(第29回)どういうルールを創ったら、人はどう行動するか(有吉尚哉)

弁護士が推す! 実務に役立つ研究論文| 2021.01.25
企業法務、ファイナンス、事業再生、知的財産、危機管理、税務、通商、労働、IT……。さまざまな分野の最前線で活躍する気鋭の弁護士たちが贈る、法律実務家のための研究論文紹介。西村あさひ法律事務所、AI-EI法律事務所の弁護士が交代で担当します。

(毎月中旬更新予定)

池田真朗「行動立法学序説―民法改正を検証する新時代の民法学の提唱」

法学研究(慶應義塾大学)93巻7号(2020年)57頁~113頁

法律を制定する権限は国会に帰属するものであるが、行政がその企画立案に大きな役割を果たしているほか、政令・省令などの下位法令は行政が制定権を有する。このように立法作業を担うのは主に行政の役割であるが、実務上、民間の法律実務家が立法過程に関与することも少なくなく、その影響も高まっている。例えば、近年、私法の領域においても規制法の領域においても、取引実務に影響を与えるような法令改正等が頻繁に実施されているが、業務への影響が生じる法令改正が行われる場合には、パブリックコメントの手続において意見提出をすることが想定される。また、専門的な知見・経験を有する実務家が、実務に通じた有識者として、立法手続につながる審議会等の会議体に参加したり、非公式の意見交換やヒアリングに応じて行政の意見形成に影響を与えたりすることもある。さらに、わが国ではまだ限定的と思われるものの、民間企業が自社に有利な立法を求めるべくロビーイング活動を行うようなことも増えていくものと見込まれる。特に各取引分野の専門化が進む中、法制度の制定・改正を行うために実務経験を有する民間の意見の重要性が高まっている。このような場面では、民間の法律実務家にも立法のための思考法が求められることになる。

ここで、新規法令の制定や既存法令の改正などの立法作業は、法令を扱う業務という点では法律実務家が実務の課題に取り組むために法令の解釈を検討することと共通している。もっとも、後者は制度趣旨を考慮することは必要であるとしても、存在する法令の枠組みの中での解釈論が求められるものであるのに対して、前者は(既存の規律や実務との整合性が考慮要素となるとしても)価値判断を前提に新たなルールを策定するものであり、求められる発想は大きく異なる。

また、法令が存在せず、取引が発達していない状況で新たに法令を制定する場合には、出来上がった法令の内容が適切なものであればそれでよいことになろう。しかしながら、既に法制度が存在し、取引が複雑化している中で、新規の立法を行ったり、既存の法令の改正を行う場合には、立法後の法令の内容だけでなく、規律が変動することによる実務への影響にも十分に配慮することが必要となる。

本稿は民法の権威であり武蔵野大学大学院法学研究科の池田真朗教授が2020年に施行された民法改正(いわゆる債権法改正)を題材に「行動立法学」という考え方を説くものである。「行動立法学」は確立した学問分野ではなく、社会的に最適な立法をするための理念や方法論を考察しようとするものとして池田教授が提唱する新しい考え方であり、「もともと不合理な行動をする人間の存在は当然の前提としたうえで、新しい立法をする際には、どういうルールを創ったら、人はどう行動するかという、その法律の対象となる人々の事前の行動予測の観点から法律というルールを創るべきとするもの」と説明される。この考え方から、池田教授は、「法律は、作ってから解釈を工夫して運用するものではなく、作る前に効果を想定しシミュレーションをして作るもの」であると強調する。

これに対して、債権法改正は、「学問的にどう説明がつけられるかを第一義に改正をしようとした」ため、「作る前に考え、施行後の影響についてシミュレーションをする部分が不十分であったところが多く見られる」と指摘する。そして、本稿では、行動予測の観点からの分析の必要性を示すため、行動立法学による発想からの問題意識を、債権譲渡制限特約や連帯債務に関する改正など債権法改正のいくつかの問題点に当てはめて分析が行われている。

加えて、本稿では、行動立法学の視点をもとに、立法者の意図から見た立法の成功・失敗の判定、規制法と促進法の問題、新しいルールの「普及学」との関係(手続等の中で何が法制度の利用・普及を妨げているか)、ハードローの限界とソフトローの役割など、立法に関わる多様な分野の考察も試みられている。

経験上、個別の立法論的な論点について議論をする際に、内容の当否はともかく明確な規律を定めることが望ましいと主張したこともあれば、逆に、あえて解釈の幅のある不明確な規定とすべきと主張したこともある。また、法令で定めるのではなく、ソフトローに委ねた方がよいという議論をしたこともある。本稿の読了後、改めてこのような態度を振り返ってみると、意識せずに「行動立法学」的な発想を根底に自分の意見を作っていたのかと気付かされた。前述のとおり、民間の法律実務家が立法に関わる機会は少なからず存在するものであり、「行動立法学」という考え方は、立法論の議論を行うにあたって、自らの主張が社会経済にプラスとなるか、予測をするための指針となるとともに、説得的に主張を展開するための思考法ともなるものである。個々の業務をこなすだけでなく、法的インフラの整備を担うという法律実務家の役割を果たすために、ぜひ多くの企業法務の関係者に通読していただきたい一稿である(本稿はウェブページ「慶應義塾大学リポジトリ」で無料で閲覧することができる)。

本論考を読むには
・慶應義塾大学学術情報リポジトリKOALA 法学研究(慶應義塾大学)93巻7号(2020年)


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有吉尚哉(ありよし・なおや)
2001年東京大学法学部卒業。2002年西村総合法律事務所入所。2010年~11年金融庁総務企画局企業開示課専門官。現在、西村あさひ法律事務所パートナー弁護士。金融審議会専門委員、金融法委員会委員、日本証券業協会「JSDAキャピタルマーケットフォーラム」専門委員、武蔵野大学大学院法学研究科特任教授、京都大学法科大学院非常勤講師。主な業務分野は、金融取引、信託取引、金融関連規制等。主な著書として『金融機関コンプライアンス50講』(金融財政事情研究会、2021年、共編著)、『リース法務ハンドブック』(金融財政事情研究会、2020年、共編著)、『個人情報保護法制大全』(商事法務、2020年、共著)、『債権法実務相談』(商事法務、2020年、監修・共著)、『ファイナンス法大全〔全訂版〕(上)(下)』(商事法務、2017年、共編著)等。論稿多数。