民法上の責任に関する原則(野澤正充)(特集:責任はどこから――責任原則とその展開)

特集から(法学セミナー)| 2023.06.13
毎月、月刊「法学セミナー」より、特集の一部をご紹介します。

(毎月中旬更新予定)

◆この記事は「法学セミナー」822号(2023年7月号)に掲載されているものです。◆

特集:責任はどこから――責任原則とその展開

私法上の責任は何を根拠に生じるのか、生じた責任は誰が・どこまで負うべきなのかを、様々なケースに基づいて検討する。

――編集部

1 はじめに――「責任」という語の多義性

民法の講義を聴くと、担当教員が、損害賠償「責任」を負うと言ったり、損害賠償「義務」(または「債務」)を負うと言うのを耳にするであろう。そのようなときに、「責任」と「義務」・「債務」の違いが気にはなるものの、同じ意味かなと考えて、そのままにした経験はないだろうか。しかし、後に債権法の講義では、「責任なき債務」(=自然債務)という概念が説明され、また担保物権法では、「債務なき責任」(=物上保証)という概念が登場する。さらに、会社法では、「有限責任・無限責任」という語が用いられるが、「有限債務・無限債務」とは言わない。そうなると、「責任」という語と「債務」または「義務」という語が、同じなのか違うのか、ということが問題となる。

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そこで、法学部に入学した時に購入したであろう法律用語辞典を調べてみると、「責任」という語が「非常に多義的」に使われていることがわかる1)。すなわち、道徳的責任や政治的責任に対して法律的責任という場合には、法律上の不利益または制裁を負わされることを意味する。この法律的責任は、①民事責任と刑事責任とに分けられ、民事責任はさらに、②契約責任と不法行為責任とに分けられる。そして、②についてはそれぞれ、③過失責任と無過失責任とが問題となる。ただし、③については、平成29年の民法(債権関係)の改正(以下、「債権法改正」という。)および判例法の展開により、伝統的な考え方が変容しつつあることを指摘することができる。以下、順に検討する。

なお、民法上の責任と債務(義務)は、ほぼ同義である。ただし、厳密には、債務が債権の目的である給付をしなければならない拘束を意味するのに対し、責任は、債務が履行されない場合に備えて、債務者の財産が引当て(担保)になっていることを意味する。もっとも、債務は責任を伴うことが原則であり、債務者の財産(責任財産)が引当てとなるから、この両者を区別する意義は小さい。上記の「責任なき債務」・「債務なき責任」および有限責任は、その例外であるといえよう。

2 民事責任と刑事責任の区別

一定の加害行為が行われると、加害者は、不法行為による損害賠償義務を負うとともに、処罰されることがある。前者が民事責任であり、後者が刑事責任である。この両責任は、古くは明確に区別されず、不法行為制度も刑罰の一種であると考えられていた。例えば、ローマ法では、私人によって追及される民事責任(不法行為責任)と国家によって追及される刑事責任とは、一応区別されてはいたものの、不法行為制度の目的は、加害者に罰金を科すことにあり、被害者が損害賠償を得ることではなかった。その結果、刑事上の訴追がなされると、私人が不法行為訴権を行使することはできず、また、不法行為による罰金は、損害額のみならず、その倍額を請求することも認められていた。しかし、近代になると、公法と私法が分化され、国家が刑罰権を独占する反面、不法行為は、被害者に生じた損害を塡補することを目的とする制度として純化された。

したがって、今日では、民事責任と刑事責任とは明確に区別され、以下の違いがあるとされている2)

まず、責任の内容の面では、刑事責任は、加害者に対する応報であり、その社会的責任を問うものである。そのため、加害者の主観的事情を重視し、原則としては故意による加害のみを罰して、過失犯の処罰は例外であるが、未遂でも処罰されることがある。これに対して、民事責任は、被害者に生じた損害を塡補するものである。それゆえ、加害者の主観的事情によっては差異を設けず、故意または過失によって他人に損害を与えた場合には、一様に損害賠償が認められる反面、現実に損害の生じていない未遂の場合には、不法行為責任は生じない。

