『アディクション・スタディーズ:薬物依存症を捉えなおす13章』(著:松本俊彦)

一冊散策| 2020.09.24
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

 

 

はじめに

松本俊彦

最初に、個人的な体験を話すことをお許し願いたい。

数年前、私は薬物問題に対する人々の強い偏見を思い知らされる経験をした。それなりに高い視聴率を誇る生放送の討論番組だった。超大物ミュージシャンが覚醒剤取締法違反で逮捕されたのを機に、意欲的なプロデューサーが、「厳罰一辺倒のわが国の薬物政策に一石を投じたい」と私に声をかけてくれたのだった。

その番組のなかで、私は薬物依存症治療を専門とする医師の立場からこう発言した。

「刑罰だけでは薬物問題は解決しない。覚醒剤取締法事犯者の再犯率が高いのは、彼らの多くが薬物依存症という病気に罹患しているからだ。刑務所に入ったからといってその病気が治るわけではない。刑罰ではなく治療が必要だ」

何人もの押し出しの強い論客が出演する討論番組では、タイミングよく話に割って入り、端的に自分の意見を話すのは容易ではない。しかし、幸運にもその日はうまくいった。番組終了後、私は言いたいことを話し切った達成感から、上機嫌だった。

だが、それは自己満足にすぎなかったようだ。というのも、帰宅後すぐに番組のポータルサイトを覗くと、視聴者からのクレームが多数寄せられていたからである。曰く、「覚醒剤依存症は病気ではなく犯罪。百歩譲って病気だとしても、結局は自業自得、税金使って治療なんてするな」「あの医者は犯罪者を擁護している。頭がおかしい」「もっと厳罰化すべき。死刑にすればいい」……。炎上と言ってよい状態だった。

厳罰化? 死刑? 正直、目の前が真っ暗になった。そのサイトに書き込まれたコメントが日本人の総意というわけではないのだろうが、少なくともその時の私には、日本人がみな一様にサディスティックなネット右翼のように感じられたのだ。何より恐ろしかったのは、人々が刑罰の効果を無邪気に信じていることだった。何のための刑罰なのか、自分の頭で考えて発言している感じがまったくしなかったのだ。

思うに、刑罰には次の3つの機能がある。第1に、「威嚇」だ。「悪いことをすると罰を与えられて嫌な思いをするぞ。だから悪いことをやっちゃダメだよ」と威嚇することで、犯罪を未然防止する機能である。第2に、「応報」。犯罪被害者が個人的に「目には目を、歯には歯を」的な復讐をするのではなく、国が責任をもって刑罰を下し、被害者の応報感情に応える機能である。そして最後に、「再犯防止」。これは、犯罪をおかした人に矯正教育を施し、市民社会で再チャレンジする機会を与える機能である。

この3つの機能を「違法薬物の自己使用」という犯罪に当てはめて考えてみよう。

まず、「威嚇」。これには一定の効果があるだろう。「薬物を使うと、罰を受けて嫌な思いをするぞ」という威嚇は、たしかに人々に最初の薬物使用を躊躇させる要因となっているはずだ。それは認めよう。

次に「応報」はどうか。違法薬物の自己使用の被害者は誰なのか? 「覚醒剤を使っていると、精神病状態を呈して深刻な暴力事件を起こすおそれがある」と主張する人がいるが、実は薬物使用と暴力とのあいだに明確な関連が証明されているわけではない。たとえ関連があったとしても、「おそれ」の段階では刑罰を与えることはできない。

もちろん、「反社会勢力の資金源になり、間接的に市民生活が脅かされる」という意見もある。だが、それはあまりに見識不足だろう。違法化するからこそ、反社会勢力にアンダーグラウンドなビジネスの機会を与えるのだ。禁酒法下の米国で、アル・カポネが密造酒で巨利を得たことを思い起こしてほしい。

この2つの意見を退けたとして、薬物使用による第一義的な被害者は誰なのか? 薬物犯罪はよく「被害者なき犯罪」といわれるが、あえて被害者を探し出すとすれば、それはみずからの健康を害した使用者本人だ。そして、その本人の応報感情にどうやって応えればよいのか……少なくともそれは本人への厳罰ではなかろう。

