主権者としての受刑者 ――在外国民審査権訴訟から受刑者選挙権訴訟への軌跡(吉田京子)(特集:憲法を生かす)

特集から(法学セミナー)| 2023.04.12
毎月、月刊「法学セミナー」より、特集の一部をご紹介します。

(毎月中旬更新予定)

◆この記事は「法学セミナー」820号(2023年5月号)に掲載されているものです。◆

特集:憲法を生かす

憲法訴訟に取り組む弁護士たちの活躍にフォーカスすることで、憲法が実生活に生かせることを示す、実務家たちによる憲法入門。

――編集部

1 大法廷判決の余韻

2022年5月25日、最高裁判所大法廷で、判決の要旨が告げられるのを聴いた。戦後11例目の法令違憲判決である。15名の裁判官全員一致の判断で、宇賀克也判事が補足意見を書いた1)

2018年4月の提訴から4年越しの判決だった。これによって、海外に暮らす人たちも、国民審査の投票ができるようになる。また、立法不作為の違憲を争う訴訟は、国家賠償請求や実質的当事者訴訟としての地位確認の訴えだけではなく、違法確認の訴えという訴訟類型を用いることができることが明らかになった。今後の憲法訴訟の地平を変える可能性のある重要な判断だ。

定価:税込 1,540円(本体価格 1,400円)

私たちは記者会見をし、判決の成果を報告した。新聞は見出しに大きく「最高裁が襟を正した」「国民にバトンが渡された」と私たちの言葉を掲げてくれた。懐かしい、そして心から尊敬する友人から「同窓として誇らしいです。自分ももっと仕事頑張らなければと勇気をもらいました。ありがとう」というメッセージが届いた。大学時代の恩師がわざわざ送ってくださったメールには、あまりにも嬉しくありがたい言葉が書き連ねられていた。裁判官を辞めたあと、研究者へのあこがれを捨てることができずにご相談をし、迷った挙句に弁護士になった。その時、「弁護士として大成することで恩返しができれば」と伝えていた。もちろんまだ道半ばではあるが、一定の成果を挙げることができたことに安堵した。

夜のニュースで私たちの記者会見が放送されると、祝砲はさらに続いた。一緒に喜んでくれる人のいることを改めてありがたく感じた。

2 新たな規範

神戸大学の木下昌彦先生が、誰よりも早く評釈を書いてくださった2)。そして彼は誰よりも早く、この判決と、在外選挙権判決との小さな、しかし重要な違いに気づいた。

2005年の在外選挙権判決は、海外に暮らす日本人がその選挙権を行使できないことについて、極めて厳しい基準を用いて憲法適合性を審査し、違憲を宣明した3)。このときの規範は、「自ら選挙の公正を害する行為をした者等の選挙権について一定の制限をすることは別として、国民の選挙権又はその行使を制限することは原則として許されず、国民の選挙権又はその行使を制限するためには、そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければならないというべきである。」というものだった。私たちはこの判決を何度も引用し、これと同じ規範によるべきだと主張してきた。

在外国民審査権判決が示した規範は次のようなものである。「国民の審査権又はその行使を制限することは原則として許されず、審査権又はその行使を制限するためには、そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければならないというべきである。」

大法廷が新たに示した規範には、「自ら選挙の公正を害する行為をした者等の選挙権について一定の制限をすることは別として」に相当する文言、すなわち、「自ら国民審査の公正を害する行為をした者等の国民審査権について一定の制限をすることは別として」というような留保がない。選挙権を国民審査権に書き換えたほかには実質的に同じ表現を用いながら、あえて留保をおかなかったのであるから、最高裁は意図的にこの留保部分を削除したのだと考えられる。それはなぜなのか。