また、手続の面では、民事責任は、民事訴訟法の適用される民事裁判によって課され、刑事責任は、刑事訴訟法の適用される刑事裁判によって科される。もっとも、フランスでは、不法行為が犯罪を構成する場合には、刑事裁判所に対して損害賠償請求訴訟の提起を可能とする付帯私訴(action civile)が認められている(フ刑訴2条以下)。そして、わが国でも、旧刑事訴訟法においては、公訴に附帯して損害賠償を求める附帯私訴の制度が認められていた(旧刑訴567-613条)。このような制度には、公訴の証拠を私訴にも共通に活用でき、被害者の救済に資するという長所も存するが、わが国では、戦後の改正により、英米法系にならって附帯私訴の制度を廃止した。しかし、平成12年11月1日に施行された「犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律」は、被害者の損害賠償請求権の行使のために、公判記録の閲覧・謄写を認めた(3・4条)。そして、平成20年の同法の改正では、一定の犯罪に係る刑事被告事件の被害者またはその相続人(一般承継人)が、同事件の係属する裁判所に対し、損害賠償命令の申立てをすることができるとした(17条)。この損害賠償命令の申立ての制度は、附帯私訴に類似するものであり、犯罪被害者による損害賠償請求に関する紛争を「簡易かつ迅速に解決すること」(1条)を可能にする。

以上のように、刑事裁判と民事裁判とが分離した結果、同一の事件について両裁判の結果が異なることがある。ただし、原則としては、刑事責任よりも民事責任の方がより広く認められ、刑事責任が認められる場合には、民事責任を免れることはできないと考えられる。

3 民事責任における契約責任と不法行為責任

(1) 契約責任と不法行為責任の区別

民事責任には、上記の不法行為責任のほかに、契約責任が含まれる。この契約責任の主なものは、債務不履行責任である。ただし、民事責任には、債務不履行責任に完全には吸収されない責任(例えば、契約不適合責任とその前身である瑕疵担保責任)も認められる(後述)。

不法行為責任と契約責任の違いは、一般的には、不法行為が社会的に接触のなかった当事者間に債権関係を生じさせるのに対して、契約責任は、すでに契約が存する当事者間に債務不履行を契機として債権関係が生じるものであると説明される。しかし、一方では、契約が締結されていなくても、契約交渉に入った当事者間には一定の信頼関係が生じ、その交渉を一方的に破棄した場合や誤った説明をした場合には、債務不履行責任が認められてもよいのではないか、との議論がなされている(例えば、契約交渉の不当破棄や説明義務違反)。また、他方では、すでに契約関係にある当事者間においても、その加害行為が債務不履行であると同時に、不法行為の要件を満たす場合も存在する。例えば、医師による医療過誤や雇用契約における使用者の安全配慮義務違反は、債務不履行であると同時に、不法行為責任の要件をも満たすこととなる。そこで、これらの場合に、不法行為責任と債務不履行責任のいずれを適用すべきかが問題となる。

ところで、両責任の違いは多岐にわたるが、その主なものは次の点にある。すなわち、責めに帰すべき事由の有無の立証責任、履行補助者における独立補助者の扱い(715・716条参照)、損害賠償の範囲(416条参照)、過失相殺における責任の減免(418・722条2項)、消滅時効期間(166条1項、724条)などである。そして、いずれの責任を選択するかは、広くは請求権競合の問題であるが、現在の判例・多数説は、原告にその選択を認めていると解される。また、判例は、やや形式的ではあるが、契約締結より前の問題(特に説明義務違反)は不法行為で処理し、契約締結以降の問題(安全配慮義務違反)は、債務不履行責任で処理する傾向がある(最判平成23・4・22民集65巻3号1405頁は、契約締結前における信義則上の説明義務違反が、不法行為であって、債務不履行ではないとした)。

(2) 損害賠償責任の根拠――過失責任主義

民法709条は、「故意又は過失によって」他人に損害を与えた者に損害賠償責任を負わせるものであり、過失責任主義に立脚している。この過失責任主義は、近代法の所産であり、古くは結果責任主義(原因主義)が採られていた。すなわち、結果責任主義は、行為と損害との間に原因と結果の関係があれば、その行為者が損害賠償義務を負うという考えであり、ドイツでは、意思能力のない幼児にも責任が認められていたとされる3)。しかし、一方では、ギリシャ哲学やキリスト教の発展により、過失の概念が次第に明確化し、他方では、経済の発展により、個人の自由な活動が促進され、行為者は、自己に責めのない行為によっては責任を負わないようにする必要が生じた。そこで、「過失なければ責任なし」との過失責任主義が採られることとなる。

