国会の歴史と機能(新井誠)

特集/国会を知ろう!| 2023.12.07
特集:国会を知ろう!
国会は主権者である国民を代表する選挙された議員による唯一の立法機関です。ですが、主権者である私たちは、普段なかなか、国会に関心を持つことができていないかもしれません。
現在の国会議事堂は、明治憲法下の帝国議会の時代から使用されていますが、この堅牢な建物で開かれている国会とはどのような機関なのでしょうか。国会ではなにが行われているのでしょうか。
国会と憲法の歴史、国会議事堂の変遷を見ていきましょう。そして、「全国民の代表」とはなにか考えてみましょう。

1 はじめに

国会議事堂は、今見ても大変に堅牢で威厳のある建物です。実際になかに入ってみれば、さらにその重厚な造りに驚くことでしょう。この建物を本拠地とする国会とは、どのような機能を有するのでしょうか。また、国会議事堂はどのような経緯で作られたのでしょうか。憲法の歴史などに触れながら、一緒に学んでみましょう。

2 日本における議会の誕生

(1) 帝国議会の開設の経緯

明治時代に入り、政府やその周辺の政治的影響力のある人々の間では、日本を今後どのような国へと発展させていくのかについて、さまざまな議論がなされていました。そのなかでヨーロッパの立憲政治を模範としながら、議会の開設を要求する声が1879年頃から高まっていきます。そして、1881年10月12日には、明治天皇が「国会開設の勅諭」を発し、議会の開設や憲法の制定について述べることとなります。

この後、大日本帝国憲法(以下、明治憲法)の制定前に内閣制度が創設されました(1885年)。そのもとで初代内閣総理大臣の伊藤博文を中心とするメンバーによって憲法草案が起草され、枢密院での審議を経て、1889年2月11日、明治憲法が公布されました。国政レベルの議会である「帝国議会」の条文は、その第3章に置かれています。このとき、衆議院議員選挙法も定められ、1890年7月1日には初の衆議院議員総選挙が行われます。選挙終了後の1890年11月29日には、大日本帝国憲法が施行されるとともに第1回の帝国議会が開会されました。

(2) 明治憲法と帝国議会――日本国憲法との共通点と相違点

明治憲法第3章の「帝国議会」は、33条から54条までの全22条で構成されています。これらの規定は、帝国議会の構成(両院制)の他、各議院の権能や議事手続に関する総論的規定、さらに両議員の特典など、日本国憲法とも共通する事項を定めています。

他方で、現行憲法とはやや異なる部分も見受けられます。まずわかりやすいのは、両議院を構成する議員の性格と選出方法です。明治憲法33条は「帝国議会ハ貴族院衆議院ノ両院ヲ以テ成立ス」とあり、両院制を採用しつつも、一方の議院は「参議院」ではなく「貴族院」となっています。しかもその組織方法として、衆議院は、「選挙法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員」(35条)で構成されるのに対し、貴族院は、「貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員」(34条)で構成されると規定されています。つまり貴族院議員は、国民の選挙によって選ばれるわけではなく、一定の身分があるか、天皇によって選ばれる地位(具体的には学識経験者など)にあることが求められます。

また、帝国議会議員は、議決を通じて法律制定に関わることは日本国憲法と共通しますし、特に帝国議会の衆議院議員は、女性の投票権を認めていないという限界があるものの1925年の男子普通選挙以降、一定レベルでの民主主義的要素のある選挙制度のもとで選ばれています。しかし、明治憲法では法律制定にかかる帝国議会の関わりが「協賛」(37条)という言葉で表されているように、議員は、主権者としての天皇を補助する協賛者としての地位しか与えられていなかったのだと言えるでしょう。

3 「帝国議会」から「国会」へ

(1) 日本国憲法の制定と帝国議会の役割

1945年8月15日に終戦を迎えた後、日本は新たな国づくりを目指しました。その際、明治憲法のもとに導入された様々なシステムを継承しながらも、憲法の基本理念に基づいて大きな転換を迫られたものも多く存在します。帝国議会もしかりです。その説明は後にまわすとして、ここではまず、日本国憲法制定の場面における帝国議会の役割を少しのぞいてみましょう。

戦後、日本国憲法は、明治憲法73条の規定に従い、明治憲法の全面改正という方法を経て制定されましたが、その際の新憲法草案の審議をしたのは(旧憲法下の)帝国議会に外なりません。そして、この草案を審議する帝国議会の衆議院は、戦後行われた衆議院議員第1回選挙(1946年4月10日)で新たに導入された女性を含む普通選挙により選出された議員たちで構成されました。この憲法草案は、同年8月24日に衆議院で、10月6日に貴族院で、それぞれ可決され、11月3日に公布されることになりました。施行は翌年5月3日、現在の「憲法記念日」にあたる日となります。

(2) 日本国憲法における国会の役割

新たに制定された日本国憲法のもとで、国政議会の憲法上の位置づけは、その外形上の酷似とは対照的に、明治憲法下からの大きな転換を迎えました。まずはその名称が「帝国議会」から「国会」へと変化したことに気づくと思いますが、その法的地位も異なります。すなわち、明治憲法下の帝国議会は、天皇の法律制定を補助する「協賛」機関としての役割を持つにすぎなかったのが、憲法41条は「国会は、国権の最高機関であつて、唯一の立法機関である」と規定し、国民主権の基盤となる国会の最高機関性を示すとともに、法律制定における国会中心原則や単独立法原則を打ち出すこととなりました。

