(第1回)「眠れるようになったので、くすりはもういりません」

こころのくすり、くすりのこころ(渡邉博幸)| 2020.10.08
「いつまでくすりを飲まないといけないの?」「副作用が心配です」「今のくすりが合わない気がする……」。精神科のくすりを服用する際、当事者や家族は疑問や不安を抱くことがあるでしょう。くすり以外の方法を用いることも大切です。医療者が一方的に治療を提供するのではなく、当事者・家族・支援者が見通しを共有し、よりよい治療につながる工夫を考えます。

(毎月上旬更新予定)

はじめに

私は、千葉市にある精神科病院で、さまざまなこころの病気を抱える患者さんの診療に携わる精神科医です。今回、この連載で、精神科的支援を受けている当事者やその家族、当事者にとって大切な関係者、そしてともに支援を行っている多職種の仲間と話題を共有できる、こころのくすりの話をしたいと考えました。それは、現在の精神科のくすりを取り巻く状況は、単に「患者の症状を診た医師が処方し、薬剤師が調剤し、看護師などの支援者が確実な服薬を援助して、患者がそれを体に受け入れる」という、一方向的な医療行為ではなくなっているからです。

なかでも大きく変化したのは、医療者(とくに医師)と当事者との間で、くすりについての情報格差が小さくなってきたこと、治療方針の決定に当事者も積極的にかかわるようになったこと、くすりの治療と心理療法や社会的支援を効果的に連動してそれぞれの足りないところを補い合う包括的な治療が推奨されるようになったことです。

医療者と当事者の間で行われるくすりについてのやりとりを振り返ってみましょう。言わずもがなですが、臨床実践の場面で、医師だけでなく多くの職種が、「こころのくすり」について当事者、家族からさまざまな質問や相談を投げかけられ、答えを求められることがあるでしょう。当事者や家族もくすりについては大きな関心をもっていますし、処方されたくすりの副作用や効能をインターネットで調べたり、口コミサイトを閲覧して知識を得るのは普通のことになりました。ときには外来初診の時点で、「このくすりがよいと思うので、同じくすりを出してください」と指定されることもあります。

従来であれば、このような振る舞いは、医療者の治療を当事者が信頼していないための問題行動、または素人である当事者の医療者に対する越権行為として捉えられがちでした。しかし、これは、知識と資格をもつ専門家としての小さなプライドの傷つきや、「時間がかかる面倒くさい患者」に対する忌々しさ、「おざなりな治療態度」を見透かされるのではないかという恐怖心といった、医療者側の陰性感情を合理化していたに過ぎなかったのではないでしょうか。

現在はこのような考え方をする医療者は皆無であろうと思います。自分が飲んでいるくすりを本人が調べるのは当然のことで、むしろ主体的な治療意思決定への参加として、肯定的にみなされる時代になっています。

しかし、手放しでこのような状況を喜んでよいのかというと、「うーん」と考え込んでしまうことがあります。残念ながら、薬剤についての不正確な情報をもとに過剰に効果を期待したり、副作用を心配してしまう向きもあるからです。

また、包括的な治療が推奨されるようになったことから、医師や薬剤師だけでなく、看護師等のスタッフにも、薬物治療についての知識が必要となりました。しかし、この四半世紀の多くの新規向精神薬の登場によるくすりの世代交代と、それに伴う薬物療法の方法論の変化により、むしろ職種間の薬物療法に関する捉え方の違いは拡大しているのではないでしょうか。

この連載は、そのような薬物療法についての情報格差の溝を埋め、当事者とかかわる支援者がよりよい治療について語り合う機会を提供したいとの考えから企画したものです。臨床実地でよく話題になるテーマや疑問を挙げ、なるべく平易な解決案を提示しました。もちろん、これが唯一の正解ではなく、みなさんが直面している課題を解くささやかなヒントの1つとなれば幸いです。

困りごとへの焦点化

睡眠障害は、多くの精神疾患の主要な症状です。また、病識(病気であるという自覚)をもちにくい一部の精神疾患においても、不眠は自覚症状としても他覚症状としても一致しやすく、本人と家族が共通の治療動機としやすいものです。

そのため、自覚症状に乏しく、疾病の否認や病識不十分な当事者を薬物治療に導入するにあたって、従来、次のように説明されることが多かったのではないでしょうか。たとえば、幻覚妄想のために家族や近隣に対し被害的になっている当事者のケースで、聞こえてくる悪口や、盗聴されている・嫌がらせされているという被害妄想自体に焦点を当てるのではなく、「何が原因かわからないが、嫌がらせや悪口を言われた結果、夜も十分眠れないくらいに気が立って、憔悴してしまっている、そのことをなんとかしましょう」などというものです。

