(第4回)性同一性障害者特例法は何が問題か(谷口洋幸)

特集/LGBTQ・性的マイノリティと法――トランスジェンダーの諸問題| 2021.05.12
LGBTQあるいは性的マイノリティの人権問題が日本社会の中で注目を集めるようになってから久しいですが、未だその人権保障状況が充分に改善しているとはいえません。本特集では、まず「トランスジェンダー」といわれる人々の人権問題について、特に法的な観点からの分析や議論を紹介します。

性同一性障害者特例法は何が問題か

2020年9月、日本学術会議は「性別記載変更法(仮称)」の制定に関する提言書を発出した1)。現行の「性同一性障害者の性別の取扱の特例に関する法律」(以下、特例法)を抜本的に見直し、新たな法律としての再構成を求めるものである。詳細については提言書をご覧いただくとして、本稿では、この提言が発出された背景、すなわち、そもそも特例法の何が問題であるか、改めて考えてみたい2)

人権視点の欠如

結論を先取りすれば、特例法の問題の根幹は人権(human rights)という視点の欠如にある。立法の過程においてその視点が欠如していたわけではない。問題は、2003年に成立した法律そのものであり、20年近くを経た今日も、根本的な変更もなく運用されつづける状況にある。

法律が出来上がる過程では、社会の動向や時の政治情勢にあわせて、さまざまな調整や妥協が迫られる。特例法の制定過程において、当事者や支援者らが、それぞれの立場から、人権の実現に向けた重要な問題を提起しつづけてきた。ところが、立法府が示した結論としての特例法は、その切実な要請をよそ目に、性自認(gender identity)の尊重からは程遠い内容となった。日本国憲法13条に即していえば、特例法により「最大の尊重」が図られたのは、性自認という個人の「生命、自由及び幸福追求に対する」権利ではなく、現行の法制度や多数派の受容度という意味での「公共の福祉」の側であった、とも表現できる。性別記載を変更するための各要件は、シスジェンダーかつヘテロセクシュアルのみを対象としてきた法制度をはじめとする社会制度に、トランスジェンダーの生き方を無理やり押し込めるものであった。

非婚要件(特例法2条1項2号)

婚姻を法律上の男女に限定した法制度(異性婚制度)のもと、婚姻を継続したままでいずれか一方が性別を変更すると、結果的に男性どうし又は女性どうしの婚姻(同性婚)が成立することとなる。これを回避するために設けられたのが「現に婚姻していないこと」という要件(非婚要件)である。

非婚要件は、婚姻関係にあるトランスジェンダーに、自らの性別の変更かパートナーとの離婚かの「選択」を迫っている。離婚を望んでいる場合は問題とならないが、この要件は、婚姻の継続を合意している場合でも、例外なく離婚を要請する。離婚後の2人の関係性を保障する法制度は存在しない。日本国憲法24条2項は、離婚について「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定」されなければならないと規定する。性別の変更と引き換えに、本人の意に反する離婚を要請する法律は、およそ「個人の尊厳」に立脚したものとはいえない。いったん有効に成立した婚姻関係について、性別変更後も継続できるよう、民法その他の法律に「別段の定め」(特例法4条)を設けることも可能なはずだが、特例法は、現行の法制度の維持のみを根拠に、今日に至るまで、トランスジェンダーの生き方を排除しつづけている。性別変更後の婚姻は可能であるが、それはパートナーが法的に異性である場合に限られている。性自認が、シスジェンダーかつヘテロセクシュアルのための法制度によって制限されていることにかわりはない。

現在、日本各地で異性婚制度の人権侵害性を争う「結婚の自由をすべての人に訴訟」が進行中である3)。婚姻が性別にかかわらず可能となれば、非婚要件は自動的にその存在理由を喪失する。ただし、非婚要件はいまこの時点で問題があることを忘れてはならない。離婚意思がないところに、国が現行の法制度に「最大の尊重」を与えるため、個人に離婚―より的確には偽装離婚―を無理強いしつづけている。2021年3月17日の札幌地方裁判所判決を敷衍すれば、性別変更後には、「婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段」がなく、日本国憲法14条1項違反のもとに置かれることとなる。

子なし要件(特例法2条1項3号)

