(第1回)韓国の差別禁止法と性的マイノリティ(國分典子)

特集/LGBTQ・性的マイノリティと法——東アジアにおけるLGBT法政策の現状と課題| 2022.04.15
LGBTQあるいは性的マイノリティの人権問題が日本社会の中で注目を集めるようになってから久しいですが、未だその人権保障状況が充分に改善しているとはいえません。本特集では、日本と関連性の深い東アジア諸国に目を向け、そのなかでの特徴のある最近の事例や具体的な問題を紹介しながら、それぞれの歴史や現状を踏まえ、今後の展望などを考えていきます。

前特集「LGBTQ・性的マイノリティと法――トランスジェンダーの諸問題」も、ぜひ併せてお読みください。

はじめに

今、韓国では差別禁止法(「平等法」ともいわれ、国会に提出されている法案名称もさまざまであるが、ここでは報道でもより多く用いられる「差別禁止法」の語を用いる)の制定問題が大きな議論になっている1)。ここでいう差別禁止法とは、特定分野に限らず包括的に社会における差別を禁止する基本法であり、特に性的マイノリティのみを対象としたものではない。しかし、社会的には同法案をめぐる論点としてとりわけ性的マイノリティの問題がクローズアップされるようになってきている。そこで、本稿では差別禁止法制定問題の歴史的経過を概観しつつ、法案の動向や性的マイノリティをめぐる韓国の議論を紹介することとしたい。

国家人権委員会の創設と差別禁止法

そもそも差別禁止法にかかわる問題の発端は、20年前の国家人権委員会設立の頃から始まる。国家人権委員会は、金大中政権のもとで創設された。国家人権委員会の創設は人権法の制定とともに金大中が大統領候補となったときの公約であったが、その背景にはウィーン世界人権会議に出席した学者や実務家の運動があったといわれている2)。その後、国家人権委員会の独立性をめぐる人権団体と法務部(=日本の法務省にあたる)の間での葛藤の末、2001年5月24日に国家人権委員会法が公布され、同年11月25日に施行されて、同日、国家人権委員会が創立されたのであった。韓国で平等についての包括的な救済の道を開くことになったのは、この国家人権委員会法であった3)。同法19条3号は国家人権委員会の業務のひとつとして「差別行為についての調査と救済」を挙げており、差別の問題は包括的に同委員会の業務対象となる。また同法30条2項は、「平等権侵害の差別行為とは、合理的な理由なく、性別、宗教、障害、年齢、社会的身分、出身地域、出身国、出身民族、容貌等の身体条件、婚姻の有無、妊娠または出産、家族状況、人種、皮膚の色、思想または政治的意見、刑の効力が失効した前科、性的指向、病歴を理由とした次の各号の1に該当する行為をいう。 ただし、他の法律において特定の者(特定の人々の集団を含む。以下、同じ。)に対する優遇を差別行為の範囲から除いたときは、その優遇は、差別行為とみなさない」4)として1~3号に具体的行為を列挙しており、「性的指向」を明示している。

国家人権委員会法は、実質的な人権救済に関する法としての役割を果たしてきた。にもかかわらず、包括的差別禁止法が必要とされるのはなぜか。1つの理由としては、国家人権委員会創設後、同委員会自身が包括的な差別禁止法の制定に精力的に取り組んできたということが挙げられる5)。元々、金大中元大統領の選挙公約では、先に述べたように国家人権委員会の設立と人権法の制定があった。しかし、後者は金大中政権(1998-2003)中には実現しなかった。続く廬武鉉政権(2003-2008)下で包括的差別禁止法制定に向けて加速し出し、2003年から様々な案が出された。国家人権委員会も2006年に3年半かけて作った同委員会の試案を国務総理に提出し、政府に法制定を呼び掛けたのであった6)

