いま、若者の権利を考える――企画趣旨にかえて(木下秀雄)/家族をケアしながら学ぶ若者の困窮――ヤングケアラーを取り巻く現代的課題(鈴木靜)(特集:若者の困窮)

特集から(法学セミナー)| 2024.01.12
毎月、月刊「法学セミナー」より、特集の一部をご紹介します。

(毎月中旬更新予定)

◆この記事は「法学セミナー」829号(2024年2月号)に掲載されているものです。◆

特集:若者の困窮

いま、さまざまな困窮を抱える若者には、誰の・どんな支援が必要なのか? 法学・福祉学・社会学の視点からじっくり考えます。

――編集部

いま、若者の権利を考える――企画趣旨にかえて(木下秀雄)

若者という言葉からは、清新なエネルギーにあふれ、可能性に満ちた年代の人たちを思い浮かべる。これからなんでも成し遂げることができる、しかし、まだ何も成し遂げられていない、そういう意味で、若者というのは可能性とともに不確実性に満ちた人生の時期である。

本特集は、そうした若者の困窮を取り上げる。

定価:税込 1,540円(本体価格 1,400円)

それはなぜかというと、このコロナ禍で学生が、食糧支援に列をなして並ぶという事態に象徴されるように、アルバイトが減少し、あるいは仕送りがなくなる中で生活困窮に陥る者が顕在化したからである。もちろん学生だけが若者ではないが、体力に恵まれ、可能性にあふれているはずの若者が生活困窮や様々な困難に直面する状況が顕在化してきていることが、まず、本テーマを取り上げる理由である。このかん、ILOなど世界的に「脆弱な階層(vulnerable group)」の1つとして「若者(youth)」をとらえて、社会的支援の体制を整備しようとする動きが定着してきている。

しかし日本では、児童福祉法は、児童を「18歳に満たない者」と定義しているが、例えば子ども・若者育成支援推進法には、「若者」の厳密な定義はなく、「子ども・若者」への支援という形でほぼ「子ども」とあわせて若者を取り扱っている。

確かに、これまでの社会的な保護や支援の対象としては、児童(子ども)、あるいは高齢者(老人)が取り上げられることがほとんどで、若者を取り立てて社会的保護と支援の対象して論じることが少なかった、あるいはほとんどなかったといえる。

それは、私たちの住んでいる社会を、すでに自立した成人が構成する社会とみて、あとは特に保護を必要とする子どもや高齢者から構成されると考えているからである。しかしこの社会を、次世代を産み育て、社会的能力を付与していくという「社会自体の社会的再生産」を継続していかなければ存続しえない存在としてとらえる「ケアの視点」から考えると、人は、保護の対象から、自立した成人(社会的自意識と社会的活動能力を獲得し、そして社会的認知を受けた存在)に一挙に変化するのではなく、「移行期」が決定的に重要であることに気づく。つまり「保護と自立」の間の「移行」がスムースに実現するように支えることが社会的にきわめて重要である、ということである。

これまで日本では、そうした子どもから自立した成人への「移行」は、家族と教育システムの中に埋もれて可視化されず、また就労への移行も新卒一括採用がうまく機能していると想定されてきた。しかし家族の形は多様化し、画一的教育システムに包摂しきれない事態が多発している。教育から就労への「移行」も、新卒一括採用方式が崩れてきているだけでなく、「移行」した先の就労が終身雇用を保障するものでなくなってきている。

若者の困窮が顕在化してきているのである。

ただ「若者」というのをどのように定義するのかといわれると、なかなか一義的に答えることはむつかしい。例えばILOの2022年「国際若者雇用動向」というレポートは18歳から25歳のものを「若者」として取り扱っている。しかし日本ではもう少し年齢を引き上げて35歳くらいまでを念頭に置くことも考えられる。いずれにしろ、現在のところ、「若者」を年齢的に厳密に定義することはできないが、一応児童福祉法にいう児童の年齢を超え、しかし他方で労働世界をはじめ社会での承認が確立していない年齢層の人たちのこと、ということにしておきたい。