それでは最後、3つ目の機能、「再犯防止」についてはどうか? 本書にも寄稿してくれている羽間ら1)や嶋根ら2)が行った最近の研究では、薬物使用者は刑務所により長く、より頻回に入るほど再犯リスクが高まること、そして、刑務所服役のたびに依存症の重症度が進行することが明らかにされている。これらの知見は、薬物使用者の再犯防止には、刑罰が有効ではないどころか、かえって妨げになっている可能性さえ示唆するものだ。

こう言い換えてもよい。違法薬物の自己使用に対しては、刑罰は本来期待されている3つの機能のうち1つしか効果を発揮していない、と。それにもかかわらずさらなる厳罰化を望むのは、サイエンスよりもイデオロギーを重視する態度を表明することに他ならない。あるいは、「殴ってもわからない奴はもっと強く殴るべきだ。たとえ効果がなくてもかまわない。周囲への見せしめになれば十分だ」という、竹刀片手に怒声をあげる鬼軍曹さながらの恐怖政治を肯定することだ。

しかし残念ながら、わが国では、一般の人々はもちろん、識者とされる人々までイデオロギーを支持する声のほうが大きい。そのような状況を少しでも変えたい、という思いが本書企画の出発点であった。私は、専門分野など一顧だにせず、「この人ならば社会を動かす発言ができる」と直感した気鋭の書き手に執筆をお願いすることにした。その結果が、薬物依存症(アディクション)に関係するさまざまな分野で一線級の研究者と臨床家が集結した、この超豪華な学際的ラインナップなのだ。

かねてより私は、自身の臨床経験を通じて、「この世には良い薬物と悪い薬物があるわけではない。良い使い方(=得な使い方)と悪い使い方(=損な使い方)があるだけだ。そして、悪い使い方をしてしまうのは、薬物とは別のところに困りごとがあるからだ」と考えてきた。多くの場合、その困りごとは社会のありようと密接に関係し、往々にして薬物使用が「違法行為」として犯罪化されていることとも無関係ではない。私たちはいままさに薬物問題に対する考え方のアップデートを迫られているのだ。

本書を通じて、多くの人がサイエンスの視点から薬物問題について考える機会を得ることを心から願っている。

目次

はじめに

◆パート1 アディクション・スタディーズの展開

第1章 心はなぜアディクションに捕捉されるのか:痛みと孤立と嘘の精神病理学 松本俊彦

第2章 薬物はいかにして「悪」と見なされるに至ったか:「ドラッグ」の社会史 渡邊拓也

第3章 薬物依存症からの回復のターニングポイント:ダルクのエスノグラフィ 南保輔

第4章 生き延びるためのアディクション:ただ“やめる”だけで終わらない支援 大嶋栄子

第5章 アディクションと刑事処分:刑事施設収容と保護観察は回復に役立っているか 羽間京子

第6章 痛みとアディクション:オピオイド依存という医原性症候群 山口重樹

◆パート2 アディクションと向き合う社会

第7章 なぜハームリダクションが必要なのか:つながりと包摂の公衆衛生政策 松本俊彦

第8章 世界の薬物政策はなぜ刑事罰を諦めたのか 丸山泰弘

第9章 アディクションアプローチの現在:ハームリダクションの位置づけ 信田さよ子

第10章 依存症臨床における垂直方向と水平方向:平準化に抗するために 松本卓也

第11章 なぜ医療はアディクションをネグレクトするのか:つながりを断たない医療を目指して 西岡誠

第12章 薬物乱用防止教育とスティグマ:「ダメ。ゼッタイ。」からの脱却は可能か 嶋根卓也

第13章 なぜ人々は著名人の薬物事件に感情的になるのか:ジャーナリズムと薬物依存症 岩永直子

書誌情報

脚注   [ + ]

1. Hazama, K., Katsuta, S.: Factors associated with drug-related recidivism among paroled amphetamine-type stimulant users in Japan. Asian J Criminol 15: 109-122, 2019.
2. 嶋根卓也、高橋哲、竹下賀子他「覚せい剤事犯者における薬物依存の重症度と再犯との関連性―刑事施設への入所回数からみた再犯」『日本アルコール・薬物医学会雑誌』54巻、211-221頁、2019年