差別禁止法案をめぐる対立と現在に至る動き

しかし、国家人権委員会の呼びかけのもと作成された政府案は、国家人権委員会の案より後退したものであった。法務部が法案の立法予告を行ったのに対し、人権団体は女性団体が差別事由項目の縮小といじめ事由から性的指向が削除されていることとを強く批判し、同法の制定に反対した。一方、保守系プロテスタントのキリスト教団体もこの法案に対して反対を表明し、同性愛条項の削除を要請する意見書を提出したのであった7)。現在の差別禁止法案をめぐる対立の端緒はこのときにさかのぼるといえる。対立する両者のうち、前者は「反差別共同行動」という運動団体を設立し、後者は「同性愛差別禁止法案阻止議会宣教連合」を組織した。こうした反対運動により審議は遅れ、結果的には第17代国会(2004-2008年)中に時間切れで廃案となった。なお、第17代国会では、民主労働党議員10名による差別禁止法案も提出されているが、これも同じく国会の任期満了に伴い、廃案となっている。

その後の国会でも、第18代国会(2008-2012年)には統合進歩党議員代表発議の差別禁止法案と民主統合党議員発議の法案が提出されたが、会期満了で廃案となっており、第19代国会(2012-2016年)では、民主統合党からの2つの案が保守系プロテスタント団体の反対で撤回され、統合進歩党から出された法案は同党が憲法裁判所により政党解散決定を出された8)ために立法が中断されている。

こうして法案の成立しない状況が続くなか、先に述べた「反差別共同行動」が中心になって、2017年に105の人権運動団体および市民団体が参加した「差別禁止法制定連帯」が結成された。同団体は、今の第21代国会(2020-2024年)中の法案成立を強く呼びかける活動を展開し、国会前の抗議行動なども行ってきている9)。一方、国家人権委員会も2020年6月30日に「平等および差別禁止に関する法律」の立法を迅速に行うよう、国会に強く勧告し10)、自ら試案を示している。

現在、国会にはチャン・ヘヨン議員(正義党)ら10人による「差別禁止に関する法律」案(2020年6月29日)、イ・サンミン議員(共に民主党)ら24人による「平等に関する法律」案(2021年6月16日)、パク・ジュミン議員(共に民主党)ら13名による「平等に関する法律」案(2021年8月9日)、クォン・インスク議員(共に民主党)ら17名による「平等および差別禁止に関する法律」案(2021年8月31日)が提出されており、いずれもいまだ審議は始まっていない11)

差別禁止法制定の必要性

前述のように、これまで国家人権委員会法自体が包括的な差別禁止法として機能してきた面があるものの、同法は組織法にすぎない。国家人権委員会が差別禁止法制定に積極的に取り組んできた背景には、現状では平等問題でのマイノリティ救済が不十分であるという意識がある。憲法には平等条項があるが、平等問題においては合理的な区別であれば許されると考えられていることから訴訟になった場合、裁判官の裁量判断に委ねられる部分が大きく、特に平等権については韓国の司法判断が消極的な傾向があることが指摘されている。その一方、国家人権委員会の決定には勧告的効力しかない。このため、法的拘束力をもつ根拠となる立法が必要であるというのが、差別禁止法が必要とされる理由となっている。また、個々の領域別の差別禁止法を作ることも可能であるが、それでは網羅的な対応ができないため包括的な法律が必要であること、差別行為には私人間によるものが多くそれに対処できる法が必要であることも包括的差別立法制定の必要理由として挙げられている。さらに、国連の各種委員会からも韓国に対する差別禁止法制定の要請が強くあった。2017年の国連社会権規約委員会からの勧告では、包括的な差別禁止法によって性的指向や性自認に関する差別を禁止することが求められている12)。なお国家人権委員会法の規定についていえば、前述のように「性的指向」については規程があるものの、「性自認」が規定されていないことから性別変更の問題が対象とならないという問題もあった13)

性的マイノリティをめぐる差別禁止法反対派の主張

性的マイノリティの問題についていえば、現在、国会に提出されている法案はいずれも「性別」の定義について、国家人権委員会の試案に倣い、「『性別』とは、女性、男性、その他分類の困難な性をいう」と定義し、他の事由とともに「性的指向」、「性的自認」を列挙してこれらによる差別の禁止を明記している。

この点、法案反対派はどのような主張をしているのか。2021年11月25日には、与党「共に民主党」が14年ぶりにこの問題について、法案賛成・反対両派を招いて国会内で包括的差別禁止法に関する討論会を開催したが、報道によれば14)、そこでは反対派の宗教家、法律家、医学者等から以下のような意見が出ている。