とくに統合失調症の初発急性期の場合、当事者は、自分ではなく周りがおかしくなっている、自分は被害者であり告発者である、と思っています。その文脈で自分がくすりを飲まされることになるのはとても不条理なことであり、むしろ「くすりを勧めてくる医師は自分が陥っているトラブルをわかってくれていない、訴えを信じていない、それどころかこの受診も敵の仕組んだ罠だ、医者もグルなのだ」と思うのは当然のことともいえます。この薬物治療自体に対する不信感、不条理感を払拭するために、当事者も了解できる困りごとに焦点を当て、薬物治療の意味をすり合わせるのは、医療者の対応の基本姿勢といってよいでしょう。

このような説明でしっかりと睡眠がとれるようになると、当事者の治療者に対する不信や戸惑いも少しずつ解けてきて、服薬を続けてくれるようになります。初期の治療導入においては、治療目標として不眠に焦点化することは、治療の動機づけを高め、共同意思決定を円滑に進めるためによい一歩です。しかし、それだけでは、後でとんだ後悔をすることもあるのです。

初めての服薬、そして自己中断

ウヌさんは、25歳の男性です。大学1年生のときに一人暮らしを始めましたが、アパートの階上からの不審な声に悩まされ眠れなくなり、大学にも行けなくなりました。「夜中になると、階上から、自分を馬鹿にする悪口が聞こえてきて、さらにはテレビで自分の行動を監視して放送するようになった」というのです。最初は我慢していた彼は、ついに階上の住人のドアを傘で叩き、大声で怒鳴る迷惑行為に出てしまい、警察に保護され、措置診察の結果、精神科に入院となりました。ウヌさんは初発の統合失調症を発症したのです。

入院してからもウヌさんの怒りは収まらず、「なんで被害者の自分が、精神科病院に入院させられなくてはならないんだ」と憤懣やるかたない様子でした。精神科的な病態の説明や薬物療法は、当然、断固拒否しました。

それまで体は健康だったウヌさんにとって、医療者とかかわる最初の体験が精神科でした。その最初の医療者との出会いは、不幸にして措置入院(精神保健法に基づく、本人の意思によらない入院)となってしまいました。今後おそらく長く続くことになる精神医療との付き合いを考えると、強制的な薬剤投与は修復しがたい不信感を植えつけることが予想されましたので、なるべく服薬による薬物療法から入りたいと治療チームは考えました。

そこで、ウヌさん自身も発症当初から悩まされていた「不眠」に焦点を当てて、被害妄想や幻聴については正誤を問わないことにしました。「ウヌさんが眠れていないのは事実で、そのことにつらい思いを感じ、神経が高ぶり体力が奪われています。まずはぐっすり眠れるように環境を整えて、神経を休めるくすりを飲みましょう」。このような説明で、ようやく服薬に納得してもらいました。幸い、本人が苦しむような副作用は出ずに睡眠がとれるようになり、次第に主たる精神症状である幻聴体験や被害妄想も消退してきました。

その回復はかなり劇的といったところで、2週間ですっかり陽性症状はなくなったかのように見えました。本来ならば、このあたりで、心理教育や疾病教育を行うべきタイミングです。しかし、ウヌさん本人や家族は、1日も早く大学に復帰したいという希望が強かったのです。出席日数が足らなくなり単位取得ができないと留年になってしまうという本人、家族の心配から、医療者の心配が拭えぬなか、やや性急な退院となりました。

入院前にトラブルのあったアパートは引き払い、遠距離になりますが自宅からの通学に切り替えたこともあってか、退院後もいたって問題なく、ウヌさんは外来に定期的に通院しながら学生生活を送っていました。

しかし、退院から3ヵ月が経過した再来診察時、外来担当医はウヌさんから「くすりをやめました」という報告を受けたのです。慌てて担当医は、服薬を中断すると再発の危険があることを説明しました。しかしウヌさんとしては、「不眠は治ったし、退院後の大学生活も順調で、睡眠がとれなくなるような嫌がらせも受けていないのだから、服薬する必要はない」とのことでした。残念ながら担当医と彼との服薬をめぐるやりとりは平行線のまま経過しましたが、担当医はここで諦めず、「くすりを飲まないとしても、念のため外来には定期的に通院し、もしまた不眠が出るような困りごとが生じたら、早めに受診するように」と念を押しました。

この担当医の判断を、みなさんはどうお考えになるでしょうか?

