(第8回)柳の枝に箏を掛ける-日本の最高裁と韓国大法院(遠藤比呂通)

私の心に残る裁判例| 2019.04.01
より速く、より深く、より広く…生きた法である“判例”を届ける法律情報誌「判例時報」。過去に掲載された裁判例の中から、各分野の法律専門家が綴る“心に残る判決”についてのエッセイを連載。
判例時報社提供】

(毎月1回掲載予定)

◎在日韓国人元日本軍属障害年金訴訟上告審判決

財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和40年条約第27号)の締結後いわゆる在日韓国人の軍人軍属に対して援護の措置を講ずることなく戦傷病者戦没者遺族等援護法附則2項を存置していたことと憲法14条1項

(最高裁判所平成13(2001)年4月5日第一小法廷判決)

【判例時報1751号68頁掲載】

「柳の枝に箏(こと)を掛ける」(hang a harp on a willow tree)は、故国を失い、外国に捕囚となった民の嘆きを現す成句です。この成句は、もともと、旧約聖書詩篇137の次の一節に由来しています。

我らはその中の柳に、我らの箏をかけた。我らをとりこにした者が、我らに歌を求めたからである。我らを苦しめる者が楽しみにしようと、「我らにシオンの歌を一つ歌え」といった。我らは外国にあって、どうして主の歌を歌えようか。

この詩を引用したのは、女子挺身隊、徴用工、軍人軍属などと呼ばれてきた人々の一人ひとりへの謝罪と賠償がなされないまま、ほとんどの人がお亡くなりになっていく中で、捕囚の民となった人々の叫びに耳を傾ける必要があるとの思いからです(国と国との駆け引きではなく)。

済州島出身の鄭商根(チョン・サングン)さんが、旧日本軍の軍属として負傷し、重い障害を負ったにもかかわらず、障害年金の受給を拒否されたという事案で、「違憲の疑いがある」としながらも、鄭さんを敗訴させた大阪地裁判決後、鄭さんは「理不尽なり」という言葉を遺言として、お亡くなりになってしまいました。鄭さんは、21歳で召集され、戦後は大阪に留まり、古本屋さんを営んでいたといいます。弁護団は、済州島に遺され、別れたとき1歳だった鄭さんの長男と配偶者が訴訟を引き受けるよう交渉し、結局、お二人は、鄭さんの無念を思い、訴訟を引き受けたのです。

1997年1月に、大阪弁護士会に弁護士登録を済ませた私は、丹羽雅雄弁護士の依頼で、大阪高裁の控訴審と、最高裁判所の上告審でご遺族の代理人となりました。最高裁判所は、今、日韓の間で大きな問題になっている、1965年締結の日韓請求権協定について、日本国政府の解釈と大韓民国の解釈が違うことで、「在日韓国人の軍人軍属は、その公務上の負傷又は疾病につき日本国からも大韓民国からも何らの補償もされない」状態にあると認定しながらも、やはり、遺族の訴えを退けました(なお、鄭さんに対する判決(訟務月報49巻5号1490頁)は、2001年4月13日第三小法廷により下されましたが、その論理は、その8日前に下され冒頭に引用されている第一小法廷判決と同じです)。

  • (1) 在日韓国人を補償の対象から除外した援護法附則2項は、1952年の制定当時においては十分な合理的根拠があった(将来の二国間取極めに委ねられたから)。
  • (2) 2国間取極めである日韓請求権協定の締結後、日本人の軍人軍属と在日韓国人の軍人軍属との間に公務上の負傷又は疾病等に対する補償につき差別状態が生じていたことは否めない。
  • (3) 差別状態が生じていたにもかかわらず、援護法附則2項を存置したことが、憲法14条1項に違反しないか検討されなければならない。
  • (4) 軍人軍属の公務上の負傷若しくは疾病のような戦争犠牲ないし戦争損害に対する補償は、憲法の予想しないところというべきであり、その補償の要否及び在り方は、事柄の性質上、財政、経済、社会政策等の国家全般にわたった総合的政策判断であって、立法府の裁量的判断に委ねられたものと解される。
  • (5) また、援護法附則2項を廃止することを含めて在日韓国人の軍人軍属に対して援護の措置を講ずることとするか否かは、大韓民国との間の高度の政治、外交上の問題でもあるということができ、複雑かつ高度に政策的な考慮と判断が要求される。
  • (6) 日韓請求権協定の締結後、援護法附則2項を存置したことは、いまだ複雑かつ高度に政治的な考慮と判断の上にたって行使されるべき立法府の裁量の範囲を著しく逸脱したものとはいえず、憲法14条1項に違反しない。