過失責任主義は、近代市民法の基本原理の1つである私的自治の原則から導かれる。すなわち、私的自治の原則は、個人がその自由意思に基づいて自律的に法律関係を形成することを認めるものであり、契約自由の原則が個人の自由な活動を積極的に支援するのに対して、過失責任主義は、通常の注意さえ払えば自由な活動ができるとして、これを裏面から消極的に保障するものである。そして、過失責任主義は、不法行為責任のみならず、債務不履行責任にも共通する原則であるとされ、債権法改正前の「債務者の責めに帰すべき事由」(旧415条後段)は、学説によって、債務者の故意・過失または信義則上これと同視すべき事由であると解されていた4)

(3) 無過失責任主義の発展

上記のように、過失責任主義は、個人の自由な活動を促進し、社会経済の発展に寄与した。しかし、科学技術の飛躍的な発展に伴い、企業が危険性を内包する機械や設備を用いてその事業活動を行うようになると、過失責任主義によっては対応できない事態が生じた。すなわち、危険な設備等を用いて収益をあげている企業は、その危険から生じた損害を賠償すべきであるが、その時点の科学水準からは過失がなかったと判断せざるをえない場合がある。また、企業に過失があったとしても、その過失を被害者が立証することが困難な場合も少なくない。そこで、無過失責任論が登場し、いくつかの立法においては、無過失責任が取り入れられた。例えば、昭和14年の鉱業法の改正により、無過失の鉱害賠償制度が設けられ、これが昭和25年の鉱業法109条に受け継がれている。すなわち、同条1項は、「鉱物の掘採のための土地の掘さく、坑水若しくは廃水の放流、捨石若しくは鉱さいのたい積又は鉱煙の排出によって他人に損害を与えたときは、損害の発生の時における当該鉱区の鉱業権者(当該鉱区に租鉱権が設定されているときは、その租鉱区については、当該租鉱権者)が、損害の発生の時既に鉱業権が消滅しているときは、鉱業権の消滅の時における当該鉱区の鉱業権者(鉱業権の消滅の時に当該鉱業権に租鉱権が設定されていたときは、その租鉱区については、当該租鉱権者)が、その損害を賠償する責に任ずる」と規定する。また、昭和36年に制定された「原子力損害の賠償に関する法律」3条1項は、次のように規定し、原子力事業者の無過失責任を定めている。すなわち、「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」。このほか、公害に関しては、大気汚染防止法25条(昭和43年)、水質汚濁防止法19条(昭和45年)、船舶油濁損害賠償保障法3条・39条の2(昭和50年)などがある。また、経済的損害について、独占禁止法(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律――昭和22年)25条1項は、違反行為をした事業者および事業者団体の被害者に対する損害賠償責任を認め、同2項は、事業者および事業者団体が「故意又は過失がなかったことを証明して、前項に規定する責任を免れることができない」とする。さらに、自動車については、事実上の無過失責任を認めた自動車損害賠償保障法(昭和30年)が制定されている。

しかし、無過失責任立法は、諸外国と比較するとかなり遅れて成立し、かつ、その領域も限られている。

(4) 無過失責任の論拠

不法行為の領域における無過失責任の論拠となるのは、(a)報償責任と(b)危険責任である。

(a) 報償責任

報償責任は、「利益のあるところに損失も帰する」という言葉で表される。利益をあげる過程において他人に損害を与えた者は、その利益の中から損害を賠償するのが公平に適するという考え方であり、715条の使用者責任が報償責任に基づく。すなわち、同条は、被用者の活動によって利益を得ている使用者が、無過失を立証しない限り、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償しなければならないとする(715条1項)。もっとも、715条は、使用者に無過失責任を認めるものではなく、過失の立証責任を転換したもの(中間的責任)である。しかし、実際の運用においては、使用者の無過失の立証がほとんど認められないため、使用者の無過失責任が認められたに近い結果となっている。
また、使用者責任については、報償責任のみならず、次の危険責任もその無過失責任の根拠として挙げられる。すなわち、被用者によってその活動領域を広げている使用者は、社会に対する危険性を増大させるため、その危険から生じた責任を負うべきであるとの考え方である。そして、報償責任と危険責任とは相容れないものではなく、両者が相まって無過失責任を根拠づけるものであると解されている。