もっとも保守的な説明は、在外選挙権判決の留保は、選挙犯罪で刑罰を受けた人の選挙権停止規定(公職選挙法252条)を合憲とした1955年の最大判4)を変更する趣旨ではないことを明示するためのもので、国民審査権にはこれに相当する先例がなかったために留保を付す必要がなかったのだというものである。この説明は、最高裁が留保を付さなかった直接の理由を示すものとしては妥当なものだと考えられる。

しかし、2005年の在外選挙権判決から2022年の在外国民審査権判決までの間にされた下級審判決を踏まえると、そのような保守的な説明にとどまらない最高裁の意図や姿勢を留保の削除に見出すことができるように思われる。

1955年判決は選挙犯罪による選挙権停止の憲法適合性を認めた。在外選挙権判決はその判断を維持したまま、選挙権行使の制限の合憲性審査について厳しい基準を打ち立てた。留保を付したのは1955年判決を維持することを明示するためだった。しかし、その後、2017年の広島高裁判決5)は、この留保に、選挙犯罪ではない一般刑法犯を含める解釈を示した。公職選挙法11条1項2号は受刑者の選挙権制限を定めているが、その合憲性について、この留保に含まれると解することによって厳格な基準の適用を回避し、合憲との結論を採ったのである。学説の多くがこれは間違いではないかと指摘した。在外選挙権判決の留保に選挙犯罪ではない一般の受刑者を含めるのは、同判決の文理に反しており、本来許されない拡張解釈だからである。

留保のない規範を示したこの在外国民審査権判決以後は、少なくとも国民審査権制限について、留保の拡張解釈を通じた合憲判断は採りえなくなる。このことは、当然に選挙権制限の憲法適合性判断にも影響を与えるものだと考えられる。最高裁が留保を付さない審査基準を示す際、これらのことも考慮されていたのではないか、すなわち、留保のない新たな規範は、留保の拡張解釈を許さず厳格な基準の適用を徹底させようとする最高裁の姿勢の表れなのではないかとも考えられるのである。

受刑者の選挙権制限について疑問の余地があることを示唆する最高裁決定があったことも、最高裁の姿勢を示す重要な資料である。原判決が傍論で受刑者の選挙権制限を合憲と判示した選挙無効訴訟において、最高裁は、選挙権制限規定の違憲性は選挙無効訴訟の無効事由として主張し得ないと述べて、憲法上の論点に立ち入ることなく上告を棄却した6)。このとき千葉勝美判事は、その補足意見で、「受刑者の選挙権の問題に関しては、諸外国の法制度が区々に分かれ、特に英国など欧州において様々な議論が行われており、近年、諸外国における制度の見直しを含む法制上の対応や議論の動向は極めて流動的な状況にある。」と述べた。その上で、原審が最高裁の判断を仰がない形で受刑者の選挙権制限を合憲とする憲法判断を示したことを諫めた。これは同時に、今後、日本においても最高裁による違憲判断があり得ることを示唆するものである。大法廷が留保を付さない新たな規範を示したことは、受刑者に対する国民審査権制限と選挙権制限の双方について、重要な示唆を与えている。あの祝砲は、実は始まりの合図だったのだ。

3 知的有機体の一員として

長野刑務所で受刑中の向井さん(仮名)の依頼を受けるとすぐに提訴の準備を始めた。まず、受刑者に選挙権を認めない公職選挙法の違憲を指摘する文献を探した。国家賠償法上の違法をいうためには、国会にとって違憲が明白だったこと、その後長期間法律の改廃を怠ったことを示す必要がある。特に古い文献に違憲の指摘があれば有力な証拠になり得る。