子なし要件は、2003年の制定当初、「現に子がいないこと」と規定されていた。しかし、法律上の「子」は年齢に限界がないことから、2008年に「現に未成年の子がいないこと」と要件が緩和された。もっとも、家族秩序の混乱や子どもの福祉への悪影響の防止という立法目的に変化はなく、2008年の改正は、むしろ立法目的に照らした「的確」な緩和であった。

この要件が日本法に特有であることは、比較法の観点からもよく知られている。そもそも、個人の身分(status)に関する事項が、子どもを含む他者の存在や関係性の有無によって左右されることは、個人の尊重を基本理念とする人権の視点に抵触する。立法目的にある家族秩序の混乱も、シスジェンダーかつヘテロセクシュアル以外の存在は家族にとって受け容れ難いことを前提としており、子どもにとっての悪影響も、その漠然とした不安感や嫌悪感―トランス・フォビア―から出発している。子どもがいじめや差別をうける可能性を根拠とする同要件の正当化が人権という視点と根源的に矛盾することは、改めて論じるまでもなかろう。

性別の移行は段階的に行われるのが現実であり、子どもを含む家族の受け容れ方はさまざまである。むしろ、親の性別のあり方に理解を示している子どもにとって、自らの存在が性別の変更を拒む要因であることは、それこそが子どもにとって悪影響となる。トランスジェンダーの生き方や子どもを含む家族や関係者の実情とは無関係に、子どもがいることで一律に変更不可とする要件に、人権の視点はみいだせない。

不妊要件(特例法2条1項4号)、性器要件(特例法2条1項5号)

特例法は、性別記載の変更のために、生殖腺(精巣や卵巣)の摘出または永続的な機能不全を要請する(不妊要件)。変更前の性別の生殖機能によって子どもをもつことは相当ではない、という立法理由である。シスジェンダーかつヘテロセクシュアルを前提とした法制度のもと、判例も、分娩した者が母であり、認知は原則として父子関係の問題と捉えてきた。トランス女性の父やトランス男性の母という存在は、たしかに、そのような現行の法体系に「混乱」をまきおこす。

しかし、その法制度上の「混乱」を回避するために、生殖腺という身体の一部の摘出や機能不全を求めることは、暴力的(abusive)である。世界保健機関(WHO)や国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)などの国際機関は、不妊要件が重大な人権侵害であることに警鐘を鳴らしており、拷問等の防止に関する特別報告者も撤廃を求めている。日本の旧優生保護法にもとづく強制不妊が国家賠償訴訟として争われているとおり、国家はこれまで、人種や民族、国籍、身体の障害や精神障害、疾病など、さまざまな理由によって人間の生殖機能を奪ってきた負の歴史をもつ。特例法の不妊要件も、まさにこの文脈に位置づけられるものであり、人権侵害の歴史を繰り返す必要はない。現行の法制度に「混乱」が生じるのであれば、変わるべきは法制度の側であり、人間の身体ではない。

また、性器要件は、公衆浴場やトイレ・更衣室など、社会生活上の「混乱」を防ぐことを目的として規定されたものである。シスジェンダーかつヘテロセクシュアルのみを対象としてきた社会制度のもと、性器の外形は個人の性別を識別するひとつの材料となり、多数派の「安心・安全」な社会生活の拠り所となってきた。

しかしながら、現実には社会生活上の性別は性器以外で識別されることが常であり、むしろ、他者の身体の性器にかかわる部分を凝視したり、詳細に確認することは、むしろ社会的に非難さえされうる。本特集の第1回で詳細に論じられているとおり、性器の外形そのものが実際の「混乱」を引き起こす場面は限られている。それらの場面に限定して「別段の定め」(特例法4条)を設けることには一定の合理性もみられる。社会生活上の「混乱」の解決は、それぞれの文脈で議論すべきものであり、性別記載の変更の条件として一律に性器形成を要請することを正当化しない。トランスジェンダーが性自認にもとづいて安心・安全に暮らすという人権保障の目的にとって、性器要件は、不妊要件と並んで、「高すぎるハードル」4)として立ちはだかっている。

その他の要件

特例法2条1項1号の成人要件は、性別記載の変更という重要事項の決定には慎重な判断が必要であることから設けられた要件である(成人要件)。2022年に20歳から18歳へ引き下げられるものの、その立法目的に変化はない。この要件も、シスジェンダーかつヘテロセクシュアルのみを前提とする法制度のもと、トランスジェンダーの生き方のみに高い「覚悟」を要求するものである。各種の法律における年齢基準が多様であることや、特に第二次性徴期における身体の変化がトランスジェンダーの生き方に多大な影響を与える現実を考慮すれば、成人という年齢設定は、子どもの権利という重要な人権の視点を欠いている。

