経済学を味わう—東大1、2年生に大人気の授業(編:市村英彦・岡崎哲二・佐藤泰裕・松井彰彦 )

一冊散策| 2020.04.21
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

はしがき

1 経済学はどんなものか?

読者の皆さんは「経済学」や、中学や高校の社会科の教科書に載っている「市場」について、どのようなイメージをお持ちだろうか。「経済は市場に任せておけばうまくいく」という単純な見方を思い浮かべた人が多いかもしれない。

しかし実は、現代の経済学では「市場に任せるだけでは十分ではない」と考えられている。すなわち経済学者たちは、なぜ実際の社会で市場がうまく機能しないのか、どうすれば市場でうまく取引が可能な仕組みを作ることができるのか、人々をより幸せにするための社会制度はどのようなものかといった問いに取り組んでいるのである。

本書では、経済学がいま、どのような問題を取り上げ、どのようにその問題の解決に取り組んでいるかを紹介する。そして、そのことを通じて読者の皆さんに、「経済学はおもしろいな」「自分も経済学というレンズを通して物事を考えてみたい」と思ってもらえることを期待している。本書の各章では、経済学のさまざまな分野における問題の捉え方や考え方を紹介していく。

以前から、経済学はマクロ経済政策の議論において重要な役割を果たしてきた。最近ではさらによりミクロの、個々の企業レベルの意思決定で経済学が重要な役割を果たしてきている。皆さんも、テレビやネットなどで、GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)やネットフリックス、ウーバーなどといった世界の巨大 IT 企業が経済学を活用しているというニュースを耳にしたことがあるかもしれない。また、政府の政策形成の現場でも、マクロ政策だけでなく、より個別の政策についてデータと証拠(エビデンス)に基づいた経済分析をふまえた政策形成、すなわち「EBPM」(Evidence Based Policy Making)を推進しようという機運が高まっている。経済学の研究成果を、個別のビジネスや政策に活かそうという動きが、日本でも徐々に進んでいるのである。

こうした動きに対応して、経済学を専門的に学んだ人材に対する需要も確実に増えている。政策の現場では、海外と比較すると圧倒的に少ないにしても、従来からある程度、経済学の専門的教育を受けた人材が働いていたが、近年では日本の民間企業にも経済学の専門的教育を受けた人材を積極的に雇おうとする動きが出てきた。たとえば、日本の IT 企業であるサイバーエージェントが、日本の代表的な経済学の学会である日本経済学会の 2019 年度の大会で展示ブースを出して事業を説明する機会を設けた。

2 経済学を伝えるために

ある程度以上の経済学の専門的教育を受けるためには大学院へ進む必要があるが、残念ながら日本ではそのような人たちの数はあまり増えていない。たとえば、編者らが所属する東京大学では、経済学部から大学院に進学する人の割合は、他学部と比べて低い状況が続いている。原因はいろいろありうるが、編者らはその 1 つに、経済学のことを十分に知る前に大学を卒業してしまうという事情があると考えている。

東京大学の例を続けると、学生は入学してから 2 年生まで、全員が駒場の教養学部に所属し、1〜2 年生のときの成績と本人の希望をもとに、3 年生以降に進む専門学部を決める。そのため、多くの学生が経済学に本格的に触れるのは、3 年生になって経済学部に進学してからになる。しかし、経済学部での勉強が始まる 3 年生の春は、4 年生が就職活動真っ只中の時期である。スーツ姿で忙しく駆け回る上級生を目にして、どうしても就職活動に意識が向いてしまいがちになるうえに、会社訪問や長期インターンを始める者もいる。そして、経済学を真剣に学ぶ機会がないまま就職活動が始まって、単位だけを取得して大学を卒業してしまう。また、大学院で経済学を学ぶことが将来のキャリアにどうつながるかも、学生にはあまり伝わっていない。そのため多くの学生は、大学院への進学を自身の進路の考慮対象にすらしていない可能性がある。

そこで、経済学のおもしろさや有用さを学生に伝えたい、という気持ちから、経済学部の教員は以前から駒場キャンパスで経済学を紹介するオムニバス講義を行ってきたが、ティーチング・アシスタントが確保できないなどの理由で中断されていた。しかし2019年度に、当時経済学研究科修士課程の八下田聖峰氏と経済学部生の小林雅典氏、澤山健氏など数名の学生たちの積極的な働きかけに教員が後押しされる形で、講義を再開することになった。講義の目的は、「学生に早い段階で経済学がどのような学問かを知ってもらい、経済学を学ぶことを学生の選択肢の 1 つとして認識してもらうこと」、そして「経済学の知識が将来の可能性を広げうるものであることを伝えること」であり、そのために 1、2 年生を対象としている。講義のタイトルは「現代経済理論」であり、各分野のフロンティアで活躍する東大の経済学者たちに、自身の専門分野について紹介してもらうオムニバス講義である。八下田氏にはこの講義のティーチング・アシスタントも務めてもらった。

