『脳と心の考古学:統合失調症とは何だろうか』(著:糸川昌成)

一冊散策| 2020.02.28
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

 

 

まえがき

心はどこにあるのかと問われれば、多くの人は額のあたりを指さすのではないだろうか。なかには胸のあたりに触れる子どもがいるのかもしれないが、どこかで聞いたハートという言葉に影響されてのことだろう。インターネットやテレビで、セロトニンが減るとうつ病になるとか、“ゲーム脳”はキレやすいと言っていたからには、心は脳の働きなのだろうと素朴に考える。

あるいは、病気とはどういうことかと問われれば、多くの人は糖尿病やがんを思い浮かべて、不摂生やストレスで健康を損ねること、と答えるだろう。少し健康情報にくわしい人なら、がんは、発がん物質によってDNAが傷ついて……などと付け加えるかもしれない。さらに、傷ついたDNAの修復できなさ加減は遺伝するけれど、タバコや過度なアルコール摂取といった環境要因を避ければ、修復力の低い遺伝要因があったとしてもがんの発生率は下げることができると、朝のラジオ番組で聞いたことを思い出す。

心と病について氾濫する情報の大半が示すこの屈託のないわかりやすさは、はたして本当にその通りなのだろうか。それについて丁寧に考えてみたのが本書である。テーマが心と病だから、精神医学や内科学が登場するのは当然として、いつのまにか人類学や哲学、歴史、宗教へと話題が拡散してしまった。

筆者の本業は科学者なので、文献をあたって検討し、そこで見つけた疑問をさらに文献で確かめるといった作業に比較的慣れている。さらに、筆者は精神科医でもあるので、文献の内容や疑問を臨床での経験に照らすことができたし、同時に科学者として実験室での出来事と重ね合わせて吟味していたら、“期せずして”言及する領域が広範囲になってしまったような気がする。

心は脳の働きだろうという素朴な印象。そこに疑いの眼差しを向け続けた探究は、いつしか心の源をたどる旅となり、それが脳の始まりを探る冒険となって、いつの間にか生命の始まりまで40億年も遡ってしまった。『脳と心の考古学』と銘打った所以である。

多くの読者は、本書を読み進むうちに、心があっけらかんとわかっていたはずのものと異なることに気づかれるだろう。そして、こと心に関する限り、病気であることの意味が身体のそれとかなり異なることに気づいて愕然とするのではないだろうか。

できれば、読み終えるあたりで少し希望が湧くことになればとも期待している。なぜなら、ようやくたどり着いたそこで、私は自分が今ここに存在している奇跡に納得できたからだ。それは、実験室と病棟を行きつ戻りつしながら心のありかを探り進むなかで、たまさかの寄る辺になりえた結論だった。

目次

第1部 統合失調症とは何だろうか
第1章 統合失調症は分子生物学で解明できるのか
第2章 統合失調症は実体種か?
第3章 言語の条件――人間にとって統合失調症とは何か
第4章 本質と意識のありか

第2部 精神医学とは何だろうか
第5章 脳でない心――心の病は医療化できるか
第6章 近代科学の死角――客観と主観の二分構造
第7章 コトの科学とモノの世界――精神疾患はモノかコトか?

第3部 人間にとっての進化と病
第8章 「科学」の歴史と病のメタファー
第9章 「進歩」は廻る――螺旋の哲学
第10章 家族と倫理の起源
第11章 戦争と平和の考古学
第12章 病はどこから来て、どこへ行くのか
エピローグ 科学者の魂

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