また、国際疾病分類(ICD)の改訂により「性同一性障害(Gender Identity Disorder)」は「精神および行動の障害」からカテゴリーとして削除され、2022年から適用される第11版では、「性の健康に関する状態」の中で「性別不合(Gender Incongruence)」として再構成される。これは単純な名称の変更ではなく、医学上の診断に関するパラダイム・シフトである。「性同一性障害」のもとで制定された特例法もまた、特例法2条の定義も含めて、その根幹における変更を迫られている。

人権としての性別、性自認

現行の法制度は、人間の性別や性自認に関する多様な生き方のうち、多数派であるシスジェンダーかつヘテロセクシュアルのみを、対象とすべき人間として想定してきた。トランスジェンダーの生き方は、同じ人間であるにもかかわらず、法制度において想定外とされ、排除されてきた。特例法がそうであるように、ひとたび法制度への包摂が試みられたとしても、シスジェンダーかつヘテロセクシュアルという多数派の存在を揺るがさない範囲において、限定的かつ恩恵的な配慮をうけられるにすぎない。いわば、少数派であることを「わきまえる」場合にのみ一部の権利を付与され、「わきまえない」主張をすれば、多数派を脅かす「集団」として、嫌悪や疑念の目をむけられ、ふたたび排除を経験することとなる。そして、その嫌悪や疑念を払拭できないことについては、少数派の努力不足ないし行き過ぎた主張として、責任を追及されることも珍しくはない。

人権という視点は、このような多数派による構造的な差別や度重なる排除を可能とする論理に異議を唱え、少数派が人間としての尊厳を回復するための道具となる。それは男性に対して女性が、健常者に対して障害者が、国籍者に対して外国籍者が、それぞれの立場において活用してきた人類共通の財産である。人権の実現が申し立てられているとき、侵害されている現状を変革し、すべての人の自由と平等に向けて動いていくことは、多数派を構成する社会の側の責任であり、法制度の抜本的な見直しは、その第一歩である。

不妊要件の合憲性が争われた2019年の最高裁決定において、鬼丸かおる・三浦守両判事は「性同一性障害者の性別に関する苦痛は、性自認の多様性を包容すべき社会の側の問題でもある」との補足意見を付した。結果的に合憲との判断であったものの、シスジェンダーかつヘテロセクシュアルのための法制度を根本的に問い直す必要性を指摘した重要な一節である。法制度は、往々にして、多数派の特権を維持・強化する装置へと変貌する。人権(human rights)という視点は、法制度のあり方を不断に問い直し、少数派も含めたすべての人が「最大の尊重」をうけうる社会を実現するための道筋を示してくれる。

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脚注   [ + ]

1. 日本学術会議2020『性的マイノリティの権利保障を目指して(Ⅱ):トランスジェンダーの尊厳を保障するための法整備に向けて』【PDF】。筆者は発出元の分科会(法学委員会・社会と教育におけるLGBTIの権利保障分科会)の委員を務めているが、本稿の記述はあくまで個人的見解であることをお断りしておく。
2. 本稿のもとになる論考として、谷口洋幸2008「性同一性障害特例法の再評価」石田仁編著『性同一性障害:ジェンダー・医療・特例法』(御茶の水書房)249-272頁、同2017「性自認と人権」法学セミナー2017年10月号51-55頁など。
3. 「結婚の自由をすべての人に訴訟」については、一般社団法人Marriage For All Japan、および、公共訴訟支援Call 4の各サイトを参照のこと。
4. ヒューマン・ライツ・ウォッチ2019『高すぎるハードル:日本の法律上の性別認定制度におけるトランスジェンダーへの人権侵害』【PDF】

谷口洋幸(たにぐち・ひろゆき)
青山学院大学法学部教授。国際人権法、ジェンダー法。中央大学大学院法学研究科博士後期課程修了、博士(法学)。『LGBTをめぐる法と社会』(編著、日本加除出版、2019年)、『セクシュアリティと法』(編著、法律文化社、2017年)、『性的マイノリティ判例解説』(編著、信山社、2011年)など。