服薬の目的を当事者と共有する説明の工夫

統合失調症は、服薬を続けることが、再発・再燃を防ぐ最も有効な手だてとなることがわかっている疾患です。そして症状が再燃するたびに、くすりの効きが弱くなり、症状の改善までに時間がかかるようになります。生活機能障害なども生じやすくなります。このことを重視する考えの担当医であれば、「措置入院となるような激しい精神病症状を呈したことのある患者が服薬を自己判断で中止してしまうこと」自体を症状再燃と捉えて、再入院を含めた強い治療案を考えるところでしょう。

しかし、今回の担当医は、彼が初発エピソードであること、一人暮らしをやめて実家に戻ったことによりストレス要因がだいぶ取り払われていること、家族の支援が得られる環境で体調のモニタリングができることを考慮し、一度服薬を中断してみたいという本人の固い意志に賭けてみることにしました。

はたしてその結果はどうだったでしょうか? 中止後、最初の1ヵ月はまったく普段どおりの生活が続きました。しかし2ヵ月が経ったところで、今度は家の前を通る自動車のエンジン音や乗り降りの際にドアを開ける音が響くように聞こえてきて、「自分がトイレに入ろうとする瞬間に」わざと嫌がらせしていると確信するようになりました。家族が寝静まった深夜2時に隣家の車庫の周りをカメラを持ってうろついたため、110番通報されて警察に保護され、再び救急入院となったのでした。

この事例をまとめますと、初発エピソードで入院し、病状への自己理解ができていない方に、服薬をなんとか納得してもらおうと、本人が自覚している困りごとである「不眠」に焦点を当て、薬物療法への導入を図ろうとしました。その結果、本人は自分の精神状態の不調は、環境ストレスからくる不眠であると誤解してしまいました。そのため、不眠が収まったら治療の必要性を実感できず、服薬の自己中断・再発につながったのでした。やむを得ない時間的制約により、入院中に、本当は脳のなかで何が生じているのかをわかりやすく説明し、どんなくすりが必要かを理解してもらう機会をほとんどとれなかったのも悔やまれることでした。

このような説明の不備を防ぐには、どうしたらよいでしょうか? 症状に圧倒され、混乱して動揺し、また不安におののき興奮している人に対し、一度に病理学的な説明をしても、火に油を注ぐだけかもしれません。その時々で受け入れやすい重要なキーワードを簡潔に伝えることが最善であろうと思いますが、私は、まず睡眠の問題を取り上げるにしても、そこに一言添えることにしています。たとえば以下のような言葉です。

「眠れていないのは事実で、そのことにつらい思いを感じ、神経が高ぶり体力が奪われています。まずはぐっすり眠れるように環境を整えて、神経を休めるくすりを飲みましょう。しかし、不眠は健康が損なわれている結果で、心身からのSOSです。しっかり眠れるようになったら、SOSが出てしまった原因を調べて、その手当をしていきましょう」

これは一例ですので、いろいろなバリエーションを臨床場面に応じて使うようにしていますが、あくまで、不眠にはそれを引き起こす何らかの理由があり、そのために心身に変化が生じていることを強調するようにしています。

ところで、今回のテーマからは外れますが、この事例で外来主治医がとった「いったん治療薬の服用を中止しても、外来通院などの医療関与、セルフモニタリングは続ける」ことは、とても大切な治療の選択肢だと思います。当事者自身の判断でくすりを処方しないけれど、治療関係は崩さないという治療構造のなかで、ウヌさんは精神科的支援になんとかつながり続け、再入院という形にはなりましたが、治療を再開するチャンスを得ることができたのだと思います。

今回は、「睡眠」に焦点に当てたために服薬中断につながった例をご紹介しました。次回は、逆に、「眠れないからくすりをください」と当事者が眠剤を求め続ける場合、どのように考え、何を支援すべきか取り上げたいと思います。

※事例は筆者の臨床経験からまとめた架空のものです。また事例中のカタカタ名は仮名です。


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渡邉博幸(わたなべ・ひろゆき)
千葉市にある都市型の精神科専門病院である木村病院で働いています。とくに専門をもたずにいろいろな患者さんを診ていますが、最近は産後メンタル不調の方や若い方に多くかかわっています。薬のこと、こころのこと、暮らしのこと、さまざまな困りごとに、いろいろなスタッフと協力し試行錯誤しながら答えを探す毎日です。著書:『統合失調症治療イラストレイテッド』(星和書店)ほか。