(第13回)WTO紛争解決手続の危機と国際経済体制における「法の支配」(藤井康次郎)

弁護士が推す! 実務に役立つ研究論文| 2019.09.13
企業法務、ファイナンス、事業再生、知的財産、危機管理、税務、通商、労働、IT……。さまざまな分野の最前線で活躍する気鋭の弁護士たちが贈る、法律実務家のための研究論文紹介。西村あさひ法律事務所の7名の弁護士が交代で担当します。

(毎月中旬更新予定)

川瀬剛志「WTO上級委員会危機と紛争解決手続」

法律時報91巻10号(2019年9月号)14頁~20頁より

国家と国家の通商紛争に法的な解決の指針を与えるのが、WTO紛争解決手続であり、その最終審が上級委員会である。

およそ7年前に遡る。ジュネーブにある世界貿易機関(WTO)。その中でも、庭が見渡せる、とりわけ大きな部屋で、ある重要事件の上級委員会の審理は行われた。日本を含む紛争当事国とそれを注視する多数の訴訟参加国の代表が、次から次へと繰り出される3名の上級委員会からの質問に、自らの国名が書かれた札を立てて、立て板に水の如く、意見を述べる。筆者も日本政府内の弁護士として、審理の主導権を守るべく、そして、相手国に反論すべく、何度も何度も札を立てて、入念に準備した回答、その場で代表団で瞬間的に打ち合わせをして捻り出した回答を発言し続けた。隣には、大先輩の現経産省通商法務官がおり、要所で紙を差し入れてくれるなど、大変心強かった。数日間にわたる審理が終わると、すっかり暑くなった、夏のレマン湖のほとりで、共同戦線を張ったいくつかの国の代表団同士で慰労しあった。幸いこの事件は日本側の勝訴となる。かかる経験は筆者の弁護士としての職業人生の幸運でもあり、誇りでもある。こうした経験は現法務官から私に引き継がれたように、日本の法曹の将来世代に、脈々と引き継がれていくのだろうと、信じて疑わなかった。

法律時報2019年9月号
定価:税込1,890円(本体価格1,750円)

ところがである。今、その上級委員会が危機に瀕している。米国トランプ政権が、WTOの紛争解決手続、特に上級委員会の正当性について正面から問題提起し、任期が終了した上級委員会に代わる欠員任命を停止しており、このままいくと今年中に、案件審理に必要な最低人数である3名を下回る可能性が高い。標記の川瀬論文は、何故このような事態が生じているのか、その解決策としていかなる提案が一部のWTO加盟国、法律家からなされているのか、それらの適否について、冷静に法的観点から、テンポ良く解説し、的確に分析している。ただし、基調になっているのは、国際通商紛争を法的に公正に解決していくことの重要性を信じ、一方的な保護主義や一方的な通商的報復措置への警鐘を鳴らす、川瀬教授の熱い想いである。研究者として、WTO紛争解決手続の戦略的活用とその限界について長く研究してこられた1)、真骨頂である。

国際法の話だからと、敬遠しないでもらたい。川瀬論文では、上級委員会問題の課題や解決策について、法律家であれば理解し、議論に加わることのできる共通言語である、「司法積極主義」や「先例拘束性」、「審理遅滞」、「訴訟経済」、「法律問題と事実問題」、「判断の事後的評価」、「(ルールの)安定性と予見可能性」「代替策としての仲裁」といった基本論点を軸に、過不足のない範囲でWTO協定や国際法にも触れながら、非常に明快に論旨を展開する。法学部生のディベートの題材にして、法的思考力や訴訟手続についての理解を鍛える素材にしてもよいのではないかとさえ思える。

ここで、川瀬論文のとりあげる論点について詳細に触れる紙幅の余裕はなく、また、それは筆者の力の及ぶところではないが、上級委員会機能停止時の代替案の部分に関して、若干筆者の考えも述べてみたいと思う。川瀬論文では、WTO加盟国中心に実際に提出されている代替案として、WTO協定に根拠を持つ仲裁の援用、上訴制限の合意、パネル(第一審)後の一般国際法上の対抗措置が取り上げられ、分析、評価されている。筆者は、こうした実際にWTO改革の文脈で提出されている意見加えて、経済連携協定(いわゆるEPA)に基づく紛争解決手続の活用の可能性についても、分析と評価がなされるべきではないかと考えている。特に、日本は、11カ国が加盟するCPTPP(いわゆるTPP11)、日EU経済連携協定といった巨大経済連携協定の当事国であり、こうした代替案についても研究を進め、WTO改革と並行してその活用のあり方について提言すべきように思われる。実際に日EU経済連携協定の紛争解決手続の仲裁人リストは、内外の上級委員経験者や日本を代表するパネル経験者等の充実した布陣となっている2)

また、WTOとは異なる文脈であるが、近時、いわゆる投資家対国家の紛争解決手段である投資協定仲裁のあり方にも疑問が出され、EUなどは改革案として仲裁ではなくより司法的な国際投資紛争裁判所構想を提示している。一見、WTOの裁判所化に批判が起きていることとは反対の方向のようにも思われ、混迷度が増している。同じ国際経済紛争の解決方法として、両者を統合的な視野から分析研究していくことも興味深いかもしれない。

川瀬論文は「WTOの多数国紛争解決手続が保障してきた「法の支配」を失い、未知の領域に踏み込む可能性が危ぶまれる」と締めくくられている。このweb書評の連載を担当している筆者の所属する西村あさひ法律事務所は、「法の支配を礎とする豊かで公正な社会の実現」を基本理念としており、筆者としても川瀬教授の懸念に呼応せざるを得ない。

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藤井康次郎(ふじい・こうじろう)
西村あさひ法律事務所パートナー弁護士。独占禁止法/競争法及び国際通商法を専門とする他、国際争訟、企業危機管理やロビイング業務にも精通している。これらの分野における著作が多数あり、政府委員会での委員等も多く務める。経済産業省通商機構部、ワシントンDCのクリアリー・ゴットリーブ・スティーン アンド ハミルトン法律事務所での勤務経験も有する。

脚注   [ + ]

1. 一例は、川瀬=荒木一郎編著『WTO紛争解決手続における履行制度』(三省堂、2005年)。
2. http://ec.europa.eu/transparency/regdoc/rep/1/2019/EN/COM-2019-313-F1-EN-ANNEX-1-PART-1.PDF ※PDFファイルが開きます。