野中俊彦先生、中村睦男先生、高橋和之先生と高見勝利先生の共著書である「憲法Ⅰ」の記載に触れた。受刑者選挙権についてこう書いてあった。「公選法は、一般犯罪を犯し、禁固以上の刑に処せられ、その刑の執行中及び執行免除中の国民について、選挙権の制限を定める(法11条1項2号・3号)。しかし、これらの国民についても、憲法15条1項により、『国民固有の権利』として選挙権が保障されていることに変わりはなく、国には、その行使を現実に可能にするために所要の措置をとるべき責務がある。選挙の公正を確保しつつ刑務所内等に投票場所等を設置することが事実上不能ないし著しく困難であると認められない限り、彼らの選挙権を制限することは、主権者たる国民の地位から彼らを追放するものであり、憲法上許されないからである(最大判平成17年9月14日民集59巻7号2087頁参照。(中略))。この場合、例えば郵便または代理による投票といった方法もありうるので、いわゆる刑務所内の秩序維持や逃亡のおそれといった立法事実だけでは、およそ『国民固有の権利』を制限する正当化理由とはなり得ないであろう。」7)

私はこの記載に強い印象を受けた。大学やロースクールで憲法を学んできたことの答え合わせをするような思いだった。20年前に、共著者のお1人である高橋和之先生から憲法を学んだ。改訂前のこの本も読んでいた。それが今の事件に繋がっている。ほかの人たちが受刑者をどのように言おうとも、彼らがこの社会の重要な構成員であり、この国の主権者であることに変わりはない。私たちはそのことを知っている。その私たちの知恵で、問題を解決することができるかもしれない。

「私たち」というのは、この事件の小さな弁護団だけのことではない。研究者、弁護士、そして法学徒も含めて、法が支配する世界で暮らしたいと願う人たちのことだ。私自身もその知的有機体の一員なのだと感じることができた。そのための日々だったのだと思った。静かで深い喜びが胸によぎるのを感じながら、訴状を書き進めた。

4 提訴

先の大法廷判決の約2か月後、2022年8月1日に、東京地裁に訴状を提出した。私たちの依頼者である原告が、次回の選挙と国民審査で投票できる地位にあることの確認又は次回の選挙と国民審査で投票させないことが違法であることの確認を求め、あわせて立法不作為の違法によって投票できなかったことについて国家賠償を求めた。

提訴の当日に記者会見をした。私の手元には、2か月前に在外国民審査権判決を取材してくれた記者の方々の名刺があった。そのすべての方にあらかじめ連絡をして提訴を伝えていた。訴えの概要や予想される争点について簡潔に書いたメールの末尾にこう書き添えた。「この訴訟の原告はお1人ですが、全国の受刑者のための訴訟です。彼らは、私たちのようにインターネットでニュースを見ることはできません。毎日、隅々まで新聞を読んで、社会とのつながりを保とうとしている人たちが、刑務所にはたくさんいます。彼らに届くように、訴訟だけではなく、記者発表にも十全を期したいと考えております。」

記者会見には多くの記者が参加してくれた。詳細な記事を書いてもらうことができた。提訴後に長野刑務所に依頼者を尋ねた時、彼が刑務所内でもこの訴訟のことが話題になっていると嬉しそうに教えてくれた。

5 「社会の役に立つ人間に」

長野刑務所で依頼者と会った時、彼が提訴することにした思いの丈を聞いた。それを紙に書いて送ってくれるように頼んだ。裁判所で代読するためである。彼は、すぐにでも書き始めますと言って請け合った。ところが手紙はなかなか届かなかった。すでに指定されている第1回口頭弁論期日に間に合うのか不安になり始めたころ、ようやく彼から手紙が届いた。右肩の作成日付は「9月1日」と記されている。

受刑者が1か月のうちに差し出すことができる手紙の数には厳しい制限がある。おそらく彼はそれを使い切って、9月1日を待っていたのだろう。私たちのところへ届くのに1週間かかった。口頭弁論の日までに手紙の往復をする余裕はもうない。

彼の書いた手紙は、驚くほど緻密な筆致によるものだった。手書きのものだが、まるでワープロを使ったかのように整っている。その書き振りに圧倒された。決して間違わずに、思いを伝えようとする強い意思が、美しく並んだ文字の1つひとつから滲み出るようなのだ。その一言一言の重みを感じた。

