『安倍改憲論のねらいと問題点』(著:山内敏弘)

一冊散策| 2020.03.25
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

はしがき

本書は、安倍改憲論のねらいと問題点を、自民党が2018年3月に「条文イメージ(たたき台素案)」として発表した4項目の改憲案、すなわち①自衛隊の憲法明記、②緊急事態条項の導入、③合区解消・地方公共団体、④教育充実に関する改憲案に即して明らかにすることを主たる目的としている。それとともに、憲法の精神や立憲主義を守るためといった理由で9条改憲を主張する「護憲的改憲論」また「立憲的改憲論」についても疑問点を示して、改めて憲法9条の今日的意義を再確認することを目的としている。そして、憲法9条を今日の国際社会で活かしていくためには東北アジアの非核化が重要であることを踏まえて、「東北アジア非核地帯条約」の締結の必要性をも提言している。本書の内容を各章毎に要約的に記せば、つぎのようになる。

まず、第1章では、安倍改憲論の本丸であり、また自民党の4項目の改憲案の第1に挙げられている自衛隊加憲論のねらいと問題点について検討する。安倍首相などは、自衛隊を憲法に明記するだけで、現状に変更はないと言っているが、それは見せかけの言説であり、自衛隊加憲によって、自衛隊はフルスペックの集団的自衛権の行使が可能となるとともに、自衛隊に対する統帥権を首相がもつことになることを明らかにする。それとともに、自衛隊加憲によって自衛隊が憲法上の「公共性」を付与されることになり、それに伴って市民の人権や生活が重大な影響を受けるであろうことを戦前の軍事法制などとも対比しつつ明らかにする。具体的には、①徴兵制の合憲化、②軍事的徴用制の合憲化、③自衛隊のための土地収用の合憲化、④軍事秘密法制の強化、⑤軍事規律の強化と軍法会議の設置、⑥自衛隊関連訴訟への甚大な影響、⑦軍事費の増大と生存権保障の形骸化、⑧軍産学複合体の形成の危険性、⑨地方自治の形骸化について述べる。この個所は、本書が自衛隊加憲論の重大な問題点として論じているところであり、良かれ悪しかれ、本書の特色の一つとなっていると思われる。

第2章では、自民党の4項目の改憲案の2番目に挙げられている緊急事態条項の導入論(「緊急事態対応」)について、そのねらいと問題点を検討する。2018年の改憲案では、2012年の自民党改憲案と較べると、マイルドになったかのように見えるが、その本質は変わらず、「震災」対応に便乗しつつ、戦争体制の一環としての緊急事態法制の構築にその主たるねらいがあることを明らかにする。そして、このような緊急事態条項の導入によって、政府が緊急政令という形で立法権の行使を可能とし、国民の人権を大幅に制限できる危険性が生まれることを指摘する。また、自民党は、緊急事態条項は諸外国の憲法でも一般的に見られると主張するが、諸外国の緊急事態条項をそのまま日本に持ち込むことはできないことを、ドイツとアメリカの法制に即して検証する。合わせて、学説上提起されている不文の国家緊急権についても、明治憲法の反省を踏まえて制定された日本国憲法の下では認めがたいことを確認する。

第3章では、「合区解消・地方公共団体」について検討する。ここでは、そもそも「合区解消」のためにはわざわざ憲法を改正する必要はなく、現行法の改正で十分可能であり、そのことは2018年の公選法改定によっても示されていることを指摘する。それとともに、「合区解消」のための改憲論は、参議院議員も「全国民の代表」であるとする憲法43条1項や日本国憲法が規定する両院制のあり方、さらには平等選挙を保障した憲法14条1項や15条1項に抵触する可能性が大であることを指摘する。そして、にもかかわらず、そのような合区解消を改憲によって実現しようとするねらいは党利党略の色彩が濃いものであることを明らかにする。また、関連して、地方公共団体に関する改憲案は、都道府県の存在を憲法に明記するものではなく、道州制の導入をも視野に入れたものであることを指摘する。

