「裁判公開の原則」は守られているか(清永聡)

特集/裁判傍聴に行こう!| 2019.10.01
特集:裁判傍聴に行こう!
日本国憲法は「裁判の公開」を定めていますが、裁判の公開原則は守られているのでしょうか。

1 「匿名化・非公開化」する刑事裁判

さて、ここまで読んだ皆さん。ようし私も傍聴するぞ何せ公開の原則があるんだからなと、勇躍裁判所に出向いて法廷の扉を開けてみようと思っているでしょう。

でも、ひょっとしたらこんな光景に出くわすかもしれない。

ある裁判員裁判。法廷の中には高さ2メートルの遮へい板(いわゆる「ついたて」)がずらりと並べられて、傍聴席からは証言台が見えない。

開廷したが、検察官が読み上げる起訴内容は、被害者のことをAとかBとか言っている。冒頭陳述も同じだ。証人が法廷に入ってきたようだが遮蔽板で何も見えない。証言は聞こえるが、特定につながりかねない部分は裁判長によって「そこは結構です」と中断させられてしまう。証言がぶつ切りのため裁判員も戸惑っているようだ。でも、なんだか裁判長はわけ知り顔で、検察官や弁護士とアイコンタクトなんかしている。

法廷にはテレビモニターが設置されているが、映っているのは自分たちの端末だけ。傍聴席に向けた大きいモニターは全部スイッチが切られている。検察官は「ごらんの通り」などと証拠の説明をしているが、傍聴席からはさっぱり分からない。モニターのスイッチを入れてほしいなと思うのだけど、警備の人はずっと傍聴席をにらんでいる。怖いから首をすくめて聞くしかない。

検察の論告と弁護士の弁論も、やっぱりアルファベットだらけ。予定時間ぴったりに結審し、警備の人から「閉廷したから出てください」と何が何だかわからないまま、傍聴席だけ、追い出される……。

これは取材で見た複数の法廷の様子を組み合わせた架空の例だ。ただし、刑事裁判は実際に今、匿名化・非公開化がどんどん進みつつあるのではと感じる。高野隆弁護士はこの現状を「秘事化する刑事裁判」と名付けている。

でも、どうしてこうなったのだろう。

2.法廷が「見えない」のはなぜ

さきほどあげた例は、多くが法改正で制度化されている。

  • 「証人と傍聴人との間の遮蔽」(2000年~)
  • 「被害者等特定事項の非公開」(2007年~)
  • 「被害者等特定事項の秘匿要請」(2007年~)
  • 「証人等特定事項の非公開」(2016年~)など。

最高裁によると、証人や被害者の遮蔽の人数は2001年の計856人から、昨年は1692人と約2倍になっている。「証人等特定事項の非公開」はまだ始まったばかりで昨年は174人だが、これも今後増えていくのだろう。テレビモニターを傍聴席だけ切ってしまう統計は、おそらく存在しない。

これらは被害者保護などの目的で始まった制度だ。私も性犯罪の被害者などを守ることに対して異論はない。だけど件数が増える一方で、本当に必要性を吟味したのだろうかとも思う。自分の取材経験では、ある強盗事件の証人を遮蔽していたが、最後まで証言を聞いてもなぜ遮蔽したのか、さっぱり分からなかった。

特別手配されたオウム真理教の元信者らに対する刑事裁判でも、死刑囚の証人尋問がすべてこの遮蔽だった。当の死刑囚たちは弁護士に「遮蔽の必要はない」と話していたというのに。

ただ、オウム裁判での死刑囚への尋問は、実施まで紆余曲折があった。検察が、拘置所での非公開の尋問を求めたのだ。これに対して弁護側が法廷での実施を求め、報道各社も裁判所に公開を要請した。裁判所は法廷での実施を決め、検察は特別抗告までしたものの退けられ、ようやく実現に至ったという経緯がある。

かつてオウム裁判をずっと取材していた私も、久しぶりに傍聴した。驚いたのは、一連の事件を知らないと思われる若者が多数法廷を訪れ、熱心にメモをとっていたことだ。オウムの死刑囚13人に刑が執行された今となっては、数々の事件から時間がたって死刑囚が法廷で発言し、記録されたことの意味は大きかった。だが、それでも残る疑問は「どうして隠さないといけないの?」であり、納得できる説明は未だない。

そう。言いたいことは「必要性を本当に十分検討したのか」という点に尽きる。隠すことは本当にやむを得なかったのか。裁判公開の原則を念頭に要件や相当性は慎重に検討されたのか。検察側が申し立てて弁護側もしかるべくと言ったから、裁判所はとりあえず隠してみました、になっていないか。