第1回口頭弁論では、まず、彼が書いた言葉を、弁護士がそのまま読み上げた。

彼は、2019年7月の衆議院議員総選挙の際には東京拘置所にいて刑事事件の判決を待っていた。拘置所から投票をした。その後有罪判決を受けてこれが確定すると、投票できなくなった。この経験について彼は「私たち受刑者は1人の人間として扱われていないのだな」と感じたと述べた。刑務所から別の訴訟を提起したものの裁判所への出廷すら認められなかった経験を踏まえて、「受刑者の意見を社会に反映する方法は、選挙しか残っていないのです」と訴えた。更生保護立法に尽力する国会議員の名前を挙げて、彼らを再び国会に送り出したいという考えを伝えた。そのための投票ができない不条理を説く言葉は法廷で痛切に響いた。

弁護士が代読する彼の意見を、裁判官たちがじっと聞いている。右陪席裁判官が途中でメモを取った。傍聴席には空席が目立ったが、それでもこの問題に関心を寄せる人たちが集まってくれていた。受刑者は声を持っている。そのことを示すための訴訟だと改めて感じた。

意見陳述の後、私は裁判官の前に立って、次のように話した。

向井賢次郎(仮名)さんの意見陳述を聞いて頂きました。向井さんはこの原稿を、長野刑務所で書きました。私たちのところへ郵便で送ってくれました。

彼は、今日、この法廷に来ることはできません。受刑者は、刑務所から出ることができないからです。でも彼が投票するためには、そのような問題はありません。刑務所にいながら、投票をすることができます。

この手紙を書いて郵送することができた――だったら投票もできるはずなのです。

それなのに、なぜ、彼には投票が認められないのでしょうか。彼は、その理由を知りたい、と述べました。国は、「適当でない」からだ、と説明してきました。

この裁判の争点は、選挙権は誰のものか、ということです。答えは憲法に書いてある。それは国民のものです。決して、政府が、「適当でない」という理由で取り上げてよいものではありません。

憲法に書いてあるだけでは民主主義は実現しません。これまでにも訴訟を通じて実現させてきました。海外に暮らす人たちも、成年被後見人も、そうやって選挙権が認められてきました。これは、それらに連なる訴訟です。

私は、訴状の陳述をしながら、以前に傍聴したある刑事事件の判決のことを思っていた。実刑判決の言渡しの後、裁判官が被告人に向かって「刑務所から出てきたら、社会の役に立つ人間になってください」と言ったのだ。強い違和感を覚えた。裁判官はこれから刑務所に行く彼が「当面は社会の役に立たない」と暗に言っているようだった。はたしてそうだろうか。真面目に働いて税金を納めることだけが社会の役に立つことではないはずだ。わかりやすい基準で社会の役に立つかどうかを区別しようとする裁判官の議論に与することはできない。刑務所の中の向井さんは、今まさに主権者としての役割を果たしている。

6 受刑者は主権者にふさわしくない?

国は、選挙権の享有主体にはそれにふさわしい「適格」が必要であり、受刑者はその適格性を欠くと主張した。

国の主張によれば、国会が、日本国民のうちだれが主権者としてふさわしい適格を有するかを定めることができることになる。立法府が主権者を選ぶというわけだ。私たちの憲法が定めたのはこれとは逆である。立法府が主権者を選ぶのではなく、主権者が立法府を選ぶはずだ。国の主張は、憲法の保障する国民主権を揺るがすものである。受刑者だけではなく、誰もが主権を奪われる危険をもたらすものでもある。

また国は、受刑者に主権者としての適格性が欠けるという主張の根拠として、彼らが法規範に違反したことを挙げた。この主張の根本的な問題は、その法規範を決めるのは主権者だという国民主権の大原則を、古い本棚に置き忘れていることにある。

