(第2回)各人に各自のものを

法格言の散歩道(吉原達也)| 2021.11.18
「わしの見るところでは、諺に本当でないものはないようだな。サンチョ。というのもいずれもあらゆる学問の母ともいうべき、経験から出た格言だからである」(セルバンテス『ドン・キホーテ』前篇第21章、会田由訳)。
機知とアイロニーに富んだ騎士と従者の対話は、諺、格言、警句の類に満ちあふれています。短い言葉のなかに人びとが育んできた深遠な真理が宿っているのではないでしょうか。法律の世界でも、ローマ法以来、多くの諺や格言が生まれ、それぞれの時代、社会で語り継がれてきました。いまに生きる法格言を、じっくり紐解いてみませんか。

(毎月上旬更新予定)

Suum cuique. スウム・クィークゥェ

大カトー

「各人に各自のものを。Suum cuique.」は、わずか二語で正義の理念を体現するといわれる。古代ギリシャ以来の正義理念をうつしたこのラテン語は時代を超えて現代においても正義論の出発点として君臨している。もちろんこの語の組み合わせ自体から、深遠な真理が突如として出てくるわけではなく、もともとは日常的な言葉としてももよく使われた表現のかたちであり、長く使われているうちに正義論に通じる意味が生まれてきたのであろう。suum は3人称の所有形容詞 suus の中性・単数の主格か対格の形で、「自分のものは」あるいは「自分のものを」を表し、cuique は「各々、それぞれ」を意味する不定代名詞 quisque の単数・与格の形で、「各々に」を意味する。類例をいくつか見てみよう。

2世紀の著作家アウルス・ゲッリウスの『アッティカ夜話』は多くの文献を渉猟して集めた逸話や随筆の抜萃など情報が満載の作品である。その中で、大カトー(前234 -149)の次のような言葉が引かれている。「自分は高価な家屋も道具も衣装も奴隷も持ち合わせない。使えるものがあればそれを使うし、なければなしですませるだけ。私にとって、各人に各自のものを suum cuique 使ったり受け取ればよいのだ」、と。大カトーは、キケロの『老年について』のモデルでもあり、古代ローマにおける質実剛健の気風を体現するような人物である。それぞれが身の丈にあった生き方をするのがふさわしいというだけでなく、そのためには何よりもおのれを尽くすということが肝要だということを教えてくれている。

十人十色

「各人にとって自分のものは美しい。Suum cuique pulchrum est.」(キケロ『トゥスクルム荘談義』5,22,63)は、悲劇詩人は、他のジャンルにまして、自分の作品が自分にとっては美しいと思うものだという。少し形が異なるが、「各人の習慣はそれぞれにとってのものである。Suus cuique mos.」は、日本語の諺「十人十色」と重なり合う。習慣、風習を意味するmosの複数形は mores であり、英語の moral と語源的につながっている。テレンティウス『ポルミオ』では、勝手に結婚してしまった息子のことで父親が友人に助言を求めたところ、友人の一人がそのように答えた。このように作品であったり、習慣であったり、所有形容詞 suus が具体的に何をさすかで、いろいろな意味合いが生まれてくる。そこにラテン語で「法」あるいは「権利」を意味する「ユース」ius が結びつけられたときに、この言葉は新しい法と正義の世界を切り開いていくことになった。

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吉原達也(よしはら・たつや)
1951年生まれ。広島大学名誉教授、日本大学特任教授。専門は法制史・ローマ法。