いざ再開してみると、2019 年度の講義には 525 名という多数の受講者が集まった。東大での講義としては異例の多さであり、受講生が全員入れる教室をみつけるのに苦労するほどであった。大勢の学生に立ち見を強いる回もあり、受講生には不便な思いをさせてしまった。

さらに驚いたのは、履修者の約半数が理系コースに所属する学生であったことだ。実は経済学には、高度な数学が活用されたり、プログラミングのスキルが重要な分野があり、理系の知識やスキルを備えた人が活躍できる土壌が十分にある。現在世界で活躍する経済学研究者の中にもそのようなバックグラウンドの者も少なくない。そのため、この講義が理系の学生の興味を惹くことができたのは思いがけない喜びだった。

3 本書の特徴

本書はこの講義「現代経済理論」をきっかけに生まれた。講義は東大生に向けたものだったが、その内容は経済学の各分野のトップランナーが、はじめて経済学に触れる学生の関心を惹くように考えたものであり、手前味噌だが非常におもしろいものであったと思っている。そこで、少しでも多くの方々にこの内容をお伝えすることで経済学に関心を持っていただきたいと思い、本書を編むことにした。

経済学を学習する際にはまず、個人や企業の行動を分析する「ミクロ経済学」、経済全体の動きを捉える「マクロ経済学」、経済学の理論とデータに基づいて現実を分析する「計量経済学」と呼ばれる各分野を方法論的基礎として学んだうえで、個別の経済問題の研究分野や、さらに高度な方法論研究の分野の学習へと進んでいく。本書の構成も、おおむねそのステップに準じている。第 1 章と第 2 章では、ミクロ経済学に該当するゲーム理論、市場の成功と失敗、加えて政府などの公共部門の役割を解説する。第 3 章ではマクロ経済の問題について解説し、第 4 章ではデータから因果関係を見出すための基本的な考え方を、第 5 章では個票データに基づく実証分析とその考え方を解説する。これらがおおむね基礎科目に当たるものだ。そして、第 6 章以降では、都市、貿易、需要、貧困と開発、経済史、さらには企業会計やファイナンスの各分野で経済学がどのように力を発揮するかを紹介する。

本書は、あくまでも経済学の現在の姿を大雑把につかんでもらい、そのおもしろさをいただくためのものである。本格的に経済学を勉強するには、各分野の教科書を読み、大学、そして大学院で授業を受けることが必要になる。そこで、各章末には、「次のステップへ向けて」と題した、各分野をさらに深く学ぶための文献やウェブサイト等を紹介した学習ガイドのコーナーが設けられている。ぜひ、自分が特におもしろいと思った分野からチャレンジしてみてほしい。さらに、「あとがき」では、経済学を本格的に学ぶためのガイダンスも行っている。本書は主に、はじめて経済学に触れる人たちを対象としたものだが、もし本書が経済学を深く学んでみようという皆さんの思いを後押しすることができたら、編者としてそれに勝る喜びはない。

なお最後になるが、日本評論社の尾崎大輔氏と小西ふき子氏には、講義に出席するなど本書の企画の初期段階から関わっていただいた。両氏の尽力がなければ本書は生まれなかった。尾崎氏と小西氏に感謝の言葉を捧げたい。

2020 年 2 月

編者一同

目次

  • 第1章 経済学がおもしろい:ゲーム理論と制度設計……松井彰彦
  • 第2章 市場の力、政府の役割:公共経済学……小川光
  • 第3章 国民所得とその分配:マクロ経済学……楡井誠
  • 第4章 データ分析で社会を変える:実証ミクロ経済学……山口慎太郎
  • 第5章 実証分析を支える理論:計量経済学……市村英彦
  • 第6章 グローバリゼーションの光と影:国際経済学……古沢泰治
  • 第7章 都市を分析する:都市経済学……佐藤泰裕
  • 第8章 理論と現実に根ざした政策分析:産業組織論……大橋弘
  • 第9章 世界の貧困削減に挑む:開発経済学……澤田康幸
  • 第10章 歴史の経済分析:経済史……岡崎哲二
  • 第11章 会計情報開示の意味:財務会計と情報の経済学……首藤昭信
  • 第12章 デリバティブ価格の計算:金融工学……白谷健一郎

書誌情報など

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