(第1回)ラテン語は「死語」なのか?

竪琴にロバ:ラテン語格言のお話(野津寛)| 2023.11.20
格言といえばラテン語, ラテン語といえば格言. みなさんはどんなラテン語の格言をご存知ですか? 日本語でとなえられる格言も, 実はもともとラテン語の格言だったかもしれません. みなさんは, 知らず知らずに日本語で, ラテン語を話しているかもしれません! 実は, ラテン語は至るところに存在します. ラテン語について書かれた本も, ラテン語を学びたいという人も, いま, どんどん増えています. このコラムでは, ラテン語格言やモットーにまつわるお話を通じて, ラテン語の世界を読み解いていきましょう. (毎月下旬更新予定)

ネイティブスピーカー

学校でラテン語を教えているとよく受ける質問に, 「ラテン語は死語なのか?」というものがあります. この質問は, 私のようにラテン語を教えることで生計を立てている者にとっては, 少々意地悪な質問にも聞こえます. なにしろ, 私はラテン語で生きているのですから. いずれにせよ, ラテン語についてまだあまり深く考えたことのない方から受けた質問である場合が多いので, この質問に対しては, あくまでも常識的な観点から「ラテン語は死語だと思います」, あるいは「死者たちの言語を教えています」と答えることにしています. というのも, 言語にはかならずネイティブスピーカーと呼ばれる人たちがいて, 言語はその生きている人たちの言語活動として「生きている」ものだと考えることができるのですが, 確かに, ラテン語にはもう「ネイティブスピーカー」がいないからです.

身近な「死語」:バチカンのラテン語

しかし, 実際には, ラテン語を自分の仕事に使っている人やラテン語で会話を楽しむことのできる人たちがたくさんいるというのも事実です.

例えば, 2013年に, 当時のローマ法皇ベネディクト16世が退位を表明したとき, その重大ニュースを世界に向けて最初に発信できたジャーナリストは, その日, ローマ法皇自身が関係者と非公式にラテン語で話していた内容を, たまたまそこに居合わせて立ち聞きで理解することができた女性記者だったというエピソードはとても有名です.

今でもバチカンでは日常的にラテン語で会話が行われており, ジャーナリストの中にはラテン語の分かる人もいて, そのことがジャーナリストとしての仕事にも役立ったという次第がわかります. インターネット上には, ラテン語でやりとりが行われているメーリングリストもあり, ラテン語でニュースを発信しているサイトもあります. ラテン語会話のサマースクールも存在します. 欧米の人たちにとってラテン語は比較的身近な「死語」であるのかもしれません. しかし, これらの人たちのラテン語は, あくまでも学校でならったラテン語です. 生まれた時から母親にラテン語を習って育ったという人は流石にもういません. それゆえ, やはりラテン語は「ネイティブスピーカー」がいないという意味で「死語である」ということになるわけです.

ロマンス語とラテン語

同じことを別の観点から考えてみましょう. たとえラテン語という言語は死んだとしても, ラテン語を母として, そこからロマンス語と呼ばれるさまざまな言語が生まれました. それらの言語は今でもイタリア語, スペイン語, ポルトガル語, フランス語, ルーマニア語といった「生きた言語」として使われています. 今から1500年も遡れば, まだそれらの言語の母親であるラテン語は生きていたと思われます. これはあくまでも言葉の定義の問題かもしれませんが, これらの生きた言語としてのロマンス諸語は, やはり相変わらずラテン語そのものであると言えそうです. というのも, 日本語の場合であれば, どんなに時代を遡っても, どんなに変化しても, やはり「日本語」と呼ばれている以上, 同じ理屈で, イタリア語, スペイン語, ポルトガル語, フランス語, ルーマニア語をラテン語と呼んでも差し支えないはずです. このような理屈を用いるならば, ラテン語はロマンス諸語として今なお生きていると言えそうです. それならば, ラテン語はロマンス諸語のネイティブスピーカーにとっては死語ではなく, それ以外の言語のネイティブスピーカーにとっては死語なのでしょうか?

俗ラテン語と古典ラテン語

ややこしい話になる前に本当のことを言えば, 実はこれらのロマンス諸語は, 私たちが学校で教わるいわゆるラテン語(古典ラテン語)から生まれたのではありませんでした. これらのロマンス語たちの本当の母親は古典ラテン語ではなく、俗ラテン語です(英語では Vulgar Latin, フランス語では Latin vuglaire と言います). 俗ラテン語というのは, 古代ローマにおいて, ローマのネイティブスピーカーが日常生活においてしゃべっていた言語です. 俗ラテン語は話し言葉なので, 文字に記されて残るということがほとんどありませんでした. 反対に, 私たちが学校で教わるラテン語(古典ラテン語)は古代ローマ時代からすでに書き言葉であって, あくまでも学校で文法書や文学作品を通じて習得されていた言語でした. 古代ローマにおいてさえも, 古典ラテン語は, 話し言葉である俗ラテン語を話す母親から生まれ, その母親から言葉をならった子供なら誰でもが使いこなせるようなネイティブの言語ではなかったのです. そのような古典ラテン語には, 最初からネイティブスピーカーなどいなかったとさえ言えそうです.