たしかに受刑者は刑法典に反して実刑判決を受けている。しかし、そのことで主権までをも奪おうとすることは、私たちの憲法が定める民主主義とは相いれない。刑法典によってもたらされた法秩序は普遍のものではなく、主権者がそれを定めるべきものだからである。現時点での法規範を逸脱した人も含めた主権者が今後の規範形成に参加することによってはじめて、法秩序の正当性が担保されるのである。

たとえば、日本では大麻の所持は違法である。大麻を所持していると、「法規範に違反した」とみなされる。有罪判決が重なれば実刑判決を受けて服役することになるだろう。しかし、米国カリフォルニア州では、大麻の所持も使用も適法である。実際に、私の通ったサンフランシスコ市内のロースクールの友人たちは、金曜日の夜になると大麻を吸って騒いでいた。彼らは今では立派な法律家になっている。

イスラム教国の多くは同性愛を違法とする。日本で重婚は犯罪だが一夫多妻制を採る国もある。日本では適法な人工妊娠中絶が米国の14の州で違法とされるに至った。彼らは50年以上前から、そして今も議論を続けている。

法規範は主権者によって作られる。そのために重要な役割を果たすのが選挙と国民審査である。多数派のつくった法規範になじめない人を選挙と国民審査から排除するのであれば、その後の法規範は主権者が作ったものとはいえない。

法規範を作るための選挙と国民審査だけは、「適格性」などを要求せずにあまねくその権利を認めることが、誰もが従うべき法規範を定める唯一の方法なのである。

7 日本と世界の同僚たち

提訴からしばらくして、大分の弁護士から電話があった。同様に受刑者からの依頼を受けて提訴を予定しており、情報共有したいとのことだった。私は訴状や国の答弁書等を彼に送った。その後も問い合わせを受けて、私たちの作成した準備書面を提供した。10年ぶりと騒がれた寒気が日本列島を覆う夜だった。彼は私あての返信に、「残り刑期を睨みながら、浩瀚な反論をなさっており、労苦いかばかりかとお察しいたします。」と書いてくれた。確認の訴えは刑期の満了によって訴えの利益を失うおそれがある。私たちは、充実した議論を、できるかぎりすみやかにすることを目指していた。私はそのことを「労苦」と感じたことはない。むしろ当為と意欲の一致するところに充実を覚えていた。それでも、私たちを労い慮る言葉をありがたく受け取った。遠くに同じ問題意識を共有する同僚がいると知って心強く感じた。「大分でさえ雪の降る季節、くれぐれもご自愛なさって下さい。」と結ばれたメールにごく簡潔な返信をした。言いたいことはたくさんあったが、準備書面を読んでもらえればそれで十分伝わるはずだと思った。

この準備書面では国内の判例や文献のほか、他の民主主義国家の状況についても主張した。たとえば、南アフリカの憲法裁判所は、1999年に、「議会はその沈黙によっていかなる囚人の投票権も奪うことはできない。」(“Parliament cannot byits silence deprive any prisoner of the right tovote.”)と述べて、受刑者に選挙権を認めないことは憲法に違反すると判断した。その3年後、カナダの最高裁はこの判決を引用してやはり違憲判決をした。イスラエルでは、首相を暗殺した法学生の選挙権を奪わない判断を裁判所が支持した。このときイスラエル最高裁は、投票権を「民主主義の前提条件」(“a prerequisite of democracy”)と呼んだ。米国の連邦最高裁判決を引いて、「市民権は不品行によって失効するライセンスではない」(“citizenship is not a license that expires uponmisbehavior”)と宣言した。なぜなら、「選挙権がなければ、他のすべての基本的権利の基礎が損なわれる」(“[w]ithout the right to elect, thefoundation of all other basic rights is undermined.”)からである。欧州人権裁判所も受刑者の選挙権を制限する英国法を民主主義に反すると断じた。私たちの同僚は世界中にいるのである。

