(第24回・最終回)永遠のローマ

法格言の散歩道(吉原達也)| 2023.09.05
「わしの見るところでは、諺に本当でないものはないようだな。サンチョ。というのもいずれもあらゆる学問の母ともいうべき、経験から出た格言だからである」(セルバンテス『ドン・キホーテ』前篇第21章、会田由訳)。
機知とアイロニーに富んだ騎士と従者の対話は、諺、格言、警句の類に満ちあふれています。短い言葉のなかに人びとが育んできた深遠な真理が宿っているのではないでしょうか。法律の世界でも、ローマ法以来、多くの諺や格言が生まれ、それぞれの時代、社会で語り継がれてきました。いまに生きる法格言を、じっくり紐解いてみませんか。

(毎月上旬更新予定)

Roma aeterna

Tibullus, Elegia, 2, 5, 23
ローマ・アエテルナ
(ティブルス『詩集』2, 5, 23)

410年8月24日

410年8月24日夜半、ローマ北東に位置するサラリア門(塩の門、アウレリアヌス城壁に設けられた城門の1つ、現存しない)から侵入したアラリック率いる西ゴート軍によって「永遠の都」ローマが陥落した。半世紀ほど前に読んだ弓削達教授の『永遠のローマ』(『世界の歴史3』(講談社、1976年)、講談社学術文庫版(1991年))は、410年の西ゴート軍によるローマ劫掠の叙述から始まる。「永遠のローマ」がなぜ没落の物語から説かれるのか、題名からいだいていたイメージが一気に覆されしまった。たんに時代の順序を追って満遍なく概説がなされるのではなく、「永遠のローマ」という観念をめぐる一種の文明論的なアプローチに興味をひかれたことを記憶として残っている。

もちろんローマが永遠でなかったことは誰しも知るところであろうが、その一方で「永遠のローマ」という言葉がさまざまな意味合いをもって語り継がれてきたこともまた事実である。弓削教授は、「ローマの『永遠性』がローマの『死』が人びとの目に明らかになったときに、真剣な信仰の対象となった」と記している。「永遠のローマ」が、信仰の対象であったとはどのようなことか、そこには、ローマは永遠であってほしいという願望が表現されているのだろうか。以下では、「永遠のローマ」という言葉が人びとにどのようなイメージを喚起してきたのか、その変遷の一端を辿ってみることにしたい。

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。→ . 会員登録(無料)はお済みですか? 会員について

吉原達也(よしはら・たつや)
1951年生まれ。広島大学名誉教授。専門は法制史・ローマ法。