『離婚後の共同親権とは何か 子どもの視点から考える』(編著:梶村太市・長谷川京子・吉田容子)

一冊散策| 2019.05.22
新刊を中心に,小社刊行の本を毎月いくつか紹介します.

離婚後の子に対する「共同親権/監護」の導入は、真に子の利益になるのでしょうか?

その問題点を明らかにし、法改正の是非を論じます。
本書の第2~第8章のサマリーを公開しています。
閲覧には上記目次をご利用いただけます。

 

 

 

第2章 離婚後共同親権と憲法―子どもの権利の視点から(木村草太)

日本国憲法13条の「個人の尊重」、25条1項の「生存権の保障」、26条1項の「教育を受ける権利」は子どもにも原則として適用され、子どもの権利は保障される。現行の日本民法はこれらの憲法原則に適合しており、その立場からみて、あるいはドイツ憲法裁判所の離婚後等の単独親権の憲法適合性に関する判断理由の見地から見ても、我が国に離婚後等の単独親権の規定は合理性があり、これを立法的に共同親権に改める必要性は乏しい。

ドイツの基本法(憲法)6条2項1文は、「子どもの保護及び教育は、親の自然の権利であり、まずもって親に課せられた義務である。この義務の遂行については、国家共同体がこれを監視する」と定めている。従来のドイツ民法では、共同配慮の合意は長持ちせず、単独配慮に移行せざるを得ないし、離婚後も共同配慮の選択を認めると、配慮権争いで離婚手続が長引くのを回避するため真意に反する共同親権の意思が示され、子の福祉を害する可能性があるとして、日本の現行民法と同じように例外を認めない単独配慮の規定となっていた。

ドイツ憲法裁判所は、これらが違憲とする訴訟の1982年の離婚後の父母の単独配慮権についての決定で、単独配慮が適切な場合が多いのは確かだが、共同配慮が望ましい例外的な離婚カップルもおり、不適切な共同配慮合意の排除は、裁判所がそれを見抜く努力をすればよいことであるから、単独配慮に一切の例外を認めないのは基本法6条2項1文に違反するとし、1991年の婚外子の共同配慮権に関する決定でも同様の判断を示した。

このようなドイツの法制度から得られる日本法への示唆は、まず親権に関する法制度は、子どもの福祉を実現するためには何がよいかという観点から構築されなければならず、それゆえ婚姻関係にない父母の共同親権を認めるべきは、①父母が自分たちの都合ではなく、子の福祉のために共同で親権を行使する合意をしており、かつ②裁判所などの第三者からみてもそれを認めることが子の福祉にかなうと評価できる場合に限定せねばならないということである。そうすると、日本法の下では、日常生活上の監護権を共同で活用できるのは、父母が良好な関係のまま近所で別居し、双方の家を子どもが行き来するのに無理がないような場合に限られる。しかし、このような事例であれば、単独親権を前提とする民法766条の規定による当事者間の協議(合意)等で共同監護は可能であり、共同監護立法化の必要性は低い。また学校や職業の選択などの親権上の重要事項決定に関しては、日本法は憲法でも民法でも、広範な契約の自由を認めており、公序良俗に反する例外的な場合を除いて、当事者間の契約(合意)により共同親権の行使は可能である。それが不可能な高葛藤の両親間の共同親権の立法化は、監護親や子どもにとって有害であり、危険である。すなわち、重要事項の決定の共同化は、父母の関係が良好なら不要であり、悪ければ弊害が大きい。共同親権制度導入の必要性は低い。

(文責:梶村太市)

第3章 「離婚後共同親権」を導入する立法事実があるか(斉藤秀樹)

立法事実は、法律の制定改正を必要とする社会的事実であり、制定改正された法律の合理性を支える。離婚後の共同親権に立法事実はあるのだろうか。

離婚後共同親権を求める立場の前提には、現実との齟齬がある。まず、単独親権制では親権争いのために離婚紛争が激化するという現実はない。むしろ共同親権では子の監護を挟んだ紛争が離婚後も続くから、それを避けるため離婚時に共同親権を拒む必要が生じ、紛争は激化する。また、親権を得るための子の連れ去りが横行する事実はない。そのような一方的な主張と報道等はあるけれど、そこに裏付けはない。子の親権は、出生以来だれが主に監護してきたかで決められており、子の奪取の帰すうでは決まらないからである。それでも多くの母親が子連れで別居するのは、親権獲得のためではなく、育児を放棄しないためである。同様に、親権獲得のために「虚偽DV」を主張するという事実もない。密室で起こるDV被害の立証は容易でなく、加えて身体的暴力以外のDV被害は軽視され適切に認められないことはあるが、被害者へも子へも被害は大きい。「虚偽DV」主張の背景にはDV軽視がある。

