(第30回)悩みを汲みとるということ(緑大輔)

私の心に残る裁判例| 2020.11.17
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

長門強制わいせつ被告事件

裁判所の心証形成過程をくわしく説示した有罪判決事例

山口地方裁判所萩支部昭和41年10月19日判決
【判例時報474号63頁掲載】

判決文を読んでいると、事件を審理した裁判官が、制度に不合理な点があると考えて、その事件について納得できる結論を導き出すために懊悩していたことが明瞭に表現されていることもある。この判決は、そのような事件の一例であろう。

この事件は、年少者に対して被告人が強制わいせつ行為に及んだか否かが争われた事例であった。性犯罪の被害者である年少者の供述を、どのように公判廷に証拠として顕出させるべきかは、現在でも問題となっている。近時は、司法面接(実務上は代表者聴取、協同面接とも呼ばれる)が捜査段階で実施され、法務省の性犯罪に関する刑事法検討会においても、「司法面接的手法による聴取結果を記録した録音・録画記録媒体について、特別に証拠能力を認める規定を設けるべきか」が検討すべき論点の1つに挙げられている。

本判決は、刑事訴訟法を学ぶ際にしばしば参照される、重要な説示を含んでいる。被害者の供述を内容とする母親の公判廷での供述について、刑訴法320条1項で排斥されるべき伝聞証拠に該当しない旨を説示したのである。該当部分を一読しても、その論理はややわかりにくい。判決は、母親が当該被害者から得た供述の「大部分は所謂再構成を経た観念の伝達ではな」いことなどを指摘している。判決は、当該被害者の供述について、記憶・表現・叙述の各過程に誤りが入る可能性が低い類型だと説明しようとしたのかもしれない。知覚の過程も、被害者の「知的プロセスや被害者の行為の媒介を伴わない、直接、端的な肉体への侵害行為」だとしているが、これは当該被害者の知覚内容の正確性が期待できるという趣旨であろうか。これらの表現からは、アメリカの証拠法上の伝聞例外(いわゆる咄嗟の発言)に着想を得たことがうかがわれる。事件後2、3日経た後の供述であるにもかかわらず、本判決のような評価ができるのかは、議論の余地はあろうし(アメリカでも性犯罪被害を受けた年少者について、類似した議論がある)、そもそもアメリカのように、伝聞例外として明文規定が定められなければ許容されるべきではないとの議論もありえよう。

おそらく、この判決を書いた裁判官も、これらの問題を理解していたのではないか。だからこそ、刑訴法321条1項3号の伝聞例外に該当する可能性にも触れ、さらに、「児童等が被害者乃至見聞者であるときの証拠力確保のため、その捜査の際、捜査官や被害意識の生々しい母親などを除いた、保母、教師、医師、など児童心理に対する洞察をもった第三者の付添、立会が必要であろうし、さらに司法手続の時間的な経過を考慮して刑事訴訟法第二二七条の要件を緩和した捜査側における証拠保全を立法的に考慮するのも一方法ではなかろうか」とまで説示したのだろう。立法論にまで触れるその説示からは、現行法では対応しきれない問題に、懊悩し、それでも自ら納得する結論にたどり着くために海外の法を参照して判断を示そうとする姿勢を見出すことができよう。年少者の供述をどのように公判廷において用いるべきかを真剣に悩んだからこそ、立法論に触れずにいられなかったのではないか。

この判決は、上述した点のほか、写真面割や母親を通じて顕出した年少者の供述の証明力評価の在り方も含めて、現在からみれば批判すべき点もあるだろう。しかし、判決が、現行法で充分に対応できない問題を指し示し、議論を喚起することには、社会的に意義があることだと思う。私は講義準備のためにこの判決を読むたびに、この裁判官が抱いたであろう悩みを社会が受け止め、共有するまでに要した、その時間の長さを、感じずにいられない。私にとって本判決は、「個別の事件に表れ出る当事者や裁判所の悩みを汲みとるという姿勢を、研究者は忘れてはならない」という戒めを想起させるのである。


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緑大輔(みどり・だいすけ 一橋大学教授)
1976年生まれ。広島修道大学専任講師・助教授、愛知大学准教授、北海道大学准教授、一橋大学准教授を経て現職。著書に、『刑事訴訟法入門 第2版』(日本評論社、2017年)、『基本刑事訴訟法Ⅰ 手続理解編』(共著、日本評論社、2020年)、『新コンメンタール刑事訴訟法 第3版』(分担執筆、日本評論社、2018年)等。