  • 「差別禁止法反対論者たちが差別を助長するヘイト勢力のように罵倒されてきた気がする」。「この法が制定されれば差別と抑圧が消えるという主張は法万能主義の幻想だと思う。本当に実質的に差別を払拭させなければならない」。
  • 「差別禁止法案は『分離・区別・制限・排除し、または不利に待遇する行為』と明示して、これらを直接差別としているがこれは非常に抽象的」で「結局、その基準を定めざるを得ない国家権力が肥大化する可能性がある」。
  • 「国民的合意も得られていない状況で性別について『男女以外に分類の困難な』と規定したのは男女を基礎とした伝統的婚姻制度を揺るがしうる」もので「ここから派生する同性結婚の法制化の危険性も提起される」。
  • 「法案は、個人の選択による価値判断領域である宗教・思想または政治的意見なども、差別禁止事由に含め、思想に対する検閲が行われる可能性がある」。
  • 「損害賠償の損害額推定・懲罰的賠償で差別行為加害者に対する立証責任を転換したことは、罰金など財政的圧迫を加え、個人の信念の自由を萎縮させる恐れもある」。
  • 「法で差別をなくすということは、法万能主義の発露である」。
  • 「社会的成人ジェンダーの定義が不明確で、その意味と範囲は持続的に変化する」。「一方、医学的性別基準である性染色体は女性をXX、男性をXYと明確に区分している。 ジェンダーという恣意的基準が法律に公用される場合、社会的大混乱を助長しうる」。
  • 「米国疾病管理予防センター(CDC)は男性同性愛者が男性異性愛者より40倍高いHIV有病率を見せたと発表した」。「このような広報を通じて全世界的にHIV有病率が減少する傾向と異なり、韓国の20-30代の若い男性の間ではHIV有病率が増加している。これは疾病管理庁の広報が行われていないことによるものだ。 国内同性愛者の健康権・幸福追求権のためにも、上記の事実を積極的に広報すべきだ」。
  • 「差別禁止は法ではなく、道徳・教養教育の次元で行われるべきである」。
  • 「平等法案は同性愛が嫌悪されるという聖書的教えを遮断し、聖書を禁書にしようとする一つの試みである。」「イ・サンミン議員の法律案第29条では教育機関の長が教育目標・内容・生活指導に性別や性的志向を理由とする差別を含めてはならないと規定し」ており「キリスト教史学でも同性愛の罪性と保健医療的危険性を語ることができなくなる」。
  • 「皆が差別のない世の中を望んでいるが、差別禁止法案を通じては力不足」であり、「差別禁止法案・平等法案制定で個別的差別禁止法の重複適用による法的衝突も憂慮される。むしろ現行の個別的差別禁止法を維持・補完するのが差別緩和には適切である」。
  • 「平等法案は差別禁止理由として性別を『女性と男性その他分類の困難な性』と定義したが、『その他分類の困難な性』の概念が曖昧であり、法治主義原則である法律の明確性に反する」。このことは「憲法第36条の両性平等に基づく男女雇用平等法とも真っ向から衝突する。『第3の性』の導入が現行の住民登録体系に混乱を与えかねない。さらに生物学的男性でありながら、自分を女性と主張する人たちが兵役回避手段として法案を悪用することもありうる」。

以上の多様な論点のうち、最後に挙げた「その他分類の困難な性」については、法案に反対する保守派の憲法学者の論説でも、「第3の性」を認めることは両性の平等を根幹としていると考えられる憲法に反し、法体系を混乱させる、多様な性を認めることは結果的に自由な性別変更を認めざるを得ないことになるといった問題点の指摘がある15)

おわりに

先に述べた法案賛成派の差別禁止法制定連帯は、制定を遅らせてきた二大政党を批判しており、法案を提出した「共に民主党」に対しても、政権をとり、国会でも多数を占めながらこれまで審議を遅らせてきたことを「反対派に対し迎合的な態度」とみている。

この点に関連して、国会に提出されている法案の1つを出した「共に民主党」所属のイ・サンミン国会議員は、法案提出にあたってのインタビューで「すでに数カ月前から準備してきたが、『性指向性差別禁止』を問題視する保守プロテスタント教界の反発にあい、法案を発議できずに放置してしまった。しかし、国民同意の請願が10万人を超え、熱い関心を集めるようになり、法案発議を決心した」と心情を吐露している16)。文在寅大統領も国会人権委員会が設立20周年を迎えた2021年11月25日には、同委員会の式典で差別禁止法の推進に触れており17)、与党も動き出しつつあるかにみえる。