離婚後共同親権が面会交流を促進するという主張もある。だが、現状で面会交流の有無を分ける大きな要因は、父母の信頼関係と別居親の意思であり、親権制度は関係ない。養育費の支払いが低調なのも、親権制度とは無関係である。むしろ、共同親権になれば養育費額が減るかもしれない。このほか、離婚後共同親権を求める立場から、単独親権だと子の喪失感が大きいとか、子を虐待から守れないとか、諸外国では離婚後共同親権はとうに導入されているとか主張される。だが現実はこれほど一面的ではない。離婚に救われる子もいるし喪失感より貧困にあえぐ子もいる。虐待は父母の同居中から起こるし、離婚後の関係継続から起こることもある。先進諸外国は、離婚後も子を巡る家族紛争に悩んでいる。別居親視点の親権制度の変更で、子の利益ははかれない。

(さいとう・ひでき 弁護士)

第4章 離婚後共同親権は子どもの利益とならない(可児康則)

離婚後共同親権を導入することの当否は子の利益の視点からの検討が必須である。

離婚後共同親権というと離婚後も婚姻中の如く父母が子の養育に関わる印象がある。しかしそのような事案は諸外国でも例外的で、親権者の一方を主たる監護親と定めて日常監護に関わる事項の決定権を付与し、重要事項の決定権を父母に分属させる形態が一般的である。従って、離婚共同親権でも主たる監護親の決定をめぐる父母の対立は避けられない。加えて、離婚後共同親権では共同決定が必要な重要事項まで決めなければならず、更なる紛争の長期化、対立の激化が予想される。

離婚後共同親権では離婚は終局的解決とならない。居所の指定、進路、重要な医療方針など、子に関する重要事項の決定をめぐり父母間で紛争が再燃する。とりわけ離婚に裁判所が関与したような父母の対立が激しい事案やDV・虐待が存在し父母間の協議困難な事案で紛争再燃のリスクが高い。父母間で調整できなければ裁判所が決めるほかないが、その決定は容易ではないし時間もかかる。子は紛争に巻き込まれ、生活も安定しない。
DV被害を受けた親も重要事項の決定のため加害者との協議が不可避である。そのストレスは計り知れず、被害からの回復を阻害する。子の監護養育にも負の影響が及ぶ。

離婚後共同親権では15歳未満の子と主たる監護親の再婚相手との養子縁組は非監護親の承諾がなければできない。子と再婚相手の関係が良好でも、子が望んでも、養子縁組は不可能である。子連れ再婚家庭への影響は極めて大きく、支援者からも慎重な検討を求める声が挙がっている。

離婚後共同親権の導入による子への影響は大きい。両親の離婚後まで子は紛争に巻き込まれ、要らぬ負担をかけられる。生活の安定も遠ざけられるなど子の利益とはならない。子の利益を最優先に考慮するならば、離婚後共同親権の導入は避けるべきである。

(かに・やすのり 弁護士)

第5章 共同身上監護―父母の公平を目指す監護法はこの福祉を守るか(長谷川京子)

身上監護とは、子どもと同居し養育することである。今提唱される離婚後の共同身上監護とは、それを離別した父母双方が担おうというものである。しかしその実態は「共同」ではない。「子と同居する時間=身上監護」と見做して、子どもに、別々に暮らす父母の家を予め決めたスケジュールに基づいて行き来させ、親がそれぞれ自分の家でその時間子どもと生活するものである。この取決めのものとでは子どもはどちらの家でもパートタイムのメンバーになり、一つの家庭・地域・学校生活に根を張り広げることができない。2つの家の養育やしつけの方針が調和するとも限らない。一方の親の世話が不十分なら他方の親の世話に毎回しわ寄せが行くので、養育の質も低下する。養育を同居時間で換算するから、双方親の時間差が小さいほど養育費は減る。その結果、養育費の支払いを嫌う親は、子との同居時間の拡大を求めるようになり、紛争と裁判は増える。子どもを行き来させるため双方の親の転居は制限されるので、生活環境の改善や収入増加の機会を制限される。
離婚後に双方の親が子の養育に関われば子の健全な発達が促されるという見解は科学的に実証されていない。それにもかかわらず、双方の親の関わりを自己目的化して推進すると、子の福祉より親の権利を強化し、監護裁判を子の福祉から父母の公平な関わり実現する手続きへと変質させ、子の監護で何よりも重要な安全安心が軽視される。すなわち、双方の親に子と同居する時間を確保するために、裁判で、別居前のDVや虐待など相手親の関わりに反対する主張を牽制・制裁するルールが導入されていく。その結果、皮肉なことに、DV虐待を含む厳しい紛争事案ほど共同身上監護が採用され、安全安心をはじめとする子の福祉が蹂躙される。このリスクは、選択的な共同身上監護制度でも変わらない。