第4章では、「教育充実」に関する改憲案について検討する。まずこの改憲案は、当初言われていたような高等教育の無償化のための改憲案ではないことを確認するとともに、高等教育の無償化のためであれ、教育の充実のためであれ、現行憲法の下で十分実現できることであって、憲法改正は不要であることを指摘する。それとともに改憲案の本当のねらいは、「教育充実」を名目として、2006年の教育基本法の改定以来進められてきた教育への国家介入を正当化し、かつ強化する点にあることを明らかにする。

第5章では、憲法の精神を活かすためとか、立憲主義を擁護するためといった理由の下に憲法9条の改憲を唱える、いわゆる「護憲的改憲論」または「立憲的改憲論」をとりあげて、その内容と問題点を検討する。具体的には、大沼保昭、井上達夫、加藤典洋、今井一、阪田雅裕、そして山尾志桜里の改憲論を検討する。これらの論者は、おしなべて憲法9条と現実の乖離は立憲主義を損なうものであり、その乖離を解消するためには9条の改憲が必要であると主張する。しかし、このような議論は、立憲主義違反の現実に憲法を合わせることを企図するものであって、そのこと自体が立憲主義に反するものであるのみならず、日本国憲法の非軍事平和主義をないがしろにする改憲論であることを明らかにする。そして、違憲な現実と9条との乖離は、これら論者の議論とは逆に、違憲な現実を9条の理念に近づけるように努力することによって解消されるべきものであることを指摘する。

最後に第6章では、憲法9条が戦後70年余の間に果たしてきた積極的な役割を再確認するとともに、第9条を今日の国際社会で活かしていくためには東北アジアの非核化を実現していくことが重要であることを指摘する。まず、第9条がこれまで果たしてきた、また今後とも果たしうる積極的な役割としては、以下の諸点があることを指摘する。①戦後日本の平和に貢献してきた9条、②「不戦の誓い」と戦後補償の指針としての前文・9条、③国際平和に寄与する9条、④自由と民主主義を下支えする9条、⑤「大砲よりバター」を下支えする9条、⑥環境保護の指針としての9条、⑦平和的生存権の役割。そして、現在の国際社会では、核保有国などが依拠する「核抑止論」がもはや有効性を持たず、むしろ、2017年に国連で採択された核兵器禁止条約が国際平和を維持する上ですぐれて今日的な意義をもつことを確認する。そのことを踏まえて、東北アジア地域においては「東北アジア非核地帯条約」の締結を実現することで、日本の安全を確保するとともに、憲法9条を国際社会の中で活かしていくべきことを提言する。

本書は、以上のような構成と内容をもつものであるが、本書のタイトルをあえて「安倍改憲論のねらいと問題点」としたのは、現在の改憲論が安倍首相の強いリーダーシップの下で進められていると考えるからである。安倍首相は首相に就任して以来、その最大の課題の一つが改憲であることを明らかにしてきたし、自民党の「条文イメージ(たたき台素案)」の第1に掲げられている自衛隊の憲法明記案も、安倍首相が2017年5月3日に打ち出した自衛隊加憲論を踏まえたものである。自民党は、2012年の改憲草案では9条2項の削除論を提案していたが、それは、安倍首相の意向を踏まえて変更させられたのである。そして、安倍首相は、2019年12月9日に臨時国会が終わった際に行った記者会見でつぎのように述べた。「憲法改正は自民党立党以来の党是であり、また選挙で約束したことを実行していくことが私たちの責任だ。憲法改正は決してたやすい道ではないが、必ずや私の手で成し遂げていきたい」。2020年1月6日の年頭記者会見でも、安倍首相は、「憲法改正を私の手でなし遂げていくという考えに揺らぎはない」と述べたのである。

