(第5回)陪審裁判の開始

渋谷重蔵は冤罪か?―19世紀、アメリカで電気椅子にかけられた日本人(村井敏邦)| 2019.01.22
日本開国から24年、明治の華やかな文明開化の裏側で、電気椅子の露と消えた男がいた。それはどんな事件だったのか。「ジュージロ」の法廷での主張は。当時の日本政府の対応は。ニューヨーク州公文書館に残る裁判資料を読み解きながら、かの地で電気椅子で処刑された日本人「渋谷重蔵」の事件と裁判がいま明らかになる。

(毎月下旬更新予定)

1889年12月3日、事件の送付を受けたニューヨーク高等刑事裁判所(Court of Oyre and Terminer)では、ジョン・ブラディー判事のもとで陪審裁判が開かれた。

1 陪審員の審訊

最初に、陪審員の審訊と宣誓が行われた。

冒頭、ブラディー裁判長は、被告人に対して、もし陪審員を忌避するつもりがあるならば、陪審員が出廷して、宣誓をする前にしなければならないと告げた。

最初に呼ばれた陪審員は、ウィリアム・コロンで、検察官との間で次のような質疑が行われ、最後に宣誓が行われた。

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