離婚後の共同身上監護の導入は、子を心身の危険にさらし、子どもから安心して戻れる家を奪い、養育の質を低下させる。

(はせがわ・きょうこ 弁護士)

第6章 『共同』監護(親責任「分担」)を採用している国の経験(小川富之)

最近、欧米の共同親権制(Joint Parental Authority)に倣って日本法にも導入すべきだとする動きがあるが、欧米では一般に離婚後の親子のかかわりに関しては、最近でこそ共同監護(Joint Custody)→分担親責任(Shard Parental Responsibility)へと、監護につき親の権利から子の権利へと変化し、さらに「子の世話」(Care)なる概念に移ってきてはいるが、かつてはその倣おうとする欧米諸国では、共同養育に向けての法改正によって、今後の親子の関わりの場面で親の権利性が高まったことから、21世紀になる前後から、子の生育にとって深刻な問題が生じ、その解決に苦慮し続けているというのが、従来の欧米諸国の共同親権・共同監護権法の実情であった。しかし最近では、単独親権制度を採用している日本の親権・監護権制度に対し多くの欧米先進国の専門家から一定の評価を得るに至っているという時代の流れがある。

オーストラリアでは、1975年家族法が徹底した破綻主義を採用し、同年発足した連邦家庭裁判所が未来志向の子の監護問題等に焦点を当てて審理するようになり、その後の数回の改正法での養育費の算定と履行確保や「子どもの独立代理人」や「家庭裁判所カウンセラー」あるいは「ファミリー・リレイション・センター(家族関係支援センター)」「コンタクト・センター(面会交流センター)」などで子の最善の利益の確保に努めてきた。そのうえ、さらに2006年改正では、父親の権利擁護団体から要請から、別居親の権利性を強めるとともに、片親疎外症候群(PAS)の観点から子の養育の均等化に努め、養育時間均等の視点を重視した改正を行った。それによって、暴力に対して問題を有する父親の面会交流に適切に対応できず、殺人など子の生命や身体に関わる事件が相次いだ。加えて、それによって父親側が権利性を主張して強気となり、それまでの円満な話合いで解決していた類型のものまで、最後まで裁判所で争うようになり、紛争性をさらに高めた。監護側の母親は児童虐待等を証明できないと、アン・フレンドリーとみなされて監護権まで失うことを恐れてその主張に躊躇するという事態を招いた。

そのため、そのわずか5年後の2011年に、DVや児童虐待を含めた「ファミリー・バイオレンス(FV)」の防止に重点を置き、「父母との有意義な関係継続」よりも「子どもの保護」に重点を置き、フレンドリー・ペアレント・ルールの廃止などこれまでとは全く逆の方向の改正を行った。

ここでの教訓は、親の権利性を高めるような法制度が導入されると、その後法制度としてそれを抜本的に改善する改正がされても、実体法としての問題の払拭には大きな障害が残ることを物語るものであり、日本の共同親権制度導入にはそのような問題意識が必要であるということである。日本の現行民法の単独親権制の下でも、当事者間の協議により欧米で行われているような共同又は分担での子の養育の実現は可能であり、共同親権立法化の必要性はない。

(文責:梶村太市)

第7章 『離婚後共同親権』選択法制の是非(渡辺義弘)

2018年7月に離婚後子どもの親権を父母双方に残す制度の導入の検討が始まるとの報道に接したが、紛争当事者の実際の苦悩と現実を踏まえた議論をしなければ、単なる理想論で終わってしまう危険性がある。筆者は、かつて2008年に、離婚父母の一致した意思を尊重する法制が理想であるというユートピアの罠にとらわれ、協議離婚を含めて共同親権者を選択できる選択的共同親権の立法化を説いた経緯がある。そこでは「弊害の救済」とセットにしてはいるが、その後10年余の時間軸の変遷によって状況は変わり、本稿の段階で、離婚後共同親権の選択法制の選択肢を加えることは、むしろ紛争多発を招き弊害は除去され得ず、危険であるとの見解に改めるものである。その理由は以下のとおりである。

第一に、協議離婚制度の中に「離婚後共同親権」の選択肢を持ち込むと、サンダー教授が指摘するような、①離婚後子育てについての価値観の共通性、②離婚相手と子どもに良識的な対応が可能で、③互いに十分に意思疎通ができるという三条件をそろえている父母は少なく、この選択肢の下では、監護親は離婚を急ぎたい余り相手方の頑迷な要求に屈して、心ならずも真意に反し、共同親権を選択してしまう危険性が高まる。

第二に、家庭裁判所の調停・和解に「離婚後共同親権」の選択肢を持ち込むと、まさに裁判所に持ち込まざるを得ないほどの高葛藤の事案である以上、より危険性が大きい。この10年の間に、家庭裁判所を支配し始めた面会交流原則的実施政策の理念的ドグマ(非監護親の関わりドグマ)による調停・審判の運用が一般化した今日では、裁判所側が対決父母間の紛争を早期に一件落着させ、裁判所の負担を軽くする意図で、折衷的に離婚後共同親権を勧め説得する流れとなり、危険である。

