していたこととの関係が問題となる。

憲法20条1項後段・89条前段違反を問う前提として、問題となる国(地方公共団体)の行為の対象が各条項にいう「宗教団体」「宗教上の組織若しくは団体」(まとめて以下、「宗教団体」という)に該当する必要がある。空知太事件判決は、空知太神社を設営する「氏子集団」が、「宗教団体」に該当するとして、「氏子集団」への公有地の無償利用提供行為は憲法20条1項・89条前段に違反する、と判示した。本件下級審判決は、本件施設を「宗教的性格を色濃く有する施設」だと判断し、その本件施設等において「宗教的行事を行うことを主たる目的とする」団体として、本件参加人を「宗教団体」と認定している。

本判決は、本件施設や同施設における本件参加人による釋奠祭禮の各宗教性を肯定する点では、本件下級審判決と同様である。しかし、本判決は、本件参加人がその定款上の目的として、本件施設の公開や宗教的意義を有する釋奠祭禮の挙行を掲げている点を指摘するのみで、本件参加人が「宗教団体」に該当するか否か言及していない。本件参加人が久米三十六姓の「歴史研究等」も行っている点を本判決は認定しているので、本件参加人の「主たる目的」が宗教的行事に尽きると断定はできない、と解した可能性がある。本判決が、憲法20条1項後段・89条前段適合性判断を見送った理由かもしれない。

もっとも、空知太事件判決が、会員の範囲も曖昧で規約もない「氏子集団」を、「宗教団体」と解している点に照らせば、本件下級審判決と同様の判断もあり得た。上記のように、定款上の目的に宗教的活動を明記し、久米三十六姓の末裔のみを正会員とする規約を有する本件参加人であれば、「氏子集団」より一層容易に、「宗教団体」に当たると判断できるというわけだ(鈴木・後掲204頁、西山・後掲526頁)。本件下級審判決は、本件を空知太事件判決と同種の事案と解したうえで、同種の違憲判断、すなわち、憲法89条前段違反「ひいては」憲法20条1項後段違反という論法を取ろうとした可能性がある。ところが、本件下級審判決は、さらに憲法20条3項違反もあわせて認定している。これに対して、本判決は、同項違反のみを認定している。この判断の違いは何に由来するのであろうか。

3 憲法20条3項

本判決・本件下級審判決がともに憲法20条3項違反を認定しているのは、本件が空知太事件判決の事案と区別されるべき点を有するからだろう。空知太事件判決は、いわゆる目的効果基準に基づく審査ではなく、総合考慮型審査を行った判例として知られている。従来の政教分離原則関連の最判は、いずれも「一回限りの作為的行為」を対象とし、目的効果基準に基づき憲法20条3項(同89条前段)の適合性を審査した事案である一方、空知太事件判決は、「不作為」をも含む「半世紀以上もの歴史を有する」「継続的作為」を対象とし、その「目的」「効果」を問いにくいので、「諸般の事情」の「総合考慮」という手法を取った(清野・後掲40頁)。あるいは、従来の先例は、国(地方公共団体)の行為の「目的」に世俗性・宗教性が混在する事案を対象にしていたが、空知太事件は、純然たる「宗教施設(神道施設)」への利益供与を問題にしており、世俗「目的」の混入を前提にする目的効果基準は出番がなかった、とも説明される(空知太事件判決・藤田裁判官補足意見)。 本件下級審判決は、空知太事件判決のみを憲法判断に関わる先例として引用しているが、実際は、本件免除に先行する本件設置許可の「目的」「効果」に繰り返し言及している。本件設置許可の「目的」は、「歴史的、文化的価値」に着目した「観光資源や地域の親睦・学習の場」の確保であり、その「効果」は、本件施設が「都市公園法上の教養施設」として「一般人の目」に映ることだ、とされる。本件下級審判決は、本件免除を「一回限りの作為的行為」とみながらも、本件設置許可(先行する公園周辺土地利用計画案の策定をも含む)から派生する「継続的行為」の一環という側面もあったと解した可能性がある。

しかし、だとすると、「総合考慮」の結果、本件免除を違憲としながら、先行する本件設置許可の「目的」「効果」の世俗性を認定し合憲とするのは、平仄が合わなくなり得る(江藤・後掲21頁、鈴木・後掲196頁、松本・後掲131頁)。本件下級審判決は、本件設置許可を合憲とし、本件免除を違憲とする点では共通するが、差戻後第1審・控訴審とで、本件使用料全額を徴収しない裁量権が市長にあるか否か、その判断が対立する結果となっている。さらに、本件設置許可の「目的」「効果」が世俗的であったというのであれば、後行する本件免除の世俗性もまた肯定する余地が生じる(江藤・後掲21頁)。

4 作為的かつ継続的な「宗教的活動」

本判決は、上記のような本件下級審判決の理由づけの混乱に不満を覚えた可能性がある。本判決は、本件下級審判決と異なり、直接の裁判の対象となっていない本件設置許可の合憲性自体には明示的に言及しない。その一方で、本件免除に至る「経緯」の認定において、本件設置許可に「宗教的意義」があったことが示唆される。本件下級審判決と同じく、本判決は、①本件設置許可の以前から、本件施設の宗教性ゆえ、本件都市公園の敷地と本件参加人の私有地との換地が議論されていた点、②本件施設は、当初の至聖廟と異なる場所への新築であり、その復元ではない点、③本件施設は、法令上の文化財に指定されていない点、を列挙する。そのうえで、本判決は、「そうすると、本件施設の観光資源等としての意義や歴史的価値をもって、直ちに、参加人に対して本件免除により新たに本件施設として国公有地を無償で提供することの必要性及び合理性を裏づけるものではない」と判示する。上記①~③は、確かに、本件免除の「必要性及び合理性」を否定する諸事情たり得るが、むしろ、本件免除に先行する本件設置許可の「必要性及び合理性」を否定する諸事情というべきであろう。

