(第22回)かの人自身がそう言われた

法格言の散歩道(吉原達也)| 2023.07.05
「わしの見るところでは、諺に本当でないものはないようだな。サンチョ。というのもいずれもあらゆる学問の母ともいうべき、経験から出た格言だからである」(セルバンテス『ドン・キホーテ』前篇第21章、会田由訳)。
機知とアイロニーに富んだ騎士と従者の対話は、諺、格言、警句の類に満ちあふれています。短い言葉のなかに人びとが育んできた深遠な真理が宿っているのではないでしょうか。法律の世界でも、ローマ法以来、多くの諺や格言が生まれ、それぞれの時代、社会で語り継がれてきました。いまに生きる法格言を、じっくり紐解いてみませんか。

(毎月上旬更新予定)

Ipse dixit.
(Cicero, de natura deorum, 1, 5, 10)
イプセ・ディクシット
(キケロ『神々の本性について』1, 5, 10)

しのたまわく

標題の ipse dixit の ipse は、強意代名詞「それ自身」(この場合は男性形主格)、dixit は「語る」を意味する動詞 dicere の三人称完了単数形であり、直訳すると「その人自身が語った」という意味になる。柳沼重剛編『ギリシア・ローマ名言集』(岩波文庫、2003年)のローマの部94では、「しのたまわく」という標題のもとに、「師みずからそう仰せられた」という訳をつけておられる。「しのたまわく」という達意の訳に新鮮な驚きを感じた。

ipse dixitは、もともとはギリシャ語の「アウトス・エパ」(autos epa)に由来する。3世紀前半に活躍した哲学史家ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(8, 1, 46)は、前6世紀の頃のピュタゴラスとその教団と関連して、この言葉が用いられるようになった経緯を説明している。ディオゲネスはピュタゴラスの名前をもつ4人を列挙して、「第四番目は、われわれが取り上げているまさにその人で、この人は哲学の奥義をものにして、これを人びとに教えた人と言われている。また「あの方自身が言われた」(アウトス・エパ)という語句もこの人についてのものであって、この語句は日常生活のなかで諺のようになったものである」と記している(加来彰俊訳『ギリシア哲学者列伝(下)』岩波文庫、1994年、48頁参照)。

ipse dixit は、英語でもそのままのかたちで用いられ、研究社の『英和大辞典(第6版)』では、名詞として「独断、独断的な言葉[主張]」という意味が与えられている。ちなみに dixit だけでも「(ある特定の人の言った)言葉;恣意的[教条的]な言明、独断の主張」を意味するとされる。ラテン語の語句から受けるイメージと比べて、英語の用法は名詞としてかなり限定的な意味合いで使われ、なぜそのような語義の変化が生じるのか、その変遷を少し辿ってみることにしたい。

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吉原達也(よしはら・たつや)
1951年生まれ。広島大学名誉教授。専門は法制史・ローマ法。