原子力発電所事故についての神話的解釈:福島県南相馬市(堀有伸)

こころの現場からセレクト(こころの科学)| 2019.01.25
心理臨床、医療、教育、福祉、司法など、対人援助にはさまざまな「現場」があります。「こころの現場から」は、そうした臨床現場の風景をエッセイという形で紹介するコーナーです。雑誌「こころの科学」にこれまで掲載されたもののなかから、こころの科学編集部がいま届けたい記事をセレクトして転載します。

(奇数月下旬更新予定)

◆この記事は「こころの科学」173号(2014年1月)に掲載されたものです。◆

最近、確信を深めていることがある。東日本大震災からの復興は、「震災後に発生した問題への対応」のみによっては成し遂げられない。震災によって露呈した私たちの社会が旧来から抱えていた問題を正視し、それを乗り越えることが求められている。

そのように考えるのは、この震災が原子力発電所の事故という特権的な出来事と結びついているからである。もちろん、東日本大震災における地震と津波の影響は甚大で、それを軽く扱うことは適切ではない。私は現在、福島県南相馬市に暮らしているが、津波を直接経験した人が抱いている恐怖心や絶望・悲しみは、簡単に語られるようなものではない。しかしながら同時に、地震と津波に対しては「日本人は必ず上手に対応する」という思いも、私の中には存在している。長い歴史を通じて日本人が自然に対して育んできた智恵に対する信頼がそうさせているのだろう。

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