さらに、日本国憲法は(主権者である)「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」(前文)するとし、本文でも「両議院は、全国民を代表する」(憲法43条)議員で構成されるとするように、主権者国民の代表機関としての地位が明言されました。戦後の憲法制定過程では、民主主義的な代表機関は一院で十分であるとして一院制導入もGHQ(連合国軍総司令部)から示唆されますが、両院制を維持したい日本側の意向のもと、両院とも民主的な代表機関であることを条件にそれが維持されることとなりました。そこで、一定の身分を持つ者や学識代表で構成され、また選挙で議員が選ばれるわけではない貴族院は大きな転換を迫られ、戦後は、民主的な機関としての参議院に衣替えをしたのです。

このように現在の国会は、まさに民主主義の砦としての地位を憲法によって与えられていると言えるでしょう。

4 議事堂の歴史と構造

(1) 議事堂の歴史

既述の通り1889年の明治憲法制定によって置かれた帝国議会は、その翌年に初めて開催されました。しかし、この最初の帝国議会が開催されたのは、現在使われている議事堂ではありませんでした。現在の議事堂が竣工するまでには、1890年から46年の時を経る必要があります。その間、日本では3種類の木造の議事堂が用いられました(帝国議会は基本的に東京で開催されていますが、1894年の第7回帝国議会は、日清戦争の影響により広島で開かれています。そこで、以上の他、広島に仮議事堂が設営されたことがあります)。1920年に着工された現在の議事堂は、1936年11月に竣工し、帝国議会の開催場所として利用されることとなります。日本国憲法体制になった後にも、引き続き「国会」議事堂としてその役割を果たすこととなり、現在に至ります。

広島帝国仮議院(広島市公文書館所蔵)

(2) 国会議事堂の構造と両院制

現在の国会議事堂は、正面に向かって左側が衆議院、右側が参議院となっており、左右対称的な構造となっています。両院制を採用する国ですと、アメリカ合衆国の議事堂もそのようになっています。国政の中心となる議会が両院制を採っていることを「車の両輪」などに例えて考えるならば、このような左右対称の構造になっていることは、自然なことだと思う人もいるかもしれません。しかし、世界の両院制のなかには、そうした左右対称の議事堂を用いていない例も存在します。フランスでは、国民を代表する国民議会(下院)と、地方公共団体を代表する元老院(上院)によって議会が構成される両院制を採用しています。それぞれの建物は、もともと歴史的に建造されたかつての宮殿を利用しています。国民議会がブルボン宮殿、元老院がリュクサンブール宮殿となりますが、その間には2キロメートル程度の距離があります。

実は、こうした物理的距離や非対称性があることをふまえて、「日本では、車の『両輪』論が、建物の感覚からも納得される。両軸の両輪である。が、フランスでは、軸を放たれた大小の両輪である」1)とし、そこから各議院の本来的な独立性(議院自律権の重要性)を読みとる見解もあります。

社会科の学習では、多くの場合、日本の国会を構成する両議院の議員は、両者ともに「全国民の代表」(憲法43条)であると学ぶ一方で、憲法上のいくつかの権限を見ながら「衆議院には参議院に比べた優越的地位」があるとの知識をそのまま覚えることが多いのではないでしょうか。中学や高校の段階では、両院関係に関するそれ以上の学びの経験が案外と少ないのかもしれません。しかし、たとえば現在の両議院議員の選挙区選挙を見ると、衆議院では比較的小規模な選挙区を基盤とする小選挙区制を採る一方、参議院では(一部合区選挙区を除き)都道府県を基盤とする選挙区制度を採用するなど、両院で少し異なる制度を用いているのはなぜか、などといったことを少し考えてみると、もしかしたら「全国民の代表」の意味が、より違って見えてくるかもしれません。また、両院で与野党勢力の多数派が逆転した場合には「参議院の強さ」がどのように変化するのか、といった視点も考えると面白いでしょう。

(3) 議会の構造――議員による審議と意思決定への影響

こうしたことに加えて、議場における議員の座る向きなどを規定する議場構造に注目した憲法学の研究なども見られ、注目されます2)。たしかに、イギリスの庶民院(下院)では、二大政党制を基盤としつつ与野党が対面する形式で討論を行うことができる議場となっていますが、日本の場合、衆参両院ともに、中央の演題に向かって扇型に座席が並べられ、同じ政党の議員は、扇型のグラフを書き表すのと同じように近場の席に座ることが求められます。こうした議場の構造が議員の審議や意思決定にどのような影響を与えるのかといったことを考えてみたことはありますか。このような観点を踏まえると、国会議事堂へ見学に行く楽しみも増えるのではないかと思います。

参議院議席表(2023年6月、編集部撮影)

5 おわりに

以上、国会と国会議事堂をめぐるちょっとしたトピックを挙げながら日本の国政レベルでの議会の開設の歴史や戦前戦後の制度比較などを見てきました。日本史などを学習していれば聞いたことのある情報に加え、普段の学習ではあまり触れられていないものもいくつかあったかもしれません。そうした様々な論点に触れながら、私たちの民主主義の基盤ともいえる議会制度についてさらにいろいろと興味を持っていただけると幸いに思います。

参考文献

本文に示したもののほか、入手しやすいものとして以下のものを参照。
参議院HP「国会議事堂案内」
国立国会図書館HP「資料にみる日本の近代――開国から戦後政治までの軌跡」


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脚注   [ + ]

1. 小嶋和司『憲法学講話』(有斐閣、1982年)241頁。
2. 赤坂幸一「政治空間と法――議場構造の憲法学」同『統治機構論の基層』(日本評論社、2023年)214頁。

新井 誠(あらい・まこと)
1972年生まれ。広島大学人間社会科学研究科実務法学専攻(法科大学院)教授。著書に、『憲法Ⅰ(総論・統治)〔第2版〕』『憲法Ⅱ(人権)〔第2版〕』(以上共に、共著、日本評論社、2021年)、新井誠『議員特権と議会制――フランス議員免責特権の展開』(単著、成文堂、2008年)など。