8 選挙権が私たちを主権者にする

2014年まで、出産をする女性受刑者は手錠を付けたままでお産に臨んでいた。名古屋刑務所では、2022年3月に受刑者が刑務所内で変死し、複数の刑務官が受刑者らに暴行や暴言を繰り返していたことが明らかになった。その後も刑務官による受刑者の虐待は多数報告されている。

受刑者の虐待が繰り返されていることは、選挙権の剥奪が、同時に、本来選挙権や国民審査権を基礎にして実現されてきた彼らの他の基本的人権までをも奪うものであることを明らかにしている。受刑者を主権者の地位から追いやり、二級市民として処遇してきたことが、刑務官による虐待を助長し、またその発見や救済を遅らせ、それらを防ぐ手立てを講ずることを阻んできた。向井さんは意見陳述で「私たち受刑者は1人の人間として扱われていないのだな」と感じたと述べた。刑務官も、この社会も、彼らを人として扱ってこなかったのである。

選挙権は単なる権利ではない。それはこの国の主権者であることと同義である。選挙権制限は、受刑者という集団の存在をこの社会から抹殺し、彼らの人権を根こそぎ奪ってきた。選挙権を回復することによって、受刑者もまたこの国の主権者であり、当然にこの社会の一員であるということを知らしめたい。

9 受刑者に選挙権のある世界

受刑者に選挙権があっても何も変わらないだろうという人がいる。私はそうではないと思う。

まず受刑者の何人かが投票する。それを見て私もやってみようと思う同房者がいる。投票するとなれば、政治や経済に興味が湧いて新聞や本を読むようになる。誰に投票したら刑務所の環境がよくなるのか考えたり、周りの人と相談したりもする。参考になる本の差し入れを家族に頼む人も出てくる。頼まれた家族が本を買うとき、その人もまた影響を受ける。「あの子が投票するんだったら私も」と思うかもしれない。刑務官の意識も変わるはずだ。なにせ刑務所の中にいるのは紛れもない主権者なのだ。こうして受刑者の選挙権はまず彼らとその周囲の人を変えていく。その人たちがさらにその周囲の人へと影響を広げていく。そのインパクトは計り知れない。

それだけではない。東アジアの小さな島国の違憲判決は太平洋を渡って米国にも届く。カナダや南アフリカの違憲判決にも動じなかった大国は、しかし、かつて立憲主義を教えた国がそれを発展させていることに驚くことだろう。事実上黒人から主権を奪ってきた自国の公民権停止法への影響は避けられない。日本の受刑者選挙権が世界を変える日がきっとくる。

(よしだ・きょうこ)

本特集は「法学セミナー」820号(2023年5月号)でご覧ください。

本特集の目次

  • 主権者としての受刑者――在外国民審査権訴訟から受刑者選挙権訴訟への軌跡……吉田京子
  • 在外国民審査権訴訟――公共訴訟のススメ……井桁大介
  • 強制送還と裁判を受ける権利……児玉晃一
  • 「表現の自由」の基盤としてのインターネット――コインハイブ事件最高裁無罪判決……平野 敬
  • 技能実習生孤立死産「死体遺棄」事件――孤立出産に対する懲罰的態度から福祉への転換に向けて……石黒大貴

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脚注   [ + ]

1. 最大判2022(令和4)・5・25民集76巻4号711頁、在外国民審査権判決。
2. 木下昌彦「国民審査の憲法理論に向けて」法時94巻9号(2022年)4頁。
3. 最大判2005(平成17)・9・14民集59巻7号2087頁、在外選挙権判決。
4. 最大判1955(昭和30)・2・9刑集9巻2号217頁。
5. 広島高判2017(平成29)・12・20LEX/DB:25449213。
6. 最決2014(平成26)・7・9判時2241号20頁。
7. 野中俊彦=中村睦男=高橋和之=高見勝利『憲法Ⅰ〔第5版〕』(有斐閣、2012年)540頁[高見勝利執筆部分]。