人権のダイナミズム(巻美矢紀)(特集:法学入門2023――いま法を学ぶ意味)

特集から(法学セミナー)| 2023.03.14
毎月、月刊「法学セミナー」より、特集の一部をご紹介します。

(毎月中旬更新予定)

◆この記事は「法学セミナー」819号(2023年4月号)に掲載されているものです。◆

特集:法学入門2023――いま法を学ぶ意味

決まり切ったルールを定めたかのようにみえる法学も、時代や社会の中で変化を続けている。法学の変化に焦点を当てた法学入門特集。

――編集部

1 はじめに――憲法は動いている!

日本国憲法は施行75年になるが、一度も改正されたことがない。それにもかかわらず、生きているかのように憲法が動いているとしたら、驚くであろうか。

そもそも、そんなことが正当化されるのか? どのようにして動いているのか? こうした憲法のダイナミズムは、私たちによりよい未来を約束するのか?

最後の問いに対し、リベラリズムからすれば否定的な判決が、昨年6月にアメリカで出され、世界に衝撃を与えた。その判決とは、50年前に憲法上の権利として承認した中絶の権利を「誤り」として否定した、連邦最高裁のDobbs判決〔Dobbsv. Jackson Women’s Health Organization, 597U.S._(2022)〕である。

本稿は、憲法のダイナミズムに関する上記の問いへの回答を通して、憲法を学ぶ意義とともにその面白さを伝えようとする、憲法学への招待状である。

2 憲法のダイナミズムの正当化

(1) 社会的協働の条件

改正によらない憲法の変容が正当化されるのか? それに答えるために、まず、憲法とは何かを考えてみよう。憲法は統治機構と人権から構成されているが、結論から言えば、憲法とは社会的協働(cooperation)の条件を定めたもので1)、その条件の具体化は社会の変化によって変容するものであるから、憲法のダイナミズムは憲法内在的なものである。こうした変容があるからこそ、憲法は「死者による支配」、すなわち憲法制定世代が現世代の意思決定に課す足かせではなく、私たち現世代との関係でも社会的協働の条件として正統性をもつのである。1人でできることには限界があるし、警察・消防などの公共財は、サービスの提供を対価を支払う契約者に限定する排除性が働かないことから、市場を通じては十分に提供されない。それゆえ、社会的協働、換言すれば、税を公平に強制的に徴収しそれによって公共財を提供するための仕組みが必要になる2)。そこで、憲法は統治機構について定めている。

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社会的協働のために、その仕組み以上に重要な条件は、そもそも理に適った人であれば社会的協働への参加を拒否しない・拒否できないようにすることである。そのためには、当該社会の構成員が互いを「尊厳(dignity)」をもつ者として扱うこと、換言すれば「かけかげえのないもの」として尊重し合うことが不可欠であろう。このような相互尊重とは何を意味するのか?

まず、相互尊重は、社会的協働に関わる決定過程への等しい参加を保障する(参加の原理)。社会的協働は税の徴収のように強制を伴いうることから、決定過程に自ら参加しうること、民主主義が不可欠である。

そして、相互尊重は、生き方や確固とした信念のように自分の「ゆずれないもの」を互いに尊重し合うことを保障する。もし社会の構成員があなたの「ゆずれないもの」を「それは誤っている」として否定するとしたら、あなたは社会的協働への参加を拒否するであろうし、またそれは理に適ったことといえる。なぜなら、そのような理由に基づく否定は、あなたのことを自分の生き方を自分で形作っていき、その結果に責任をもつ、対等な人格として尊重していないからである(独立性の原理)3)。この保障は、まさに「ゆずれないもの」としての究極的な価値観が多様化し対立競合する現在、ますます重要性を増している4)

(2) 原理の体系としての憲法

以上のような相互尊重は、少なくとも欧米社会では社会的協働の条件として、憲法の基礎にあって全体を貫く基本的な考え、すなわち基底的な原理であると考えられている。憲法は、個別のバラバラなルールの寄せ集めではなく、社会的協働の条件としての相互尊重を基底的な原理とする、原理の体系なのである。

「ルール」は具体的な文言で規定されており、法的問題に対する答えを一義的に決める。これに対し、「原理(principle)」は抽象的な文言で規定されており、論証を一定方向に導く重みをもつものであり、解釈が必要になる5)。憲法の中でも、統治機構に関する条文は、具体的な文言で規定されているルールが多い。典型的には、「衆議院議員の任期は、4年とする。」と定める憲法45条である。これに対し、人権に関する条文は、抽象的な文言で書かれている。「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と定める憲法19条は、例えば、名誉毀損の救済方法としての謝罪広告が同条に反するかどうかの判断に解釈が必要になる、原理である。

注意すべきことは、統治機構に関する規定も、社会的協働の仕組みを定めるにあたり、基底的な原理としての相互尊重を基礎に、歴史を通じて形作られた、法の支配、権力分立、国民主権といった統治の基本原理をふまえた上で、当該社会ごとに具体化され6)、ルールとなっているものが多いということである。社会的協働の仕組みは、権限やその行使の手続の基本的な事柄を定めるものであり、そうである以上、国民に大きな不利益を与える可能性がある。改正手続によらずに、ルールを変更することはもちろん、新たな原理を承認することも、根底的な意味で参加の原理に反するもので、原則として許されないと考えられる7)

他方、憲法の人権規定は、社会的協働の正統性の条件である相互尊重を展開した原理に関する定めであり、解釈が必要になる。人権規定は、あくまで憲法制定の時点で相互尊重のために必要不可欠と考えられたものをカタログ化したものであり、社会の変化により、新たに相互尊重のために必要不可欠と考えられるに至ったものについても、社会的協働の正統性の条件である以上、人権として承認しなければならないのである。

留意すべきことは、相互尊重のために必要不可欠と考えられるものは、現在では社会ごとに大きく変わるものではなく、共通していることが多いということである。国際人権が論じられるゆえんである。

憲法のダイナミズムは、人権規定の解釈において現れるが、動きが明白でわかりやすいのが、「新しい人権」の承認である。新しい人権とは、憲法の明文はないが、憲法の解釈により裁判所を通じて承認される憲法上の権利のことである。例えば、プライバシー権などがある。

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脚注   [ + ]

1. 長谷部恭男『憲法とは何か』(岩波書店、2006年)9-10頁。
2. 長谷部恭男『憲法学のフロンティア』(岩波書店、1999年)4-6頁。さらに国家は目立つ存在であることから、調整問題の解決を担うのにふさわしい。調整問題とは、例えば、自動車の左側通行のように、その内容よりも、みなが従えるように、決まっていること自体が重要な問題である。
3. ロナルド・ドゥオーキン(石山文彦訳)『自由の法』(木鐸社、1999年)35-37頁。
4. 議論はあるものの、相互尊重は、さらに人間の脆弱性、すなわち障害や貧困への配慮も要求すると考えられる。
5. ロナルド・ドゥウォーキン(木下毅ほか訳)『権利論〔増補版〕』(木鐸社、2003年)17-23頁。
6. さらに、国会法、内閣法、裁判所法、地方自治法など、法律によって具体化されている。これら具体化法律もまた実質的意味の憲法であり、憲法付属法と称されている。
7. 憲法総論に位置づけられる9条につき、従来の学説はいわばルールとして、自衛隊を違憲と解してきた。これに対し、9条を原理として、自衛隊は合憲であると解する見解も近年では有力である。長谷部・前掲注1)71-72頁。