もちろん、本判決は、本件免除自体が本件参加人に与える「利益」も考慮している。本判決によれば、本件免除を含む使用料の全額免除により、1335㎡の専用面積を有する公園敷地の年額約577万円分の使用料が浮き、さらに、本件設置許可が更新されれば、同額の免除が継続する以上、本件参加人が受ける利益は「相当に大きい」。この利益により、本件参加人が「本件施設を利用した宗教的活動をすることを容易にする」と判示される。ただし、この本件免除により生じた「利益」の「効果」は、「間接的、付随的なものにとどまるとはいえない」と指摘されている点は注目に値する。同「利益」の「効果」が「直接的」だと明言しないのは、裏を返せば、本判決が、同「利益」のみでは本件参加人への「直接的効果」が生じたとはいえない、と解しているからではないか。

このように、本判決は、形式的には、本件免除を直接の審査の対象としながらも、実質的には、本件設置許可を含む本件免除に至る市長の一連の「作為的行為」全体を違憲と解しているかに見える(本件設置許可を実質的に違憲と解すれば、同許可のもと発生した本件使用料の全額を請求する以外の裁量権を行使する前提を市長は失うことになろう。全額請求を命じた本判決の背景には、そのような法解釈が控えている可能性がある。)。全体としては、空知太事件判決の総合考慮型審査を行いながらも、上述の通り、本判決は、本件免除に至る一連の行為の「目的」「効果」にも若干言及している。これは、国(地方公共団体)による「宗教的活動」(憲法20条3項)のうち、作為的かつ継続的な行為に該当する行為であれば、空知太事件判決の法理が及び得るという趣旨であるかもしれない。本判決は、空知太事件判決以外に、津地鎮祭事件(最大判昭和52・7・13民集31巻4号533頁)・愛媛県玉串料事件(最大判平成9・4・2民集51巻4号1673頁)の各判決を引用している。一回的ないし継続的な「作為的行為」の政教分離原則適合性については、憲法20条3項違反の問題として扱うという趣旨かもしれない(空知太事件判決以降、「目的」「効果」に着目しながら総合考慮型審査を行った白山ひめ神社事件判決〔最判平成22・7・22判時2087号26頁〕は、白山市長の神社大祭発会式における挨拶という一回的な作為的行為の憲法20条3項適合性を肯定している)。

5 「宗教」

従来、最高裁判例は、憲法上の「宗教」を定義したことはない(渡辺ほか・後掲188頁〔渡辺〕)。本判決もまた、「宗教」を定義してはいないものの、「宗教」の構成要素ないしその特質に触れながら、本件施設の「宗教的意義」を認定している点は目を引く。具体的には、①本件施設の外観等が「神体又は本尊」への参拝を受け入れる「社寺」と類似している点、②本件施設における釋奠祭禮は、孔子等の「霊の存在」を「崇め奉る」内容になっている点、③本件施設の建物等が「釋奠祭禮を実施する目的に従って配置」されている点、が指摘されている。既存の「社寺」との類似性の程度により、本件施設の「宗教的意義」を測っている点で、決して「宗教」の内容を積極的に判示したものといえないが、「霊の存在」を考慮事項に挙げたのは、津地鎮祭事件控訴審判決(名古屋高判昭和46・5・14行集22巻5号680頁)による「宗教」の定義から微かな影響があったのかもしれない。

もっとも、「宗教」を積極的に定義しない本判決は、異なる「宗教」理解から批判を受け得る。本判決・林裁判官反対意見は、本件参加人における宗教指導者と信者集団をつなぐ組織性やその普及活動等「宗教の本質的要素」を、同多数意見は認定できていない、と指摘している。また、本判決のように、「宗教団体」によらない「宗教的活動」を政教分離原則の対象にすると、同原則の射程が社会全体に拡散し、思わぬ社会問題を引き起こすリスクヘッジが必要になり得る(塚田・後掲14頁)。本判決は、ひとまず国家と宗教の関わり合いが「相当とされる限度を超えるもの」に限り違憲にするという判例法理を維持したものといえるが、憲法上の「宗教」の構成要素ないしその特質を今後より明確にしていく必要があろう。

《参考文献》
江藤祥平「判批」平成30年度重判解20頁、清野正彦「判解」最判解民事平成22年度1頁、鈴木繁元「判批」北法71巻1号(2020年)179頁、武田芳樹「判批」法セ764号(2018年)108頁、塚田穂高「那覇孔子廟政教分離訴訟」世界944号(2021年)10頁、西山千絵「宗教法人ではない『宗教団体』に対する政教分離原則の適用」山元一ほか編『憲法の普遍性と歴史性─辻村みよ子先生古稀記念論集』(日本評論社、2019年)513頁、松本和彦「判批」法教457号(2018年)131頁、渡辺康行ほか『憲法Ⅰ』(日本評論社、2016年)第8章〔渡辺康行〕。

(やまざき・ともや 金沢大学教授)

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