先行した我が国の調停制度を中心とする韓国・台湾を含む極東アジア型調停制度は、調整とはいっても公権力主導で最後は上からの説得が主体となり、自己責任を基礎とする当事者主導の欧米型メディエーションとはその考え方、構造が異なる。欧米型では、調整・合意は共同監護の手法すなわち監護権(法的・身上)の行使態様の調整や法的監護権の委譲(変更)が中心となり、その合意内容は詳細を極めるが、極東アジア型ではむしろ共同親権を新たに設定するか否かが中心的な調整・合意の対象とし、欧米諸国の歴史的経験を飛ばして単純化してしまい、その弊害は大きい。

家事調停や和解勧告ですら意見の一致を見ない離別夫婦に、離婚後共同親権を強制する法制の立法などはもはや問題外であり、危険性は計り知れず、筆者はその立法化には反対する。

(文責:梶村太市)

第8章 民法と調停・審判等の双方からみた離婚後共同親権立法化の危険性(梶村太市)

第一に、民法819条は、離婚後の未成年者の親権について、父母の一方を親権者と定めなければならないとし、その例外を認めていない。これは、合意による協議離婚でも、調停や審判などの裁判離婚でも同様で、全て単独親権しかあり得ず、共同親権を認める余地はない。そして、一方を親権者と定めた以上は、当事者は合意のみで他方に変更することはできず、親権者の変更には調停や審判など裁判所の関与が不可欠である。このような単独親権の「固定的性格」は最近世界的にも評価され始めており、何よりもこのような単独親権制は我が国の多年にわたる国民生活の基層文化となっており、第二の監護権の流動的可変的性格と併せて、世界的にみても、親権法・監護権法の最先端を行く優れた立法制度となっている。

第二に、民法766条は、未成年者の身上監護を中心とした監護権について、合意さえできれば当事者間の協議で自由に、子の監護者の決定、非監護者と子との面会交流、監護費用(養育費)の分担等を決めることができるし、その変更も同様である。裁判所の調停や審判でも可能であり、それは当事者間の「協議に代わる処分」とされており、その方向性において「子どもの最善の利益」にかなうことが求められているのみで、手続上制約はない。このような「監護権」の「流動的性格」からすれば、離婚後の監護権の共同行使の具体的態様は、当事者間の合意=協議=契約で自由に定めることができ、共同監護の態様を定めることが可能である。そのような合意可能な当事者である限り、共同監護権を法制化する必要は全くない。

問題は、離婚する当事者間の精神的対立が激しく状態にある場合には、当事者間の合意による解決は望むことはできないので、これを実現させるためには何らかの立法的措置を取るしかない。そこで本章では、共同親権立法化の方向として考えられる、①原則的共同親権制(欧米諸国の多くが採用)、②選択的共同親権制(我が国で多く支持)、③原則的単独共同制(例外的に合意があるか又は裁判所が相当と認めたとき)について、個別的に検討した結果、実体法の見地から見た場合、何らかの共同親権・監護を立法化することは適切でないという結論に落ち着いた。

次に手続法的見地からみた場合には、面会交流について子の監護に関する処分の一類型として明文化しただけで、我が国の調停・審判では面会交流原則的実施論に基づく運用となってしまった等の経緯から、少しでも共同親権・監護権の立法化を許せば、それ以上に調停・審判において原則的処理が横行することは目に見えており、弊害が大きくどのような形にせよ、そのような内容を含む立法化は阻止しなければならないとの結論に達した。
離婚後の単独親権・監護権の制度は、我が国の国民生活に適合しており、世界的見地からも普遍性・妥当性が認められ、これを維持・発展させるのがわれわれの務めであると考え、共同親権・監護権の立法化に反対する。

(かじむら・たいち 弁護士)

 

目次

はしがき
第1章 共同親権は何を引き起こすのか?――映画『ジュリアン』を手掛かりにして……………千田有紀
第2章 離婚後共同親権と憲法――子どもの権利の観点から……………木村草太
第3章 「離婚後共同親権」を導入する立法事実があるか……………斉藤秀樹
第4章 離婚後共同親権は子どもの利益とならない……………可児康則
第5章 共同身上監護――父母の公平を目指す看護法は子の福祉を守るか……………長谷川京子
第6章 「共同」監護(親責任「分担」)を採用している国の経験……………小川富之
第7章 「離婚後共同親権」選択法制の是非……………渡辺義弘
第8章 民法と調停・審判等の双方からみた離婚後共同親権立法化の危険性……………梶村太市
第9章 監護法の目標と改正検討の要点……………吉田容子
あとがき

書誌情報など