(第19回)婚姻を作るのは、交合ではなく、合意である

法格言の散歩道(吉原達也)| 2023.04.05
「わしの見るところでは、諺に本当でないものはないようだな。サンチョ。というのもいずれもあらゆる学問の母ともいうべき、経験から出た格言だからである」(セルバンテス『ドン・キホーテ』前篇第21章、会田由訳)。
機知とアイロニーに富んだ騎士と従者の対話は、諺、格言、警句の類に満ちあふれています。短い言葉のなかに人びとが育んできた深遠な真理が宿っているのではないでしょうか。法律の世界でも、ローマ法以来、多くの諺や格言が生まれ、それぞれの時代、社会で語り継がれてきました。いまに生きる法格言を、じっくり紐解いてみませんか。

(毎月上旬更新予定)

Nuptias non concubitus sed consensus facit.

(Ulpianus libro 36 ad Sabinum, D. 50, 17, 30)

ヌプティアース・ノーン・コンクビトゥス・セド・コンセンスス・ファキット

(ウルピアヌス「サビヌス市民法注解」36巻『学説彙纂』50巻17章第30法文)

ローマの婚姻

標題の法格言は、ユスティニアヌス『学説彙纂』の末尾を飾る第50巻17章「さまざまな法準則について」と題する章に、ウルピアヌス「サビヌス市民法注解」からの引用として伝えられる。この法格言は、準則命題のかたちになっていることもあり、ウルピアヌス自身によって書かれたものそのままであるかはともかく、古典期のローマ婚姻法の全体を支配する原理を示している。

冒頭のラテン語「ヌプティアース」(nuptias)の主格形「ヌプティアエ」(nuptiae)は、結婚を表す言葉として、「マートリモニウム」(matrimonium)とほぼ同義語のように用いられる。「ヌプティアエ」は「ヌベーレ」(nubere)という「(女性が)結婚する、とつぐ」を意味する語に由来し、結婚式との関係が matrimonium よりも深いような語感がある。

これに対して、「マートリモニウム」の方は、母を表す「マーテル」(mater)から派生した言葉で、結婚とは、女性の側から見れば、母になること、男性の側から見れば相手に「母」となってくれるよう求めることが含意されているように思われる。実際に子供を生む前から妻は母と呼ばれ、同じ考えから、「適法な婚姻」関係で結ばれるとただちに夫も「パテル(pater)」(「父」)と呼ばれた。パテルとマーテルは有力な神々を讃えるためにも用いられた言葉でもあり、ミネルウァ、ディアナ、ウェスタといった未婚の女神が「母」と呼ばれたように、新婦も同じように「母」と呼ばれたのである。

20世紀のローマ法学者フリッツ・シュルツ(Fritz Schulz, 1879-1957)の言葉を借りると、ローマ婚姻法のなかに、古代ローマ人の「人間主義」(フマニタス)が最もよく現れているという。古典期の法において、婚姻は、無方式の合意によってのみ成立するものと考えられている。古くからの結婚の慣行に関する束縛を免れ、それ自体は法的な要件ではなく、口頭の方式言辞や象徴的行為も必要なく、神官が結婚を取り仕切るとか政務官のもとへの届け出や公の登録を求められることもなく、自由な結婚という考え方が登場する。シュルツは、結婚の構成要素が男女の自由な意思に求められたことを、ローマの「人間主義」(フマニタス)が長きにわたって培われてきた成果であると評価する。もちろんローマ人の結婚をめぐるさまざまな現実をみれば、シュルツの言葉をそのまま鵜呑みにすることはできないが、ローマの法学者が結婚を「合意」や「意思」によって基礎づけようとしたことは、大きな発見であったといえるのではないか思われる。

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吉原達也(よしはら・たつや)
1951年生まれ。広島大学名誉教授。専門は法制史・ローマ法。