そして何より、「原則」と「例外」が逆転していないだろうか。

3.始まる前から見えません

去年3月、私はJR千葉駅にベトナム人男性を訪ねた。男性はレェ・アイン・ハオさん。松戸女児殺害事件の被害者の父親だ。当時ハオさんは駅前で署名活動を行っていた。

署名の目的は厳刑を求めることと、早く裁判を開くこと。起訴から1年近くたっていたが、この時点でまだ初公判の日程が決まっていなかったのだ。

それは「公判前整理手続」(2005年~)をやっていたからである。

ハオさんには、連絡がないことへのいらだちもあった。公判前整理手続が行われるという情報は聞いていた。ただ、その後は1年近く何も教えられないままだったのだ。彼は何度か千葉地裁に問い合わせたが、「答えられない」と言われたという。ハオさんから「どうして1年もたつのに、裁判が始まらないの?」と訊かれて、私も答えられなかった。

公判前整理手続は報道では「事前に争点を整理する手続」と表現される。ただ、この手続は運用によって非公開とされている。しかも年々長期化している。2009年は2.8ヶ月だったのに、昨年は8.2ヶ月になっている。この間は事実上ほぼブラックボックスである。さきほどの裁判の例では法曹三者でアイコンタクトをしていたが、それも「じっくり公判前整理手続で打ち合わせをした」結果の“妙技”だったのかもしれない。

審理を計画的に迅速化するために必要だというのは理解できる。なるほど裁判員の負担も軽くしないといけないのだろう。でも、初公判まで非公開の状態がずっと続いても「迅速化」なのだろうか。ちなみに、その裁判員を選ぶ手続も見えない。どういう質問があってどのように選ばれたのか。裁判所がどういう説明をしたのかも不明である。

4.終わってもやっぱり見えない

私はこれまで裁判記録を使って何度も原稿を書いてきた。それは当日のニュースだけではない。事件直後には分からない検証や解説のためにも、裁判記録は欠かせない。4年前には戦争裁判に関する本を出版したが、これも国立公文書館に保管されている裁判記録をふんだんに活用させてもらった。

ところが「開示記録の目的外使用の禁止」(2004年~)が設けられた。これが取材する側にとっては、大きな支障となった。少なくとも弁護士などが報道機関に見せることを断る口実になる。萎縮効果もあるだろう。戦後、刑事裁判記録を使って数々の優れたノンフィクションが生まれてきたが、これも難しくなってしまうのだろうか。

では、当局で閲覧するというのはどうだろう。刑事確定記録は地方検察庁にある。こうした記録が「何人(なんぴと)」も閲覧できることは、法律で決まっている。ところが、実際には閲覧が認められないケースもある。

私は2017年にオウムの元信者の確定記録を地検に閲覧請求した。特別手配されていた元信者の事件なので、まだ確定から3年経っていなかった。ところが地検からは「全部不許可」とされた。調書だけでない。公開の法廷で行われた証人尋問も、裁判所の判決文さえ一切見せないという。

あまりのひどい対応に怒るより脱力し、個人で第三者閲覧の準抗告を地裁に申し立てた。申立てに対し地裁は「全部見せないのはあり得ない」と検察に口頭で開示を促した上、準抗告の決定でもさらに公判前整理手続の一部開示を命じ、確定した。

かなりの部分が閲覧できるようになったが、確定まで実に2年近くかかった。さらに被告人や証人の名前は全部アルファベットで仮名にされ、記述も黒塗りだらけである。ちなみに人名が多いため、「A」から「Z」まで使い切って何と次は「ア」からのカタカナであった。こうなるとパズルである。仕方ないので、閲覧の時にはノートの1ページに「登場人物アルファベット一覧」を作った。閲覧室で記録をちょっとめくっては手元のノートでアルファベットは誰なのか推測することを繰り返した。「海外ミステリー小説か」と思ったりした。

被害者や証人の保護も、被告人の人権もとても大事なことだ。でも、この匿名化や非公開化が行き過ぎれば、どうなるのだろう。報道機関の取材だけの話ではない。「どのような証拠に基づいてどのように裁判が行われたのか」という検証すら、できなくなってしまうことを意味するのではないだろうか。

今まさに、法廷の扉を開けようとしている皆さん。そのドアの向こうで公開の原則が守られているのか、問題意識を持ちながら傍聴してほしいと思う。

(参考)


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清永 聡(きよなが・さとし)
NHK解説委員。1970(昭和45)年生まれ。社会部記者として司法クラブで最高裁判所など担当。司法クラブキャップ、社会部副部長など経て現職。近著に『家庭裁判所物語』(日本評論社、2018年)、『戦犯を救え:BC級「横浜裁判」秘録』(新潮社、2015年)。
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