『入門・現代流通論』(著:野口智雄)

一冊散策| 2019.09.20
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

はしがき

本書のねらい

経済社会が自給自足状態を脱却し、生産の専門性が高まることでモノづくりの外部化が一般的になると、そこには不可避的に多様なギャップが発生した。生産者と最終消費者との間に横たわる地理、所有、時間、情報等の諸面の齟齬が経済活動参加者に意識されるようになったのである。

そして、これらのギャップを架橋することにビジネスチャンスを抱く事業者が登場した。モノの移転課業に特化した流通業者である。

本書は、この流通業者に焦点を当て、彼らの発生・変化のメカニズムの解明と経済社会における存在意義の明確化を目的としている。流通業者はどのような要因の連鎖によって発生し、それは変化する経済社会においてどのような機能を果たし、いかなるメカニズムのもとで変貌し、今後どのようにメタモルフォーゼを遂げるのかといった諸点に、筆者は主な関心を持っている。これらは、多くの先学が取り組んできた課題ではあるが、かつてドラッカーが嘆じたような「経済の暗黒大陸」でこそないものの、いまだその内実とダイナミズムに関して十分な解明と理解が得られているとはいいがたい。この種のメカニズム解明は、経済社会が不確実な環境変動(不況、イノベーション等)の影響を受け、時間とともに変化する「生き物」である以上、容易な解決を許さない永遠のテーマなのかもしれない。しかし、これらの課題の解決は、最終消費者に効果的かつ効率的なベネフィットの向上をもたらすために避けて通れないことであるともいえる。

本書の構成

それゆえ、本書では、以下のような8章構成をとり、これらの課題の解決に接近した。

第1章では、現実の流通の飛躍的変化とは対照的に、流通に対する一般の認識は過去とさほど大きく変わってはいないという現実をふまえ、従来の流通研究に内在するモラトリアム性とその原因について検討した。そして流通の存在意義を明確化するために、それが過去から現在まで経済社会において果たし続ける重要な機能について解説した。

第2章では、流通が発生するメカニズムに関して、その歴史を振り返ることにより明確にした。まず流通の誕生から垂直的な分化に至る、いわゆる「流通が長くなる」プロセスを筆者の「細胞分裂説」に基づいて明らかにした。だが20世紀になると、卸売流通の存在意義を問う「問屋無用論」が、なぜか先進国である欧米、そして日本で台頭した。なぜこのような議論が興ったのか、その背景を探り、そしてそれはどうして成り立たなかったのか、その原因を究明することで、経済社会における流通の立ち位置と付託された役割を浮き彫りにする。

第3章では、卸売業者に焦点を当て、これまで流通の分野で発表されてきた、主に卸売流通の存在意義を明確化する著名な理論および実証研究を紹介、検討する。流通が発生し、卸売流通の多段階化が起こったことは紛れもない事実である。それは、歴史的事実として是認されるとしても、それが本当に経済的妥当性を有するものなのかどうかを、この章では学問的に究明する。そして、これまで大きな関心事として幾度も取り上げられてきた流通構造と小売価格との関連性、つまり卸の段階数と小売価格との関係についても論じてみたい。

第4章では、近年広範にみられるようになった直接流通に関して、その動向と背景について考察する。卸売流通は経済社会の高度化とともに、社会的分業の一翼を担う存在として登場した。だが実は、条件さえ整えれば卸売流通を排除することは可能であるし、その方が合理的な場合がある。近年の直接流通を促した要因には、(1)卸売業のパワー低下、(2)流通のグローバリゼーション、(3)小売業者のプライベート・ブランドの浸透などがあると思われるが、これらは主に小売業者が卸売業者の課業を奪う「川下からの浸潤」現象である。この章では、流通構造に影響を及ぼす主要な要因の解明を目的として近年、顕著に現象化してきている直接流通化の動態について明らかにする。

第5章では、最終消費者との接点にある小売業に焦点を当て、その発生と展開について考察する。「行商」から始まった小売業は、卸売業とは比較にならないほど古くから存在するが、その発生および変遷の歴史をたどると、環境要因がかなり大きなインパクトを持っていたことがわかる。たとえば、経済高度化、大都市化の流れの中で百貨店は誕生し、郵便インフラ・物流インフラ等の高度化により通信販売が生まれた。本章では、小売業の発生と変遷のプロセスを史的に跡づけることによって、小売業態進化のメカニズムを探る糸口を得ることを目的としている。

