(第6回)ことわざの由来(前編) Ovumne prius extiterit an gallīna?/卵が先か鶏が先か?

竪琴にロバ:ラテン語格言のお話(野津寛)| 2024.04.24
格言といえばラテン語, ラテン語といえば格言. みなさんはどんなラテン語の格言をご存知ですか? 日本語でとなえられる格言も, 実はもともとラテン語の格言だったかもしれません. みなさんは, 知らず知らずに日本語で, ラテン語を話しているかもしれません! 実は, ラテン語は至るところに存在します. ラテン語について書かれた本も, ラテン語を学びたいという人も, いま, どんどん増えています. このコラムでは, ラテン語格言やモットーにまつわるお話を通じて, ラテン語の世界を読み解いていきましょう. (毎月下旬更新予定)

ラテン語の格言は最初から格言だったわけではなく, 多くの場合, もとはと言えば特定の作家がラテン語で書いた特定の文章の中で使われていた文章です. それを読んだ読者が抜粋し, 引用し, 場合によっては, しかるべき改変を施した結果なのです. それゆえ, 格言には, それがもともと使われた本来のコンテキストがありました. しかし, そのコンテキストになっていた文章そのものが, 格言から作られたという場合もあります. 格言が先に存在したのか, コンテキストが先に存在したのか? それはまさに,

Ovumne prius extiterit an gallīna ?
オウムネ プリウス エクスティテリト アン ガッリーナ
(卵が先か鶏が先か〔卵がより先に存在したのか, それとも鶏が〕?)

ということになります.

実は, このことわざももともとラテン語で伝わっていたものです. 「卵」を含んだ格言といえば, このことわざが最初に思い出されるのではないでしょうか. この永遠に終わりそうもない堂々巡りの議論をラテン語で引用し, 紹介した最も古い例は, ローマ帝政末期の作家マクロビウス (Macrobius, 400年頃) の『サートゥルナーリアSāturnālia』7.16 です. 卵(=始まり)の前にはかならず雌鶏(=始まり)が存在します. しかし, 雌鶏(=始まり)の前にはかならず卵(=始まり)がさらに存在する以上, どこまで遡っても究極の「始まり」に到達することはありません. 永遠に終わらない堂々巡りの無限進行です.

読み飛ばしていただいても結構ですが, 以下に文法の説明をしておきましょう。

ovumは中性名詞「卵」の単数・主格形, gallīna は女性名詞「雌鶏」の単数・主格形です. いずれも文の主語になる形です. ovum が動詞 exteterit の主語です. これは「存在する」を意味する動詞extō (あるいは exstō) の接続法・完了・3人称・単数形です. 接続法になっているのは, この文が引用元では「私はあなた方から知りたい scīre ex vōbīs volō」に続く間接疑問になっているからです. scīre は動詞 sciō 「知る」の不定詞, exは奪格と共に用いられる, 「〜から」を表す前置詞で, vōbīs は2人称の人称代名詞の奪格・複数形, volōは動詞「〜したい」です. prius は「より先に」を意味する副詞です. トヨタのハイブリッド車プリウス Prius と同じ綴りですが, トヨタの自動車の名前の方は, 中性名詞vehiculum (乗り物) の単数形が了解されているとすれば, おそらく比較級の形容詞 prior「より前の, より先の」の中性・単数形で,  (vehiculum) Prius「より先を行く, 先進の(乗り物) 」という意味なのでしょう. an は英語の or のように「〜か〜, あるいは」を表す接続詞で, ovum を主語とする文とgallīnaを主語とする文とを結びつけています. ne は「〜かどうか」を表すの疑問詞ですが, 文頭の主語 ovum に添えられ, ovumne … an gallīna (…) で「ovumが … なのか, それともgallīnaが(… なのか)」という構文になります. an に続くgallīnaを主語とする文では, 動詞句が繰り返しを避け省略されていると説明することができます.

 

あくまでもラテン語のことわざとしては, このマクロビウスの箇所に遡ると考えられます. しかし, この引用文のすぐ後で, 同じ事態を述べた疑問文が「utrum prius gallīna ex ōvō an ovum ex gallīnā coeperit(鶏が卵から始まったのか, それとも卵が鶏から始まったのか)」と言い直されているのですが, この言い回しの元となったと思われるギリシア語の疑問文が, マクロビウスより古い時代のプルータルコス(Plūtarchus, 46 -119年)がギリシア語で書いた『食卓歓談集』の第8節 (635e-638a) のタイトル「πότερον ἡ ὄρνις πρότερον ἢ τὸ ᾠὸν ἐγένετο (卵と鶏ではどちらが先に生まれたのか)」としても使われており, このプルータルコス『食卓歓談集』第8節の本文においても, この同じ堂々巡りの議論が紹介されていることから分かるように, このラテン語の格言の存在は, 古代ローマ以前に古代ギリシア人たちがすでにこのような議論を熱心に行っていたことを反映したものであることが分かります1).

さて, 「卵」を含むその他の有名なラテン語のことわざとしては, 少なくと2つが知られています.

Ab ōvō
アブ オーウォー
(卵から)

Ab ōvō ad māla
アブ オーウォー アド マーラ
(卵から果物まで)

両者のあいだで ab ōvō の部分が共通の表現になっています. 確かに ab ōvō はお互いに区別がつきませんが, 実はこれらは同じ対象を述べているわけではありません. 前者 ab ōvō の「卵」は, 食べられない類の「卵」, 後者 ab ōvō ad mālaの「卵」は, 食べられる類の「卵」に関するものです. それでは, 両者の違いを説明しましょう.

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脚注   [ + ]

1. Robert Kaster (ed. and trans.), Macrobius, Saturnalia, Volume III, Books 6-7 (Loeb Classical Library).
プルタルコス(著) 柳沼重剛(訳)『食卓歓談集』(岩波文庫, 1987年).

野津寛(のつ・ひろし)
信州大学人文学部教授。専門は西洋古典学、古代ギリシャ語、ラテン語。
東京大学・青山学院大学非常勤講師。早稲田大学卒業、東京大学修士、フランス国立リモージュ大学博士。
古代ギリシア演劇、特に前5世紀の喜劇詩人アリストパネースに関心を持っています。また、ラテン語の文学言語としての発生と発展の歴史にも関心があり、ヨーロッパ文学の起源を、古代ローマを経て、ホメーロスまで遡って研究しています。著書に、『ラテン語名句小辞典:珠玉の名言名句で味わうラテン語の世界』(研究社、2010年)、『ギリシア喜劇全集 第1巻、第4巻、第8巻、別巻(共著)』(岩波書店、2008-11年)など。