書き言葉としてのラテン語

しかし, だからと言って, 書き言葉としての古典ラテン語が最初から「死語」であったとは言えないと思います. 古典ラテン語は書き言葉であっても, 文学的な言語であり, 演劇にも使われていましたし, 生き生きとした言語でした. 古代ローマにはまだ, 現代のように黙読で読書を楽しむという習慣はありませんでしたから, 文学作品を発表するということは, 演劇として上演するとか, 聴衆の前で本を生き生きとした発音でリサイタルすることでした. 法廷や議会では, この文学的なラテン語で活発に議論が交わされていました. ラテン語は, 書くように話し話すように書くことができるように教育が行われていました. 今でも私たちが学校で教え, 習っているのは, ローマ時代いらい, 現代に至るまで 2000年あまりの間, 常にそのようなラテン語のままです. その2000年あまりの間に, 上に述べた俗ラテン語の方はというと, ローマ帝国(西ローマ帝国)が滅び, ネイティブスピーカーがいなくなると, 西ローマ帝国の旧版図にあたるヨーロッパの人々の間で意思疎通がお互いにできないほどに異なるさまざまな言語へと変化していき, それらがさまざまなロマンス諸語になりました. ラテン語はというと, その間, その基本的な部分については全く変わっていません. ラテン語にはネイティブスピーカーがいない以上, ラテン語を「死語」と呼ぶことは間違いではないでしょう. しかし, ラテン語は「死語」であるからという理由でもう学ばなくてもよいと考えられるような言語ではなかったことも確かなのです. 各々の言語の必要性や重要性が「生きている」か「死んでいるか」に存するのではないということは, 漢文の伝統の重要性を知っている日本人には自明のことであろうと考えます. ラテン語は漢文とはまったく似ていない言語ですが, ヨーロッパ人にとってのラテン語は, 日本人にとっての漢文のようなものだったと言えるかもしれません.

ラテン語は必ずしも古代ローマの言語ではない

ラテン語は「古代ローマの言語」であると言われています. この認識も, 常識的な意味では正しいのですが, 本当は, あまり歴史的な実態に一致していない考えだと思います. ラテン語は必ずしも古代ローマの言語ではなく, むしろ中世から近代にかけて, ヨーロッパの共通語として, より広い範囲で, よりよく使われた言語です. 科学や宗教の文献も含んだあらゆるジャンルの文献がラテン語によって書かかれるようになり, 古代のギリシア語のようにラテン語が完成したのは古代ではなく近代になってからであると言うことも可能です. その意味で, ラテン語は近代的な言語でさえあります. このことを分かりやすく説明するには, 以下の事実を紹介するのが良いと思います.

例えば, 古代ローマの時代, つまりまだラテン語のネイティブスピーカーが生きていた時代に書かれ, 今でも残っているさまざまな文献の総数(これらを全て印刷するには大判の数百冊の本が必要だと思います)を, 「1」と数えるとすれば, それ以降, すなわち, ネイティブスピーカーのローマ人が死に絶えた後に書き残されたラテン語の総数は(比例的に)どれくらいの数になるかと言えば, 実にその数は「10000」なのです. ラテン語で夥しい文献が書かれたのは中世から近代にかけてなのです. しかも, この数は今後増えることはあっても減ることはありません.

また, 古代ローマの時代に書き残されたその分量が「1」と数えられたラテン語の書物の総数うち, 8割はキリスト教文献でした. キリスト教以前の異教文学である古典ラテン語の文献は古典ラテン語の2割に, つまりラテン語全体の5万分の1に過ぎないのです. それでもやはり, ラテン語の教師とは, 今も昔もこれら古代の異教作家の文献を通じて古典ラテン語を習った人のことなのです.

中世・近代のラテン語

しかし, 現代では, ラテン語を学びたいと思う人たちの多くが, キケロやカエサル, ウェルギリウスやオウィディウスといった古典古代のラテン語の文学作品を原典で読みたいからラテン語を習っているわけではありません. むしろ, アベラールやトマス・アクィナスのような中世のキリスト教の神学や哲学の文献, 魔術的な書物, 中世から近代に書かれた科学文献, 合唱で歌うラテン語のミサ曲のような宗教音楽を理解したいからという場合が多いかもしれません. モーツァルトでさえもラテン語でオペラやミサ曲を書いています. また, ダンテやペトラルカ, ボッカッチョのようなルネサンス時代の文学や哲学, デカルト, ロック, スピノザ, ライプニッツといった近代の哲学者の書物やニュートン等の科学者の文献を原典で読みたいからである場合もあるでしょうし, 植物学や動物学で使われる学名のラテン語を理解したいという場合もあるでしょう. 西洋絵画の歴史に関心のある人ならば, ブリューゲル等の絵画に記されたラテン語の文章を理解することができたらと思ったことでしょう.