第6章は、これまで提示された小売業態の発生や展開を説く伝統的理論(仮説)について検討し、小売業態進化の理論的メカニズムを明らかにすることを目的としている。この分野の伝統的理論は比較的豊富で、「小売の輪」「アコーディオン理論」「真空地帯論」のように命名も多彩である。だが、それらの多くは、新業態の発生と展開に関して、目立った現象の単純なサイクルのみを描写したものであったり、哲学的、観念的色彩の強いものであった。

そこでこの章では、メカニズムの一般論的解明を目的とした筆者独自の理論仮説(「螺旋らせん型進化モデル」「新業態臨界モデル」「入れ子構造モデル」等)を提示し、その枠組みの中で関連する著名な伝統的理論について随時、紹介、検討していくことにする。

第7章では現在、急成長を遂げるEC(Electronic Commerce:電子商取引)の成長要因と今後の小売市場の動向について考察する。全世界的な趨勢はもとより、成熟社会、人口減少社会の日本においても、この新業態は大躍進している。なぜこの業態はこれほどまでの成長を成し遂げられたのか、その要因は一体何なのか。そして無店舗小売業であるECの跋扈ばっこにより伝統的な実店舗はどのような影響を受け、小売マーケットの勢力地図は今後どう変貌していくのか。本章では、これらの諸問題に対する解答を模索することにしたい。

第8章では、流通の未来像について検討し、展望してみたい。現代流通は、ICT、IoT、AI、ロボット、高度センサー等、多様なイノベーションの開発・導入により、EC、フリーミアム、自動発注、大型自動倉庫、高速物流、ドローン配送、無人店舗、キャッシュレス店舗、無料スーパーなどを実現し、最終消費者に高度な経済性、利便性、多様性などを提供し始めている。現下、流通に関わるイノベーションは日進月歩で、現代流通はまさに大きなメタモルフォーゼのただ中にいるといえる。この章では、本書の締め括りとして、流通進化の方向を予見させるシグナルを抽出し、それを解読することで、従来とは比較にならないほど高次元のスマート化を成し遂げつつある現代流通の態様と今後の動向について明らかにしたい。

本書の経緯

さて、本書を著した動機、経緯などについて触れておきたい。筆者は流通分野に関してこれまで、小売流通、プライベート・ブランド、流通外資、価格、店舗戦略などに特化した単行本は上梓してきたが、流通全般をカバーする解説書は手がけたことがなかった。しかし、いつか流通のダイナミズムと経済社会に果たす役割(機能)に関して明確にし、未来の変化の動向を見透す羅針盤となるような書物を書きたいと常々思っていた。

そんな折、日本評論社『経済セミナー』誌より、「流通全般」を論じる貴重な機会を得た。2018年4・5月号$\sim$2019年2・3月号までの1年間、全6回の連載において、流通の基礎的な理論については一応網羅でき、加えて筆者なりの独自の見解も表明できたのは非常に幸運だった。またそれを単行本化していただけるという、きわめてありがたい機会もいただいた。本書は、この連載を土台にしながら、近年進行しつつある直接流通化やECの動態などに関して新章として書き加え、内容の充実を図ったつもりである。ぜひ、流通に関心を持つ多くの方々に、手に取ってもらえればと思っている。

振り返れば、今から30数年前。筆者が曲がりなりにもプロの研究者になったとき、ある先輩から「歴史は現代を見るための鏡として活用すべきである」と教えられたことがあった。当時は、「温故知新」あるいは「賢者は歴史に学ぶ」か、と軽く聞き流していた。しかし、齢六十を過ぎてこれまでの研究活動を振り返ると、先輩の言葉の重みがようやく理解できたような気がする。

人の営みは、その基底に「自己中心的な欲望」が内在する事実を知れば、複雑なようで意外に単純である。過去の事象や変化のパターンをきちんとトレースし、検討することで、現代をより正確に把握し、未来への指針を得られることがある。本書が、流通現象に関わる根本理解と広範な知識を得るための一助になればと心から念願している。

最後に、本書の作成にあたって、『経済セミナー』連載当時から一貫してお世話になっていた同誌編集長の小西ふき子氏に、ご高配いただいた。また、書籍化の過程では、編集および助言の面で同誌編集部の尾崎大輔氏に大変お世話になった。両氏には、ここに深謝の意を表したい。

2019年6月
野口智雄

目次

  • 第1章 流通の過去と現在
  • 第2章 流通の進化と逆説
  • 第3章 流通の理論と実証
  • 第4章 直接流通化の動態
  • 第5章 小売業の発生と展開
  • 第6章 小売業態進化の理論
  • 第7章 ECとオムニチャネル
  • 第8章 流通の未来

書誌情報など