こうした年齢層の人たちの「困窮」を取り上げる際に留意すべき点はさしあたり以下の点である。

1つ目は、「若者」にとっては、「自立した成人」への移行という課題はきわめて個人的な問題という側面を持っているということである。それは、一方では、自分が特に妨げに遭遇することなく自立を達成した時、それが、家族や教育などの環境にたまたま恵まれた結果であることを自覚することがほとんどないか、あるいは親のおかげだと私的に感謝するにとどまる。そしてそうした個人的環境は実は社会的条件に支えられて実現したものであることに思いが至らないことがほとんどである。他方で、うまく「自立」を達成できない場合、それは自分に能力がないせいだと思ったり、せいぜい「親が悪い」「親ガチャ」だという私的レベルでの問題ないし自己責任であると考えることがほとんどである。

しかし、いわゆる「氷河期世代」の人たちの場合を考えればわかるが、1990年代初頭に就職の時期を迎えた年齢層の人たちが、就職がうまくいかず、多くの人たちが非正規雇用などに押し込められ、そうしたことが現在まで長く当該年齢層の人たちの生活を規定してきている。このように、若者の移行がうまくいくかどうかは、常に個人的な問題という側面を伴いつつ、同時に、社会的環境条件が規定的なのである。

それだけに、「若者の困窮」を社会的な問題として位置付けることがきわめて重要である。

2つ目に指摘しなければならないのは、そうした社会的条件に左右される若者の「移行」の成否は、個人の人生を左右するだけでなく、同時に次の時代の日本の社会のありようを決定する重大問題だということである。そう考えると、若者の困窮をそのまま放置することは社会的にも許されないのである。しかし若者の困窮の社会性を強調するのは、若者を単に「保護の対象」だといおうとしているわけではない。若者自身が持つ、事態を打開するエネルギーに依拠しつつ、それを単なる個人的営為や私的成功の問題にとどめず、すべての若者が自立できる社会的基盤を社会全体として意識的に形成しなければならないといいたい。つまり、すべての若者は自立する権利を持っているということを社会が承認しなければならないのである。

3つ目には、現在の日本の社会制度は最近ようやく「若者」を意識し始めたが、しかし「若者の困窮」を明確にターゲットとしているものがほとんどないといえるのであり、こうした状況を抜本的に変えなければならないということである。つまり、「若者の困窮」という視点で、現在の制度を照らしだし、これまで見逃していたり、軽視していた問題を改めて「発見」する必要がある。例えば、児童養護施設において「保護」の対象としての児童から、直ちに「自立した成人」に移行することを前提にした制度設計や運用が、実は現実の問題に対応できていないことや、障害のある人に対する「家族支援」の問題を、家族の中の「若者」の問題としてとらえることで浮かび上がってくるヤングケアラーの課題などなどである。

本特集は、まず、若者の困窮の一端を具体的にとらえて、「若者の困窮」の現状を確認しよう考えている。そのうえで、制度上の問題と今後の課題を指摘する。以下の論考の筆者の専門は労働法、社会保障法、社会学で、多様な角度からのアプローチを試みている点にも本特集の特徴がある。

以下、鈴木「家族をケアしながら学ぶ若者の困窮――ヤングケアラーを取り巻く現代的課題」は、介護を行う人の困難の中で「発見」されたヤングケアラーの問題を取り扱っている。

嶋田「大学生と生活保護」は、生活保護利用から排除されていると思われがちな若者について、大学生の生活保護利用の可能性を検討している。

矢嶋「障害とともに生きる家族と子ども・若者」は、障害のある人に対する支援と合わせてケアする家族に焦点があたる中で、さらに、その家族の中の兄弟姉妹・若者の問題を取り上げる。

金川「不利の連鎖を断ち切れるか――ひとり親家庭の福祉法政策」は、ひとり親家庭に対する福祉法制を、若者という角度から検討を加える。

根岸「家族を前提にできない子どもたち――社会的養護」は、保護施策としての社会的養護の現状と課題を明らかにしたうえで、「保護と自立」の間にある若者支援の必要性を論じている。

丸山「『仕事ガチャ』をどうする?――若者の働き方と労働法」は、現在の労働法制上の正規・非正規、フリーランスの取り扱いの差異を、若者が就労する場合の課題として検討を加えている。

本特集が、自立した人間になることはすべての若者の権利であることを確認するきっかけになればと考える。

(きのした・ひでお)

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