こうした人たちのラテン語はすべて, この人たちが学校で習った言語(つまりネイティブスピーカーのいない死語)なのです. 文学や哲学・科学・音楽や諸芸術の領域だけではありません. ラテン語が使われた領域の最も大きな部分を占めるのは,中世の(場合によっては近代の)諸都市, 諸王国, 諸公国の法令, 宣言文, 年代記, 公的・私的な記録文書, 外交文書, バチカンの教皇庁や世界中の司教座に保管された記録文書, 中世以降に創設された諸大学に保管された記録文書, 証書類, 記念建造物や像に刻まれた碑銘の類いでしょう. それゆえラテン語は, 歴史を研究する人たちには不可欠なのです. 科学文献は上に述べましたが, 料理のレシピ等の実用書も一般に中世から17-18世紀に至るまではラテン語で書かれることが普通のことでした.

古典文献学の分野では,21世紀になった現在でも, 校定本の序論をラテン語で書くという伝統を守る古典文学叢書が存在します. 近代の初期までラテン語は書簡の言語であり, エラスムス 1人が書いたものだけで, 古代から伝わるラテン語の書簡文学に対して半分程の分量を誇っています.

また, 古代ローマが後世に残した演劇作品の数が40編ほどにとどまるの対して, 15世紀から18世紀の間にラテン語で書かれた演劇作品の数は5000を超えると言われています. 中世の間に書かれた叙事詩の数は,古代の叙事詩の数の数百倍にのぼり, 古代ローマにおいて書かれ残っているプラトン風の哲学的な対話文学作品が10余編であるのに対して, 近代初期に書かれた同類のラテン語対話文学作品の数は4桁に達するようです. バチカンのHPを見れば,現在でもラテン語がその他の言語と対等な位置に置かれ, 現在でもラテン語で最も重要なメッセージの発信, 情報公開が行われていることが分かります.

エラスムス『アダギア(格言集)』(1508年)表紙
(バーゼル大学図書館所蔵)

ラテン語は死んでからの方がよく生きた

以上のことから, どうやら, ラテン語とはネイティブスピーカーが死に絶え「死語」となった後の方がよく生きた言語だということになります. そして, 18世紀頃までは, ラテン語は何か専門的なことを学ぶためには必須の言語だったと言えます. また, 19世紀以降, フランス人がフランス語で, ドイツ人がドイツ語で, 英国人が英語で学校教育を行うようになってからは, ラテン語は不要になったかというと, そういうわけでもなく, あくまでも教育の現場では, エリートと非エリートを振り分けるための受験教科になりました. 本当の意味でラテン語が一般的な教育の現場から消えていったのは, 20世紀の終盤になってからのことだと思います. このように, ラテン語は死んだ後もずいぶんしぶとく生き残ったのです. 「ラテン語は死語なのか?」という最初の質問に戻って, もういちどお答えするならば, 以上のように, 「ラテン語は死んでいる, 死んでからの方がよく生きた」とお答えしたいと思います.

ラテン語の格言とモットー

さて, ラテン語を本格的に学んだことのない人にとっても, ラテン語が現代にも生きていると感じられる領域があります. ラテン語の格言やモットーです. 例えば, みなさんは, memento mori という言葉を見たことがあるのではないでしょうか? 「メメント・モリー」と発音します. その意味は「死を想え, (自分は)死ぬということを忘れるな」という警句であることはご存知だと思います. しかし, ラテン語を本格的に学んだことのない人には, 文法的には説明できないと思います. 「賽は投げられた」という諺がローマ人ユリウス・カエサルの言葉だということは知っていても, ラテン語ではもともとどのような表現だったのかは分からないのが普通でしょう. 英語やフランス語, あるいは日本語になっていても, 実はもともとラテン語(あるいはギリシア語から訳されたラテン語)だったというケースはたくさんあります. 建物の壁などに刻まれるラテン語の碑銘は今もなお, 西洋でも日本においてさえも, 増え続けています. 翻訳によって姿形を変えてラテン語がまだ生きているというケースがたくさんあるのです.

これから始まる「竪琴にロバ」と題する連載で, こうしたラテン語の格言やモットーをラテン語の原文で紹介しながら, 現代にも生き続けるラテン語の世界を読み解いていけたらと良いと思います.


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野津寛(のつ・ひろし)
信州大学人文学部教授。専門は西洋古典学、古代ギリシャ語、ラテン語。
東京大学・青山学院大学非常勤講師。早稲田大学卒業、東京大学修士、フランス国立リモージュ大学博士。
古代ギリシア演劇、特に前5世紀の喜劇詩人アリストパネースに関心を持っています。また、ラテン語の文学言語としての発生と発展の歴史にも関心があり、ヨーロッパ文学の起源を、古代ローマを経て、ホメーロスまで遡って研究しています。著書に、『ラテン語名句小辞典:珠玉の名言名句で味わうラテン語の世界』(研究社、2010年)、『ギリシア喜劇全集 第1巻、第4巻、第8巻、別巻(共著)』(岩波書店、2008-11年)など。