しかし、改めて指摘するまでもなく、日本国憲法(96条)の下で、憲法の改正は、首相が行うものではなく、国会の発議に基づいて主権者国民による国民投票で行うものである。しかも、憲法上も、また憲法改正手続法上も、憲法改正の原案の発案権は、首相にはなく、国会議員に帰属している。このような憲法および憲法改正手続法を踏まえるならば、「自分の手で改憲を成し遂げていきたい」という安倍首相の発言は、政治的な願望としてはともかくとして、憲法的には意味をなさないものと言ってよいのである。にもかかわらず、あえてそのような発言を安倍首相が行っているところに、現在の改憲論議の得意な姿が示されているように思われる。

しかも、安倍首相は、これまで、自分は「立法府の長」であるといった発言を一度ならず、三度または四度も行っている(2007年5月11日参議院日本国憲法に関する調査特別委員会、2016年4月18日衆議院環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員会、2016年5月16日衆議院予算委員会、2018年11月2日衆議院予算委員会)。いうまでもなく、権力分立制を採用している日本国憲法の下で、首相は行政府の長ではあっても、立法府の長ではありえない。にもかかわらず、このような初歩的な事実に関して誤った発言を繰り返してきたのは、安倍首相は、内心では自分は立法府の長でもあるという思いをもっているからなのかもしれない。「自分の手で改憲を成し遂げていきたい」という発言も、このような思いと相通じているようにみえる。そして、そのような思いは、4項目の改憲案の中で、自衛隊の憲法明記以外のところ(とりわけ緊急事態条項導入論)にも投影しているようにもみえるのである。

このような安倍首相が主導する改憲論が一体どのようなものであるかを、私たちは、しっかりと見極めなければならないと思われる。戦後70年以上にわたって平和憲法の下で私たちが不十分ながらも享受してきた平和や人権を今後とも護り、活かすことができるかどうかが、今まさに問われているのである。私自身の考えは、本書で述べたつもりであるが、それが適切なものかどうかは、読者の賢明な判断に委ねることにしたい。本書が、多くの市民、研究者、さらには法律関連の実務に携わる人達に読まれて、改憲問題について考える上で少しでも役立つことが出来れば、幸いである。

最後になったが、本書の刊行に際しては、法律編集部長の中野芳明さんに格別のご配慮を頂いた。ご多忙な時期であるにもかかわらず、本書の性格を考慮されて、企画・編集などをこの上なくスピーディーに進めて頂き、また、本の内容も読み易いようにいろいろと工夫をして頂いた。心から御礼を申し上げたい。

2020年1月

山内 敏弘

目次

第1章 安倍9条加憲論のねらいと問題点
一 はじめに
二 自衛隊加憲論の背景
三 9条2項を空文化する自衛隊加憲論
四 集団的自衛権の全面的承認へ
五 首相の統帥権と民主的統制の欠如
六 自衛隊加憲が市民の生活・人権に及ぼす影響
七 小結

第2章 緊急事態条項導入論のねらいと問題点
一 はじめに
二 「震災便乗型」の導入論
三 国会議員の任期延長を理由とする導入論
四 緊急政令の問題点
五 諸外国における緊急事態条項
六 日本国憲法と国家緊急権
七 小結

第3章 「合区解消・地方公共団体」の改憲論について
一 はじめに
二 改憲案の背景
三 「合区」解消のために改憲は必要なのか
四 改憲案の問題点
五 「合区」問題解消のための公選法改悪
六 小結

第4章 「教育充実」に関する改憲論について
一 はじめに
二 改憲案の背景
三 教育無償化のために改憲は必要なのか
四 改憲案の問題点
五 改憲先取り的な教育法制の改編
六 小結

第5章 「護憲的改憲論」または「立憲的改憲論」についての疑問
一 はじめに
二 大沼保昭の「護憲的改憲論」
三 井上達夫の「9条削除論」
四 加藤典洋の「9条強化案」
五 今井一の9条改憲論
六 阪田雅裕の9条改憲論
七 山尾志桜里の「立憲的改憲」論
八 小結

第6章 憲法9条の意義と東北アジア非核化の課題
一 はじめに
二 憲法9条の積極的意義
三 核不拡散条約体制と核兵器禁止条約
四 東北アジアの非核化の課題
五 小結

書誌情報など