(b) 危険責任

危険責任は、危険な物を管理する者が損害賠償責任を負うべきである、という考え方である。換言すれば、自ら危険を作り出した者は、その危険について絶対的な責任を負うべきこととなる。民法の規定では、土地の工作物等の占有者および所有者の責任(717条)が危険責任の原理に基づく。すなわち、建物など土地の工作物の設置または保存に瑕疵があることによって他人に損害が生じた場合には、その工作物の占有者は、立証責任の転換によって、「損害の発生を防止するのに必要な注意をした」ことを立証しなければ、損害賠償責任を負う。また、工作物の所有者は、占有者が無過失の立証により免責されたときに、絶対的な責任を負う(717条1項ただし書)。その意味では、717条は、土地の工作物の所有者に無過失責任を認めた規定であるといえよう。もっとも、同条は、工作物の設置または保存に「瑕疵」があることを要件とするため、完全な無過失責任を認めたものではない。しかし、717条が危険責任に基づく規定であることには、異論はない。また、自動車損害賠償保障法も、危険責任を根拠としている。

4 過失責任・無過失責任の新たな展開

(1) 不法行為責任における判例法の進展

上記の報償責任と危険責任は、伝統的には、使用者責任に関し、被用者の不法行為を前提に、使用者がその被用者の代わりに責任を負う「代位責任」を基礎づける法理として捉えられてきた。しかし、報償責任と危険責任の考え方を徹底すれば、被用者の責任と異なる、使用者の固有の責任が認められることとなる。このことを明らかにしたのが、被用者から使用者に対する逆求償を認めた最判令和2・2・28(民集74巻2号106頁)である。判旨は、まず、使用者責任の趣旨が、「使用者が被用者の活動によって利益を上げる関係にあることや、自己の事業範囲を拡張して第三者に損害を生じさせる危険を増大させていることに着目し、損害の公平な分担という見地から、その事業の執行について被用者が第三者に加えた損害を使用者に負担させることとしたもの」である、という従前の理解を繰り返した。しかし、これまでは、その趣旨から、「使用者は、その事業の執行により損害を被った第三者に対する関係において損害賠償義務を負う」ことを基礎づけていたのに対し、判旨はそれに止まらず、使用者が、「被用者との関係においても、損害の全部又は一部について負担すべき場合がある」ことを明らかにした。換言すれば、最高裁の判旨は、報償責任および危険責任の考え方が使用者と被用者の内部的な負担にまで及び5)、使用者に固有の責任を基礎づけることを明示したものである。その意味では、最高裁令和2年判決は、無過失責任の法理を一歩前進させるものであったと考えられる。

(2) 債権法改正による契約責任の進展

債権法改正は、契約責任の領域における過失責任・無過失責任について、以下のように、新たな局面を提示した。

(a) 債務不履行責任における過失責任主義の放棄

415条1項ただし書は、「債務者の責めに帰することができない事由」という文言を用いている。しかし、それは「契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして」判断されるものであり、債務者の故意または過失を意味するものではない。換言すれば、「契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らし」た「債務者の責めに帰することができない事由」(免責事由)とは、単に債務者が注意義務を尽くしただけでは認められず、当該契約の性質、契約をした目的、契約締結に至る経緯等の客観的事情をも考慮して定まることとなる。そして、このような415条1項は、過失責任主義を前提とし、債務者の故意・過失または信義則上これと同視すべき事由を債務不履行責任の要件としていた、債権法改正前の通説の理解とは大きく異なるものである6)

ところで、前述のように、過失責任主義は、私的自治の原則をその根拠としていた。そして、上記の415条1項も、自らの意思によって契約を締結した以上、当事者はその契約に拘束され、免責事由が認められない限り、その債務の不履行については責任を負わなければならない、という「契約の尊重」の考え方に基礎づけられる7)。換言すれば、「契約」を中心に据えた債権法改正は、個人の意思やイニシアティブを重視し、私的自治の原則を復権させるものである。そうだとすれば、過失責任主義もその放棄も、いずれも私的自治の原則を根拠とすることとなり、両者の関係が問題となる。契約責任の領域においては、私的自治の原則の一側面である契約自由の原則が優先し、主に不法行為を規律する過失責任の原則は、その限りで後退する、という理解となろうか。

