(第18回)あなたがガイウスであるところでは、私はガイアです

法格言の散歩道(吉原達也)| 2023.03.07
「わしの見るところでは、諺に本当でないものはないようだな。サンチョ。というのもいずれもあらゆる学問の母ともいうべき、経験から出た格言だからである」(セルバンテス『ドン・キホーテ』前篇第21章、会田由訳)。
機知とアイロニーに富んだ騎士と従者の対話は、諺、格言、警句の類に満ちあふれています。短い言葉のなかに人びとが育んできた深遠な真理が宿っているのではないでしょうか。法律の世界でも、ローマ法以来、多くの諺や格言が生まれ、それぞれの時代、社会で語り継がれてきました。いまに生きる法格言を、じっくり紐解いてみませんか。

(毎月上旬更新予定)

Ubi tu Gaius, ibi ego Gaia.
(Plutarach, Moralia, 271E)
ウビ・トゥー・ガーイウス・イビ・エゴ-・ガーイア
(プルタルコス『モラリア』271E「ローマ習俗問答」問答30)

アルドブランディーニの婚礼

古代ローマの結婚というと「アルドブランディーニの婚礼」が思い出される。ヴァチカン図書館の奥まった一室に飾られている壁画は、紀元前1世紀後半のローマのフレスコ画とされ、婚礼の場に臨もうすると花嫁の姿が描かれている。この絵は、1601年に、エスクィリーノ丘の一角(現在のローマ中央駅(テルミニ)南側に位置するヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場のあたり)で発掘されたもので、「アルドブランディーニの」という呼び方は、美術収集家としても知られるピエトロ・アルドブランディーニ枢機卿が購入して同家の巨大コレクションの一部となったことに因む。その後19世紀になって教皇ピウス7世の時代にヴァチカン所蔵となり、今に至っている。

絵は10人の人物が2つの壁の間の角柱と家の敷居で区切られた3つの場面に分けて配されている。中央の場面では、左側の女性(美と優雅をつかさどる女神カリテスあるいは説得の女神ペイト)が小柱の上で左手に持った貝殻にアラバストロンと呼ばれる壺から香油を注いでいる。中央ではゆったりとした布に覆われたベッドの上に、ベールを被り白いトゥニカと黄色の靴を履いた花嫁が座っており、その傍らに描かれた女性(愛の女神ヴィーナス)が左手でやさしく花嫁を抱きしめ、右手をそっと彼女の顔に添えている。ベッドの足元には、腰布を巻き頭に蔦の花をつけた半裸の若者(婚礼の神ヒュメン)が座って花嫁を見守っている。

左右の場面には、古代ローマの結婚式にかかわる慣習が描かれている。右側の屋外の場面には、婚姻の吉凶占いや竪琴を奏でる女性の姿が描かれ、左側は、「花嫁の迎え入れ」(迎妻式、deductio)の際の「水火授受の儀」(aqua et igni accipi)と関係した場面と考えられる。

古代ローマの結婚式

古代ローマでは、結婚にあたって、婚約式から始まってさまざまな儀式が執り行われる。結婚式の朝を迎えると、まず花嫁の家に皆が集まり、占いのための儀式などが行われたあと、ようやく本番となる。新郎新婦は結婚に同意したことを証人の前で宣言するとともに、右手を合わせること(デクストラルム・ユンクチオ)という儀式を行う。これは新郎新婦の結合と相互の誓いの象徴としてこれ以後2人が一心同体となったことを示すものだとされている。日没後、新婦は、祝婚の楽曲を奏でながら行列をつくって新郎の家に向かう。新郎は、「中庭」で新婦を待ち受け、生命の二大要素であり、生活に必要不可欠な水と火を差し出す。これが「水火の授受の儀」であり、新婦が新郎の家の家事に与ることを象徴するものである。最後に、「あなたがガイウスであるところでは、私はガイアです」という言葉を唱えて、はれて新婚生活が始まることになる。

結婚式で新婦が唱える「あたながガイウスであるところでは、私はガイアです」という言葉が、本来どのような意味をもっていたかは必ずしも明らかではない。おそらく古典期のローマ人にとってもすでに形だけのものとなっていたのではないかと思われる。ラテン語の人名では、多くの場合男性は、ガイウス(Gaius)のように語尾が「-ウス」(…us)のかたちをとり、それに対応するかたちで、女性は、ガイア(Gaia)のように語尾が「-ア」(…a)のかたちで表現される。字義通り解せば、新婦が、新郎の名前を名乗ることによって、これから夫婦として生活をともにすることが示されていることになろうか。

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吉原達也(よしはら・たつや)
1951年生まれ。広島大学名誉教授。専門は法制史・ローマ法。