現在、差別禁止法案に賛成する国民の請願に10万名以上が署名し、国家人権委員会が行った「差別に対する国民の認識調査」によれば、約88.5%が平等のための法制定が必要であると答えている状況である18)。2021年の定期国会は終了したが、臨時国会で積み残しの議案が審議されることになっており、国会がこの問題にどう答えるかが注目されている。

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脚注   [ + ]

1. 朝鮮日報2021年7月3日のオンライン記事(2022年3月17日最終確認)は、法案に賛成・反対両派から請願が出されていることを報じている。
2. 国家人権委員会のウェブサイト上の同委員会の沿革についての説明(2022年3月17日最終確認)によれば、ウィーン世界人権会議に参加した「韓国民間団体共同対策委員会」が 1993年6月に国家人権機構の設置を要求し、その後、1997年12月に金大中が大統領選挙の公約に掲げた。国家人権委員会に関しては、안진「포괄적 차별금지법의 입법쟁점에 대한 일고찰」法学論叢(全南大学校法学研究所)38巻1号(2018年)543頁以下、参照。なお、本稿で述べる差別禁止法制定の歴史に関する部分の多くは、同論文に依拠している。
3. 안진,前掲論文538頁、参照。
4. 国家人権委員会法の条文は法令情報センターのサイトより閲覧可能。ここで引用したのは制定当初の条文であるが、現在に至るまでの各改正の内容も同サイトで閲覧可能である。
5. 안진・前掲論文544頁。
6. 国家人権委員会ウェブサイト(2022年3月17日最終確認)参照。
7. 鄭康子(翻訳:朴君愛)「韓国における反差別運動と差別禁止法制」人権問題研究所紀要(近畿大学)25号(2011年)41頁以下参照。なお、この論文では包括的差別禁止法ではなく個別の差別禁止法が作られるべきなのではないかという意見が表明されている。
8. 統合進歩党の解散については、藤原夏人「【韓国】憲法裁判所が統合進歩党の解散を決定」外国の立法262-2(2015年)オンラインのため頁数なし(2022年3月17日最終確認)参照。なお、解散理由はこのときの法案とはまったく関係はない。
9. 差別禁止法制定連帯の活動については、同団体のウェブサイト(https://equalityact.kr/)参照。
10. なお、国会に対して国家人権委員会委員長が示した意見(2022年3月17日最終確認)の中では、OECD加盟国の中で差別禁止法がないのは、韓国と日本くらいだとも述べられている。
11. 前掲注9)の差別禁止法制定連帯のサイトに、現在出ている法案と国家人権委員会が国会に勧告した試案の比較表(2022年3月17日最終確認)が掲載されている。
12. 以上について、안진・前掲論文564-566頁参照。アムネスティ・インターナショナルは、2021年6月29日の正義党議員らの法案提出について、「LGBTI(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、インターセックス)を含むすべての人びとに対する差別を禁止する法案が成立すれば、差別廃止に向けた法整備の面で、韓国はアジアの先陣を切ることになる。多くの人びとに希望と安全・安心をもたらす主導的取り組みとなるだろう」と報じている(2020年7月22日国際事務局発表ニュース(2022年3月17日最終確認)
13. 안진・前掲論文551頁。
14. 2021年11月25日のKBS NEWS(2022年3月17日最終確認)、なお、反対意見については、基督日報(2022年3月17日最終確認)参照。
15. 음선필 「포괄적 차별금지법에 대한 헌법적 평가」홍익법학21巻3号(2020年)144頁参照。
16. 2021年6月16日ハンギョレ新聞(2022年3月17日最終確認)。
17. 大統領の祝辞の内容は、青瓦台(大統領官邸)ウェブサイト(2022年3月17日最終確認)参照。
18. 国家人権委員会の「2020年差別についての国民認識調査」の結果に関しては同委員会のウェブサイトに概要(2022年3月19日最終確認)が出ている。またこの調査の報告書全文も同じサイトにPDFファイルで掲載されている。

國分典子(こくぶん・のりこ)
法政大学法学部教授