(b) 無過失責任としての瑕疵担保責任から契約不適合責任へ

債権法改正前の瑕疵担保責任(旧570条)は無過失責任であり、とりわけ、沿革的にも比較法的にも、その効果である代金減額権および契約解除権については、不可抗力免責が認められない結果責任であると解されていた。その論拠としては、危険負担の法理が挙げられる。すなわち、債権法改正前の危険負担は、「物の滅失は所有者が負担する」(res perit domino)との原則に基礎づけられ、特定物の売買においては、売買契約の締結によって所有権(176条)とともに危険が買主に移転し、その後に生じた売主の責めに帰することができない事由による目的物の「滅失又は損傷」(損傷には「瑕疵」も含まれる)の危険は、売主の負担ではなく、買主の負担とされた(旧534条1項)。それゆえ、売主の瑕疵担保責任は、契約締結前に存在した瑕疵についてのみ適用された。また、不特定物の売買においては、「第401条第2項の規定によりその物が確定した時から」、買主が危険を負担した(旧534条2項)。これに対して、近年の見解は、旧534条1項の債権者主義について、契約締結時主義ではなく引渡時移転主義として解釈していた多数説を援用し、売買の目的が特定物であるか否かを問わず、売主の買主への引渡しによって、目的物の実質的な支配とともに危険が買主に移転すると主張した。そして、目的物の引渡前に生じた瑕疵については、その引渡後においても買主が追及することができる制度が瑕疵担保責任である、と解していた8)。換言すれば、瑕疵担保責任は、特定物であると不特定物であるとを問わずに適用されるが、危険の移転時期を、旧534条および401条2項とは異なり、目的物の実質的な支配が移転する引渡時であると解するため、引渡しまでに生じた瑕疵については、売主は、過失があれば債務不履行責任(415条)を負うが、過失がなくても(たとえ不可抗力による瑕疵であっても)担保責任を負うことになる。

このような理解は、債権法改正後の契約不適合責任(562条以下、特に567条1項)の規律に、最も適合的であると考えられる9)

5 おわりに――「責任」概念の再生

「責任」という語は多義的である。のみならず、法領域に応じて意義が異なり、またその内容も、時代と共に推移してゆくことが窺われる。その一例として、最後に、自己責任の原則を取り上げよう。

自己責任の原則は、民法上は、各人が自己の行為についてのみ責任を負い、他人の行為については責任を負わないという意義を有し、個人の活動の自由を保障するものであった。しかし、不法行為の領域では、前述のように、被用者の行為についても使用者が、報償責任と危険責任を介して固有の責任を負うことが認められ、その趣旨は拡張されている。また、金融商品取引の領域では、自己責任の原則は、投資者が自らの判断で行った取引による損失は自らが負担しなければならない、という意義を有する。「契約の尊重」を掲げた債権法改正による、債務不履行責任における過失責任主義の放棄も、この意味での自己責任の原則がその支柱になっていると解される。

そうだとすれば、「責任」(=不利益)は、現代社会においては、自らの意思による行為を基礎に負うものとして、より厳格に問われることとなろう。

(のざわ・まさみち)

本特集は「法学セミナー」822号(2023年7月号)でご覧ください。

本特集の目次

  • 民法上の責任に関する原則……野澤正充
  • 責任無能力者の行為に基づく監督者の責任はどこから?……白石友行
  • 専門家の責任――医師の責任を中心に……山口斉昭
  • 国家賠償法1条1項に基づく責任の根拠と公務員の個人責任の位置づけ……津田智成
  • 製造物責任における無過失責任――製造物責任法の課題と展望……永下泰之
  • デジタルプラットフォームの販売責任……カライスコス アントニオス
  • 災害と免責事由――責任契約における帰責事由?免責事由?……廣峰正子

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脚注   [ + ]

1. 高橋和之ほか編『法律学小辞典〔第5版〕』(有斐閣、2016年)772-773頁。
2. 加藤一郎『不法行為〔増補版〕』(有斐閣、1974年)。
3. 加藤・前掲注2)6頁。
4. 我妻栄『新訂 債権総論』(岩波書店、1964年)105頁。
5. 舟橋伸行「最高裁判所判例解説」法曹時報74巻5号(2022年)188頁。
6. 例えば、山本敬三『契約法の現代化Ⅲ』(商事法務、2022年)262頁。
7. 山本・前掲注6 )255頁。
8. 野澤正充「瑕疵担保責任の法的性質(1)――法定責任説の三つの考え方」同編『瑕疵担保責任と債務不履行責任』(日本評論社、2009年)27-28頁。
9. 詳しくは、野澤正充『契約法の新たな展開――瑕疵担保責任から契約不適合責任へ』(日本評論社、2022年)1頁以下、特に371頁以下を参照。