(第17回)何ぴとも他人の損失によって利得してはならない
機知とアイロニーに富んだ騎士と従者の対話は、諺、格言、警句の類に満ちあふれています。短い言葉のなかに人びとが育んできた深遠な真理が宿っているのではないでしょうか。法律の世界でも、ローマ法以来、多くの諺や格言が生まれ、それぞれの時代、社会で語り継がれてきました。いまに生きる法格言を、じっくり紐解いてみませんか。
(毎月上旬更新予定)
Nemo cum damno alterius locupletior fieri debet.
(Pomponius 21 ad Sabinum, D.12,6,14)ネーモー・クム・ダムノー・アルテリーウス・ロクプレーティオル・フィエリー・デーベト
(ポンポニウス「サビヌス注解」第21巻『学説彙纂』12, 6, 14)
他人の損失によって利得しないこと
標題の格言は、ユスティニアヌス『学説彙纂』第12巻第6章「非債弁済の不当利得返還請求訴権」のポンポニウス法文「実際、何ぴとも他人の損失によって利得しないことは自然により衡平に適うからである。」に由来する。これに若干の修正を加えたかたちで、第50巻第17章「古法の各種の法範について」にもほぼ同趣旨の法文が伝えられているが、ここでは、「自然法」とか「衡平」といった語と結びつけられている(D. 50, 17, 206)。また中世教会法の領域でも、例えば、教皇ボニファキウス8世による『第六書』「法原則について」にも、「何ぴとも他人の損害又は損失によって利得してはならない。」という原則(Liber sextus 5, 12, 48)が採用されている。
これらの法文は、日本民法の不当利得に関する一般原則を規定した703条に至る不当利得法理論の形成と発展の出発点になっている。もとより「他人の損失によって利得しない」という要請が古代ローマ法学者たちによって法原則として受容されるまでには、長い歴史があった。不当利得法理論の歴史のなかでしばしば言及されるキケロ(前106~前43年)の民事弁論『俳優ロスキウス弁護』(Pro Roscio Commoedo)が1つの手がかりを与えてくれる。
キケロと俳優ロスキウス
『俳優ロスキウス弁護』の名で知られるキケロの法廷弁論が行われたのは、前76年とも前68年ないし66年ともいわれて確定しないが、キケロがギリシャ遊学からローマに戻った財務官就任以前の前76年とする説が有力なようである。
キケロが弁護にあたった被告のロスキウス(Quintus Roscius Gallus、前126頃~前62年)は、ローマ近郊のラヌウィウムで奴隷身分に生まれたといわれ、のちに自由身分を得たようである。主人の見込み通り役者としての才能を開花させ、喜劇俳優として当時おおいに人気を博したとされている。キケロは、クイントゥス・カトゥルス(前102年の執政官、同名の息子はキケロの親しい友人)がロスキウスを歌った詩を伝えている。
わたしは昇りくるアウローラに祈りを捧げてたたずんでいた。
そのとき、左手からロスキウスの姿が立ち現れた。
神々よ、私の言葉を許したまえ。
彼の姿は神より美しく思われたのだ。(キケロ/山下太郎訳「神々の本性について」1, 79、
『キケロー選集11 哲学IV 神々の本性について 運命について』
(岩波書店、2000年)56~57頁)
カトゥルスにとって、ご贔屓のロスキウスは「神よりも美しい存在」であった。ロスキウスは、当時ローマで最も優れた弁論家であったクイントゥス・ホルテンシウスの話し方や仕草を学び、俳優としての技芸を磨いたといわれる。演劇理論に関する書を残したとも伝えられ、キケロも彼から弁論術の指導を受けたり、演説者と俳優のどちらがより効果的に思想や感情を表現できるかを競い合うような仲であった。
もう一方の当事者、原告のガイウス・ファンニウス・カエレアは、ギリシャ出身の解放自由人とされ、ローマ共和政末期の物欲にまみれたビジネス界の典型のような人物であった。「悪辣きわまるポン引きバリオ(プラウトゥスの喜劇『プセウドルス』の登場人物)をロスキウスが演じる時は、ファンニウスに扮している」(『俳優ロスキウス弁護』7, 20)といった一文をはじめ、キケロはファンニウスを品性賤しい人物として描き出している。
1951年生まれ。広島大学名誉教授。専門は法制史・ローマ法。