この判決のどこにも、一体誰が、日本国政府からも大韓民国政府からも見放された在日韓国人の「差別状態」の解消について責任を負うべきかが示されていません。それどころか、「差別状態」が生じる原因となった日韓請求権協定2条2項(a)の解釈について、日本の最高裁判所は、自らの解釈を示す責任さえ放棄しています。この判決を、鄭さんの遺族にどう説明したらよいのでしょうか。これが、「私の心に残る判決」、というより、「私の心に突き刺さっている判決」です。

この判決の無責任さはどこからくるのか。改めて考えざるをえませんでした。その過程で、私を含めた日本の法律家が、鄭さんを軍属として徴用した日本の法令を有効なものとして扱っていたこと自体に疑問を抱くようになりました。それは、とりもなおさず、日本の法令の土台にある1910年の韓国併合条約を有効なものであると認めることを意味します。法的安定性がらすれば、それもやむをえないのでしょうか。「悪法も法なり」ということでしょうか。これは、間違いだと思うようになりました(遠藤『市民と憲法訴訟』162頁)。

日韓請求権協定の土台となっている日韓基本条約では、韓国併合条約の侵略性が最大の争点となりました。韓国側は、国際法違反であり、初めから無効であったと主張しましたし、日本側は、当初有効であったが、領土喪失により無効となったといいました。妥協の産物として、already void =「既に無効」という言葉が使われ、解釈が曖昧にされてきたという経緯があります(祖川武夫『国際法と戦争違法化』(信山社、2004年)243頁以下)。

2018年10月30日、韓国大法院は、元徴用工の方々の損害賠償請求権は、日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配と、侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とした慰謝料請求権であり、日韓請求権協定の適用の対象に含まれない、としました(権南希「強制動員被害者の請求権、司法判断と外交」法律時報91巻2号4頁以下)。

今回の判決は、韓国政府が、侵略性を前提とした国民の請求権を、侵略性を認めない日本国政府に対し放棄したはずがないという理屈をとるものです。その意味で日本の戦争責任回避の理屈を逆手にとったものだといえるかもしれません。

しかし、今、我々が考えなければならないのは、韓国大法院判決が、同じ事案に対する日本の最高裁判所判決は「公序良俗に反し無効である」と認定したうえで、上記判断をしたことではないでしょうか。日本の為政者達がいうような、1965年の協定の解釈という単なる国際法上の問題ではありません。1910年の韓国併合条約に対し今の私たちがどう向き合うかという、法=倫理の問題だからです。同じ人類の一員として、大法院判決が正しいのか、最高裁判決が正しいのか。歴史の法廷において問い続けなければならないと思うのです。

私の専門は憲法訴訟ですが、日本の憲法訴訟のパイオニアの一人であった、芦部信喜さんは、個人の尊厳を冒し、その自由を不当に侵害する法律は、正当な法としての性格を否定しなければならないという考えから、「ラートブルフ・テーゼ」を憲法訴訟論の土台に置いたといいます(「芦部信喜・平和への憲法学(10)信濃毎日新聞2018年9月5日朝刊」。ここでいう、「ラートブルフ・テーゼ」とは、ドイツの法哲学者グスタフ・ラートブルフが1946年に発表した「実定法の不法と実定法を超える法」という論文にある次の一節に集約できるもので、ドイツの戦後処理の土台となりました。

正義の追及がいささかもなされない場合、正義の核心をなす平等が、実定法の規定にさいして意識的に否認されるような場合には、そうした法律は、おそらく単に《悪法》であるにとどまらず、むしろ法たる本質をおよそ欠いているのである。

賠償責任を肯定した大法院判決は、本来、日本の最高裁判所が採るべき立場だったのではないでしょうか。

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遠藤比呂通(えんどう・ひろみち 弁護士)
1960年生まれ。東京大学法学部助手、東北大学法学部助教授を経て現職。この間、文部省在外派遣研究員長期、ケンブリッジ大学政治社会学部客員研究員、宮城県情報公開審査委員を歴任。著書に、『希望への権利』(岩波書店、2013年)、『人権という幻』(勁草書房、2011年)、『不平等の謎』(法律文化社、2010年)、『市民と憲法訴訟』(信山社、2007年)、『自由とは何か』(日本評論社、1993年)。